第74話 しらみ潰し検査②
付き人二人を伴い、リズは砦の廊下を歩いていく。
窓から月明かりがのぞく、静かで落ち着く夜だ。
――ただ、この中で死霊術師が動いていたと思うと、心騒がせる何かがあるのは確かだが。
月明かりはあるが、灯りなしではさすがに心もとない。
そこで、傭兵のシモーヌが《霊光》を用いた。彼女はリズよりも少し年上のようだが、「リーザさんは、自分の作業に専念してくださいね」と、すっかり助手モードだ。
一方、幹部からの協力者ナタリーは、傭兵たちの協力で仕上げてもらった、人員名簿の写しを大事そうに抱えている。
三人にとって最初の作業場は大広間だ。敷物で班が区切られる形で、大勢が雑魚寝している。
広間の外から様子をうかがうと、寝付けずにモソモソする者も見受けられる。さすがに、慣れない環境と心理的なものもあるのだろう。
そこで照明係のシモーヌは、広間に入る前に《霊光》の威力を絞り、起こしてしまわないようにと注意して見せた。
この気遣いに応じ、リズは小声で「失礼しますね」と二人に声を掛け、まずは自分に魔法をかけてみせた。《念結》だ。
自分に使ってみせた後、二人に説明しつつ、同じ魔法をかけていく。シモーヌ=ナタリー間でつなぐことは出来ないため、リズが仲立ちになる形になるが、問題はないだろう。
シモーヌは傭兵としての経験上、《念結》にも慣れているようだが、ナタリーは戸惑いと同じぐらいの興奮を見せた。夜中のテンションというのもあるかも知れない。
そんな彼女も、夜風が吹き込んできたことで、少し頭が冷えたようだ。咳払いしつつ、頭の中で『すみません、興奮してしまいまして……』と、恥ずかしそうに声をかけてくる。
準備が整い、三人は広間の中に入った。
まずは一人目、すっかり寝付けて姿勢の良い青年相手に、《家系樹》を使う。
今回の検査においては、この中にも、潜入者がいるだろうという事前の想定がある。
そのためか、心の中で声を出さずとも、付き人二人からは緊張が伝わってくる。
もっとも、リズとしてはまだ気楽なものだった。寝ている相手に対し、一方的に情報を抜くのだから。イニシアチブを握っている感覚と同時に、寝込みを襲うような自分のやり口に、少しやましさを感じるほどだ。
そうした感情を、しかし彼女はおくびにも出さず、魔法陣を展開していく。
果たして、表示されたものは――トニー・ドゥメルク、出身地はトーレット。
『ありました!』
『了解、消します』
名簿に同名の人物を確認、一人目は何の問題もなかった。書記のナタリーが、ホッと安堵しつつ名簿にチェックを打つ。
その安堵はシモーヌにも伝わったようだ。やや硬かった表情が、少し柔らかくなる。
さて、この部屋の中に《呪毒相写法》を知る者がいて、その者に目撃されれば、全く別の魔法を使っていると見抜かれる懸念はある。
ふとした拍子に不運が重なり……という、薄い可能性だが、無視はできない。
よって、あまり長く《家系樹》を出しっぱなしにはしておけない。
その点で言えば、ナタリーの確認速度は、初回ということで大目に見るまでもなく十分なものであった。
(これなら大丈夫そうね)
期待以上の働きを見せる助手に、リズも安心を覚えた。
――とはいえ、夜は長い。傭兵のシモーヌはともかく、最近まで一般市民に過ぎなかったナタリーの、スタミナと集中力がいつまで続くか。
うっすらとした懸念を抱きつつ、リズは次の検査に移った。
それからも手際よく、当初想定以上のペースで検査を進めていく三人。
一人あたり三秒もかかっていないのは、リズの記述速度もさることながら、慣れてきたナタリーの確認速度の貢献もある。
この二人が検査に携わる一方、シモーヌは油断なく、夜目を光らせていた。
実のところ、懸念を抱かせる動きはない。しかし、「それでも」と気を張り続ける彼女の存在が、リズの中では大きな安心感につながっている。
そのおかげで、検査もサクサク進んでいるというわけだ。
こうして、大広間での検査も折り返しをとうに過ぎ、残るは二割程度に差し掛かった。
が、その時――
『リーザさん』
『ええ』
潜入者と思わしき者が紛れ込んでいたのだ。名簿を見ていないリズでもそれとわかったのは、出身地が他国の王都だったからだ。このルグラード王国から北東へ行ったところにある小国、ウェザンテからの来訪者。
こういった疑わしい人間の前でこそ、《家系樹》の魔法陣は早めに消しておきたい一方で、名前や国を書き写す必要はある。
そうしたジレンマはあったが、ナタリーの仕事は早かった。
『もう、大丈夫です』
『さ、さすがですね』
魔法陣の記述は人外じみた速度のリズだが、日常生活における筆記速度は、それなりに速い程度。ナタリーの速さは、リズも驚かされるほどだった。
それだけ、ナタリーとしても、手早く済ませなければという思いがあったのだろう。
この疑わしき一人の検査は、無事に素早く済ませることができた。
しかし、ナタリーの呼吸がにわかに荒くなる。リズとシモーヌにそうした反応はないが……二人は顔を見合わせ、うなずいた。
『ナタリーさん、少し休みましょうか?』
『……いえ、このまま続けましょう。この人の近くで、妙な動きはできませんから』
自身が置かれた立場について、ナタリーはよくわかっていた。不安に手をかすかに震わせながらも、表情は気丈そのもの。
真っ直ぐ見据えてくるその目に、リズはうなずいた。
『わかりました。何事もなかったように続けましょう』
『はい』
『でも、無理はしないでくださいね? だって、徹夜仕事ですもの。無理して頑張れば、少しくらい息が荒くなったって、別におかしくはない……そうでしょう?』
心の中でそう伝えた後、リズはナタリーに微笑みかけた。
この言葉に気が楽になったようで、ナタリーも表情を柔らかくし、小さくうなずいた。
☆
結局、この大広間に紛れ込んでいた要注意人物は一人だった。
割合として、大きいのか小さいのか。確かなことは何も言えないが……リズの直感としては、だいぶ少ないように思われた。
(有力な勢力だと、班単位に固まっていてもおかしくはないのよね……それに、如才なく立ち回れる連中なら、人が多すぎる大広間は避けそうなものだけど)
――というわけである。
そう考えれば、人が多い大広間の中、仲間もいなさそうにポツンと紛れ込んでいた小国出身の人間は、「なるほど」と思わせるものがある。
一通りの検査を終え、三人は広間を立ち去った。
しかし、廊下を出て少ししたところで、ナタリーが壁にもたれかかるようになり、よろよろと床に崩れていく。
すかさず傍らに寄り、肩を貸そうとするシモーヌ。二人の間で言葉は交わされないが、心配そうにしつつもにこやかでいるシモーヌに、ナタリーもいくらか救われているようだ。
『ナタリーさん……大丈夫ですか?』
『ええ……いえ、すみません。少し、休ませてもらって、構いませんか?』
申し訳無さそうな顔の彼女に、リズは『もちろん』と答えてうなずいた。
それから三人、硬い石造りの廊下に腰掛け、並んで夜空を眺めた。無骨な窓に切り取られた空に、丸い月が煌々と輝いている。
(後で、一緒に外にでも出ようかしら……)
そんな事を思ったリズに、ナタリーの心の声が響く。
『リーザさん、私……』
『何でしょう?』
『あの、紛れ込んでいる人を見た時……どうしたらいいのか、一瞬わからなくなって』
そう言って小刻みに震え出したナタリーに、両側から二人が寄り添っていく。そして、リズは応えた。
『あなたは、やるべきをやってますよ』
実際、別の国の人間だからといって、すぐさま怪しい人物とはならない。他国からやってきて、トーレットで何かしらの仕事に就いているという可能性もある。
――同時に、そうした仕事が偽装という可能性も。
結局の所、何者かわからない相手に対する得体のしれない恐怖が、ナタリーの中にはあったのだろう。
あるいは、彼に対する敵意……もしかすると、もっと強い激情さえ、心の奥底にはあったのかもしれない。
そうした感情の渦が、「どうしたらいいのか」という思いにつながったのだろう。
心のゆらぎを吐露したナタリーだが、少しして、彼女はゆったりと立ち上がった。
『すみません、ご心配をおかけしまして』
『いえ、いいんですよ。これから、怪しいヤツの密度が高まりそうですけど、大丈夫ですか?』
懸念を包み隠さず伝えたリズに対し、ナタリーは『うッ』といった感じで、ややたじろぎつつも、『大丈夫ですよ!』と返してきた。
それから三人、静かな廊下を歩いていく。吹っ切れた……というわけでもなさそうだが、ナタリーは実際、宣言どおりに気を取り直したように映る。
そんな中、半ばほったらかし気味になっているシモーヌに、リズは声をかけた。
『シモーヌさんは、大丈夫ですか?』
『見張ってるだけですしねえ……』
その見張りというのが、どれだけ神経を使う仕事か……リズから見ても、シモーヌの警戒は手を抜いている様子がなかった。
にもかかわらずの、この謙虚な仲間を頼もしく思い、リズは含み笑いを漏らした。
三人の夜はまだまだ続く。




