第71話 飛び交う策謀②
アスタレーナが自室にいたその頃、リズへの挑戦権を行使したレリエルは、自分の執務室へと戻っていた。
法務・祭祀両方において重要な立場にある彼女は仕事も多いが、執務室は几帳面に整えられている。
また、他の執務室と比べ、調度品は明るく柔らかな色合いの物が多い。
そのため、部屋の大きさ自体は他の兄弟とそう変わりはないが、一番広く感じられる執務室となっている。
部屋の主に言わせれば、その方がご加護に恵まれやすいという話だ。
陽光が指す明るい部屋の中、レリエルは書類と格闘中である。
彼女の向かい側には、つい先程の継承競争会議に同席した側近二人が、執務机を挟んで臨席している。いずれも若い男女だ。内一人が口を開いた。
「殿下」
「何でしょうか?」
「本当に、実行なさるお考えで?」
その問いかけに、レリエルは耳をピクリと動かし、書類から顔を上げた。
問いを発した男性の高級官吏は、緊張した面持ちながら、視線をまっすぐに向けてきている。
そんな彼に、レリエルは答えた。
「何か懸念があれば、遠慮なくどうぞ」
「いえ……あの革命には、アスタレーナ殿下が率いておられる諜報員が、確実に紛れ込んでいるものと思われます。そういった中、殿下が行動を起こされるのは……」
「不都合があれば、お姉様が配下に下知をなさることでしょう。我々の関与するところではありません。それに、競争上の取り決めとして、お姉様側の勢力が我々を妨害することはできません。一方で、我々の動きがお姉様側の邪魔になるとしても、それを罰するルールはありません」
王位継承競争におけるルールというものは、大半の法令の上位に位置している。王権の何たるかを定める法規は、王権の下にある諸々の法規に優先するのだ。
とはいえ、それは建前上のものだ。継承権のためにとやりすぎれば、それを咎められる可能性はある。王室に連なる者としての資質を問われもするだろう。
そうした諸々の事情を念頭に今回のケースについて考えると、継承競争のためにレリエルが行動を起こしたとしても、それを非難される謂れはない。
なぜなら、ここで仕掛けた場合、巻き込まれ得るのは結局の所、他国の革命家たちでしかないからだ。
それに、レリエルのやり方であれば、足がつく可能性は小さい。彼女と刺客との繋がりについて、憶測を働かせることはできても、確証に至るのは至難なのだ。
少なくとも、部外者でしかない他国の人間にとっては。
だが……今回の仕掛けが、近隣諸国の外交関係に何かしらの余波をもたらす可能性はある。
側近二人はそれを憂慮しているのだろう。女性の側近が「この度の革命に対し、殿下はどのようにお考えでしょうか?」と尋ねた。
「私は、穏当に解決されることを望みます。これであの国が乱れれば、その機に主戦派が動き出し、法秩序が蔑ろにされる恐れがありますから」
「でしたら……この状況での行動は、不適当かと思われますが」
上席者であり、かつ王族相手にこの諫言。
真正面から発された言葉だが、レリエルは気を悪くはしない。むしろ、法務に携わる者としての毅然さを見せてもらったような心地に、彼女は微笑みを返した。
ただ、彼女の微笑の意図を察しかねているのか、配下二人は逆に畏怖を覚えている様子。レリエルは慌てて口を開いた。
「進言、ありがとうございます。お二人は、私がこの状況で干渉することについて、革命や外交が悪い方へと転ぶのではないかと、そうお考えなのですね?」
「は、はい」
「無論、私もそういった事情については憂慮しています」
部下の心情を慮るような言葉を口にした後、彼女は書き進めていた書類を丸めた。その丸めたものを、机に置いてある天秤の皿へ。
すると、片側の皿に何も乗っていない天秤は、空の皿の方が沈んだ。乗せた上の方が軽い、天秤はそのように判断したようだ。
この結果を受け、彼女は丸めた書類を手にとった。天秤は水平に戻り、広げた書類を確認しながら、彼女はまた別の紙に何かを書き始めていく。
それと同時に、彼女は配下へ声を掛けた。
「できる限りお姉様の迷惑にならないように、手は尽くします。それに、私なりに考えはあります」
そう言ってレリエルは、自身の考えを打ち明けていった。
まず、外務省と非戦派に肩入れしているわけではないが、ラヴェリア法務省としては、他国であっても戦火が広がるのは好ましくない。
それでも中立の立場を崩さないのは、いずれの側に対しても公平であらねばならない、法の番人としての立場があるからだ。
しかし……今回の挑戦が実を結んだのなら、レリエルが次期王位継承者となる。その立場を活かせば、主戦派を大人しくさせることなど容易いことだ。
今はただ、彼らの手綱を握るべき父王バルメシュが、各勢力を競わせているに過ぎない。
つまり、レリエルが勝ちさえすれば、革命に対する悪影響は無視できるわけだ。
こういった目論見について耳にした側近だが、腑に落ちない部分もあるようだ。王女の資質を疑うわけではなかろうが……それでも、聞かねばならないことがある、と。
「では……その」と、かなり尻込み気味に口を開く側近に対し、レリエルは「うまくいかなった場合、ですね」と言葉を先回りした。
これは図星だったのだろう。側近の表情は、言わせてしまったという後悔もあるのか、にわかに申し訳無さそうなものに。
それを気に留めるでもなく、レリエルは書類から顔を上げて、柔らかな口調で答えた。
「私の挑戦が失敗した場合、それを逆に活用し、アスタレーナお姉様がうまく立ち回ることでしょう。あるいは、エリザベータお姉様が、と言うべきかもしれませんが」
「そ、それは……」
「みっともないでしょうか? しかし、競い合う相手の力を適切に信頼し、計算に入れるのも戦いの内かと思いますが……」
火消し、尻拭いを相手に押し付けるようではあるが……これを逆利用してもらえるのなら、絶好のパスにもなり得る。
継承競争という手前、そういう協力関係を表立って構築できるわけではない。
だが、それを期待するのは自由である。
思いがけない言葉だったのか、レリエルの話に側近二人は黙り込んだ。
一方、レリエルは再び書類に目を向け、筆を走らせていく。
そうしてできあがった一枚を丸め、天秤に乗せると、今度は書類の側が重すぎるようだ。沈んでいく皿から書類を取り、先の一枚と見比べ、彼女は三度目の紙に筆を乗せた。
そこへ、側近が彼女に尋ねた。
「殿下のお考えとしては、どちらに転んでも、何かしらのメリットは見込める……と、そういうことでしょうか?」
「はい。正確に言えば、そこまでの確信はなく、そうあってほしいという期待もありますが」
そこで言葉を切った彼女は、硬い面持ちの二人に向き直り、それまでよりも決然とした口調で告げた。
「それ以上に、継承競争において膠着があってはならない。そう思って立候補した部分はあります」
「常に、誰かが挑み続けなければならない、と?」
配下の問いに、レリエルは「はい」と答え、淀みのない口調でその考えを述べていく。
まず一つ。標的であるリズが、わざわざ他国の革命運動に参加しているのは、ラヴェリアの外交政策上の問題を盾にする狙いがあるのだろうと、彼女は喝破した。
仮にそうだとした場合、誰も仕掛けに来ないでいる状況は、リズにとって格好の”答え合わせ”になる恐れがある。
となると、今起きている革命のような、厄介な係争状態に首を突っ込まれる恐れが、今後もつきまとうかもしれない。
それを防ぐためにも、他国との問題を意に介さない姿勢を見せる意味はある。強硬的な態度を一度でも示せば、それが今後の外交関係に利するかもしれないのだ。
そして、もう一つ。祭祀祭礼に関わりの深い、レリエルだからこその信念がある。
「この継承競争は、重大な儀式なのです。強者が治めてこそのラヴェリア。そういう国の在り方を皆々が認めているからこそ……いえ、認めさせているからこそ、至高の座に挑む者は、その姿勢を見せ続けなければならない。そうやって、この国と私たちの血は、今に至るまで存続してきました」
言い終えた彼女は、書類を丸めつつ言葉を結んでいく。
「この儀式を最後まで遂行させる義務が、私にはあります」
その後、彼女が丸めた三枚目の書類は天秤の皿に乗せられ、空の皿と完全に釣り合った。
これを受け、彼女はフッと表情を柔らかくし、配下に告げた。
「儀式の準備に入ります。三日ほど動けなくなりますので、申し訳ありませんが……」
「いえ、火急の用件はございません。何も問題はないかと」
「どうか、ご武運を」
緊張した面持ちの配下二人の言葉を受け、レリエルは「戦うのは私ではありませんが」と苦笑いして返した。




