第70話 飛び交う策謀①
継承競争に関わる話し合いは、レリエルの宣言を正式に認め、そこで閉会となった。
この先を思って暗い感情に沈みかけるアスタレーナだが、彼女にはまだやることがある。
「ネファーレア、ちょっといい?」と尋ねると、妹は呼びかけにビクッとして体を震わせた。意外な反応に苦笑いしつつ、アスタレーナは言葉をかけていく。
「後でお茶でもどう?」
「は、はい……」
このタイミングで持ちかける提案に、やはり察するものがあるのだろうか。戸惑ったような様子で、ネファーレアは答えた。
その後、二人はアスタレーナの私室に向かった。
王族の私室とはいえ、一人で使うにはさすがに、物理的に広すぎる感のある部屋だ。その主は「執務室の方が落ち着く」と、冗談交じりに言っている。
広い部屋の中、こじんまりとしたテーブルに着席したネファーレア。一方、部屋の主は自ら淹れた茶を運び、テーブルに置いた。
「ごめんなさい、お姉様の手を煩わせてしまって……」
「いいのよ。趣味でやっていることだし」
人払いが必要な会話のため、茶を淹れる程度の事も自分たちでやらねばならない。
となると、部屋の勝手を知っていて茶の趣味があるアスタレーナが動くのが、自然な道理ではあった。
それでも、客は姉に対してかなり恐縮した様子ではあるが。
自ら淹れた茶で一服した後、アスタレーナは妹の様子をうかがいつつ、用件を切り出した。
「モンブル砦で戦闘があった件、あなたも知ってる?」
「……はい。死霊術師が動いたと」
この件について、発覚してからまだ数時間程度。ラヴェリア外務省からネファーレアに伝えたという事実はない。
おそらく、ネファーレアにはネファーレアで、別ルートの情報網があるのだろう。策謀のためと言うよりは、むしろ純粋な興味から、アスタレーナは問いかけた。
「どこから聞いたの?」という尋ね方の柔らかさに、ネファーレアは警戒心を呼び起こされなかったのかもしれない。さして緊張した様子も見せず、彼女は答えた。
「国定クラスの死霊術師同士で横につながりがあり、今回の件について情報が回ってきました……どこの国からということまでは、申し訳ありませんが……」
「いえ、そこまではいいわ。ありがとね」
申し訳無さそうな妹に、アスタレーナは微笑みかけて礼を言った。その言葉に安堵したのか、礼を嬉しく思ったのか、少し暗いところのある顔が解れていく。
そんな妹に微笑みかけながら、アスタレーナは関心の念を覚えた。
死霊術師というのは、個々人の力量にも差はあるだろうが、単騎で小国を攻め落とし得る存在だ。
そういった、一歩間違えればの危機を防ぐためにと、国とはまた別系統で横の繋がりがあるのだろう。
おそらく、今回の件に関しては、他勢力の諜報員が国家上層へと情報を伝達。その後、国からお抱えの死霊術師へ情報が流れ、そこから同業者へと横に伝播――といったところだろうか。
(死霊術師を抱える国は、だいぶ限られてくる。ルグラードとの関係があって、本件と関与が疑われる国と考えれば……)
つい思考を巡らせてしまったアスタレーナだが、彼女はふとした拍子に我に返り、妹に詫びを入れた。
「ごめん、ちょっと考え事を……」
「いえ、別に……お姉様、大変でしょうし……」
周囲には強気と思われているネファーレアだが、目上を立てるタイプではある。上下関係にうるさいところが、下々に対する気の強さとして現れているのかも……というのが、妹に対するアスタレーナの見立てだ。
ともあれ、リズが関わらなければ、落ち着いたところのある妹である。
――より正確に言えば、実母が関わらなければ、といったところか。
いずれの王妃も、王と成す子は一人だけ。そのため、異母兄弟同士で母を共有することはない。
そして、アスタレーナから見て、ネファーレアの母は……
ふと暗い気持ちに沈みかけ、アスタレーナは気持ちを切り替えようとした。
もっとも、切り替えたところで、結局はロクでもない話題に転がり着くのだが。ままならない現況を、アスタレーナは苦笑いで呪いつつ、妹に問いかけた。
「私は、ヴィシオスの手先かと思うけど……あなたから見てどう?」
「私も……消去法ですけど」
「他にやる国がいないって感じ?」
この問いに、ネファーレアは「はい」とうなずいた。
しかしこの妹、リズを討つためにと、他国へ死霊術による手先を遣わしたのだ。
アスタレーナとしては複雑な心境であった。継承権の問題や、リズとこの母娘の確執等々、そうせざるを得ないネファーレアの生まれ育ちというものもあるのだろうが……
とりあえず、今回の件に関しする専門家集団の見解は、アスタレーナの見立てとそう遠くはないようだ。
つまり、外に情報がほとんど漏れ出ない暗黒大陸の大列強が、人知れず食指を伸ばしてきたのではないか、と。
現時点でこれ以上の情報は望めないと直感しつつも、アスタレーナは妹に頼み込んだ。
「何か、あなたたちの側でも情報を掴めたら、その時は伝えてもらえると嬉しいわ」
「わかりました……」
素直に受け入れたネファーレアだが、何かに気づいたのか、もともと生気が薄い顔がみるみるうちに更に青ざめていく。
さすがに心配になったアスタレーナは、スッと立ち上がって妹に寄り添い、優しく声をかけた。
「大丈夫? どこか、具合が悪い?」
「ご、ごめんなさい……こういうことって、私の側から先にお話しておかなければと、今更気づいて」
(ああ、なるほど……)
アスタレーナとしては頼み込む意識があったが、受け取られ方が違っていたらしい。共有して当然の情報をそのままにしていた怠慢を、妹は自分で責めているのだろう。
そんな妹の頭に、アスタレーナは優しく手を置いてなでた。
「軽々しく言える話でもないでしょう? こういうことで慎重なのは、むしろ頼もしく思うわ」
「お姉様」
「ほら、元気出して」
アスタレーナが何度か優しく背を叩くと、妹はすっかり安心したように表情を柔らかくした。
色々難しい立場にあるせいか、手間がかかる妹ではあるが……それでも、アスタレーナにとっては、かわいい妹の一人でしかない。
その後、とりあえず茶を飲み終えると、ネファーレアは用事も済んだということで早々と辞去した。
「続報があるかもしれませんし……」とのことだったが、場を切り上げるための口実のようでもあった。雑談があまり弾まなかったからだ。
そんな不器用な妹に、アスタレーナは微笑んで送り出し、やがて自室で一人になった。
仕事は山積みだ。アポが入っている用件はないが、執務室へ早く戻らなければ。
しかしその前に、彼女はベッドに身を預けて横になり、天井をぼんやりと眺めた。
先の会議において、妹レリエルが挑戦の名乗りを上げた時、自分も名乗りあげようかという考えはあった。
というのも、レリエルが動いた時、現地の配下までもが巻き込まれるリスクを感じたからだ。
だが……それも結局は問題の先延ばしに過ぎないのでは? アスタレーナはそう考えた。
外務省の方針としては、革命を穏当に成立させた上で、新政権に介入する方向で調整が進んでいる。
それが一番、ラヴェリア含む近隣国家の秩序維持に資すると考えてのことだ。
しかし……革命の邪魔をさせないようにと、露骨に挑戦権を握り潰した場合、そのようなやり方を他の兄弟がどう思うかは定かではない。
むしろ、誰か一人がそういう手を講じた場合、継承競争に別の側面が加わり、そういう方向性が加速する恐れがある。
つまり、継承競争で認められる各種強権を、リズ殺害にかこつけつつ、むしろ別件のために行使するような流れが。
アスタレーナとしては気が進まない話ではあるが、革命の邪魔をさせないためにと自ら挑戦権を行使する場合、リズの命を狙うためと認められるだけの、十分なアクションは必要だろう。
そして、そのターゲットは、今や革命全体にとって欠くべからざる立ち位置に着きつつある。いや、すでにそのようなポジションにあるのかもしれない。
状況に心を悩ませるアスタレーナだが、彼女は決断を下して部下を動かさなければならない立場にある。
やがて、彼女は一つ着想を得た。これが受け入れるかどうかは不明だが……彼女は立ち上がり、執務室へと足を向けた。




