第62話 VS死霊術師②
迫りくる屍人を前に、バックステップで距離を取るリズだが、早晩追いつかれることだろう。明らかに生前を超える屍人の動きが、少しずつ彼女の活路を削いでいく。
ただ、それは陸に留まればの話だ。
三体から囲まれないよう、彼女は先を見越した運足で飛びかかりを避けつつ、《空中歩行》で地を離れていく。
そこへ、死霊術師がいると思われる方角から、《貫徹の矢》が迫る。
これを《防盾》で相殺したリズは、敵へと視線を向けて仕返しの貫通弾を放った。
透視図の中の敵は、これを当たり前のように防いだようだ。
そればかりか、何らかの魔法の準備中らしい。向こうの建物の中で、何か大きな魔力の存在が感じられる。
それを目にした瞬間、リズは直感的にざわつくものを覚えた。
陸にいる屍人の動きは確かに脅威だが、空に浮けばどうにかなる。
では、こんな手駒を繰り出してくる、相手の狙いは何だろうか?
高低差に対応しきれない屍人は、相手を宙に浮かせるための布石に過ぎないのだろうか?
主たる攻撃は、準備中に見えるあの魔力?
――もしかすると、両方が本命なのでは?
この屍人たちにも、空中戦に対応するだけの何かがあるかもしれない。
具体的な手口は何もわからなかったが、リズは警戒を絶やさずに、注意を傾けた。
すると、屍人の内一体が、その内から魔力を発し……リズにもお馴染みの魔法陣を足元に刻んだ。見えない階段を猛進し、彼女の方へ迫る。
予想外の出来事だが、警戒心を持って構えていたことが幸いした。彼女はすんでのところで身を翻し、敵が放つタックルを回避。
空中でギリギリすれ違い、彼女が背にした建物の外壁へ、屍人が盛大な音を立てて衝突した。
だが、研ぎ澄まされた彼女の知覚は、別の現象を即座に捉えていた。またも、別の屍人が魔力を操っている。
片や、宙を駆け上がってきたあの屍人は、足もとの《空中歩行》を失って地に落ちていく。
この状況の解釈を後回しにし、リズは反射的に防御魔法を構築した。
わずかな時間の後、幾重にも重なった《防盾》に、屍人の手から放たれた《火球》が叩きつけられた。
《火球》そのものの威力を《防盾》が防ぎ切り、溢れた爆風に乗って、辺りに魔力の炎が広がっていく。
この爆炎を隠れ蓑に、リズは背後の建物へと、窓から飛び込んだ。
地面を得るや、即座に貫通弾を連射、死霊術師本体らしき魔力に撃ち込んでいく。
しかし、それらしい手ごたえはなく、下の階からは何者かが入り込んだ足音。
(どうせ二体でしょ)
敵勢の動きは自身を窓から出させるための陽動と、彼女は考えた。
ただ、出るわけにはいかない。この建物の中には、彼女が《貫徹の矢》を数発撃ち込んだ工作員が、まだ取り残されている。敵勢力ではあるが降伏済みだ。
それに、すでに脱出した者に、彼を助け出すとの約束を交わしてもいる。
救助対象へと、リズは駆けていく。
入り込んだ陰気な建物の中は、やや冷たい空気が張り詰めている。窓から差す陽光もかなり控えめで、申し訳程度の日差しが、一層に陰鬱な雰囲気を醸し出す。
そんな廊下を一人駆け抜け、やや遅れて屍人が追いかける音が背に迫る。後ろからは貫通弾も。
自身に向けられた攻撃をいなしながら、リズは先の攻防に考えを巡らせていく。
魔法を使う不死者というのは、極めて限定的だ。
リズが知る限りでは、自らの意志で不死者になることを選んだ死霊術師のみが、そのような存在になる。
そんな、自らの意志で魔法を行使できる不死者はリッチと呼ばれ……例外なく、全ての国家から討伐対象とされる。国際的な対立だの何だのは一旦棚上げして、だ。
なぜなら、絶大な魔力と知識を兼ね備えた不朽の存在を、人間社会は許しておけないからだ。放置しておけば、生者に取って代わって、死者が世を埋め尽くしかねない。
では、リッチ以外に魔法を使える不死者がいるかと言うと……リズは知らない。
魔法を使うには、術者としての意識が必要である。魔力で以って、定められた様式に従って何かを書けば、それで魔法が出るというものではないのだ。
その、魔法に必要な意識というものが、一般的に死者には存在しない。
しかし、完全に傀儡となり果てた死者が、現に魔法を使ってきた。
その原理はリズの知ったことではないが……あり得ない話ではないと彼女は考えた。
おそらく、大方の不死者は魔法を使えないという通念を逆手に取り、魔法を使えるようにする魔法や技法があるのだろう。あるいは、そう見せるトリックがあるのか。
いずれにせよ、見られてはマズい秘伝だろう。敵は、この場の全員を始末するつもりでいるはず。
――そしておそらくは、自らの手勢にしようとも――
思案の間にも、貫通弾の妨害が入る。ただ、攻撃の始点と離れているせいか、狙いは甘い。
少なくとも、《雷精環》による思考加速があるリズを捉えきれるものではない。彼女は射線を見切り、避けつつ廊下を走り抜ける。
やがて彼女は、透視した視界の中で、例の救助者にもうじき接触することを確認した。
と同時に、それまでリズ狙いであった攻撃に変化も。やや射線がズレて、より向こうの要救助者へ。
そして、彼に迫っていく《貫徹の矢》は、それぞれ別のアングルからだ。死霊術師本人と屍人の連携に違いない。
これまでは放置されていた彼だが、リズと彼の間で攻撃が生じていないことから、死霊術師は停戦状態を見抜いたのだろう。狙いを変えたのは、ささやかな嫌がらせというところか。
狙われている彼自身が防御魔法を構えられる可能性はあるが、リズは過信しない。向けられた射撃両方を相手取り、防御魔法を重ねて無効化していく。
その最中、彼女はこの屋内戦闘と隠密、そして死霊術との相性というものを理解した。
屍人にするなら、四肢はそのままにしておきたい。できれば、大きな傷などがない方も好ましい。
その前提を踏まえれば、臓物を射貫いて弱体化、あるいは絶命させる《貫徹の矢》は好適だ。
また、着弾時に傷はほとんどできず、打撃に近い効果を発揮する《追操撃》も、五体満足な死体を作る上では便利だろう。
こんなところに死霊術師が――と、最初は思ったリズだが、死霊術と隠密工作の組み合わせ自体、今ではそれなりに腑に落ちるものになった。
攻防に並行して考察を進めつつ、彼女はついに救助対象の元に合流を果たした。
彼女がすでに数発、《貫徹の矢》を撃ちこんでいたということもあり、いくらか弱っている様子だ。
ただ、急所は外れているようで、そこまでの切迫感はない。
それに、今も自前の防御魔法で備えているあたり、見上げた精神力を持っている。
彼は、目の前にいる少女が、自分を撃った相手だと承知していることだろうが……リズには敵意は見せないでいる。
そんな、やや虚ろがちな目で息を荒くしている彼は――急にハッとした顔になって、疲弊した体から大声を絞り出した。
「後ろッ!」
リズの背へと、全力疾走の屍人が迫る。両手を前に突き出し、組みつこうという体勢だ。
これに対し、リズは……その場でくるりと身を翻し、突き出された両腕を素早くそれぞれ両手でつかんだ。
流れるように動く彼女は、背中から柔らかく着地するように腰を落とし、振り上げた足で相手の腹を押し上げるように支えた。
この巴投げにより、屍人の突撃の勢いは円運動に置換されていく。その突撃力が災いしたのか、屍人の判断力では、軌道修正するだけの時間も余裕もなく……
結局、屍人は窓の外へと投げ飛ばされた。
敵を排除したが、これで無力化したわけではない。
それに、まだ他にも敵はいる。相変わらずやってくる貫通弾をいなしつつ、リズは要救助者に手を差し伸べ、背負った。
「あなたは温かいわね」
笑っていいものかどうか微妙なジョークを、彼は鼻で笑い……苦しそうにしながら口を開いた。
「無理だと思ったら、捨てて逃げてくれ」
「約束は守る質なの、心配ご無用よ」
「しかし……」
「捨てたら敵が増えるでしょ」
様々な含みを込めた言葉を軽く放ち、リズは男一人を背負ったまま駆け出した。
荷を背負うこの状況は、彼女にとって確かに不利ではある。
そもそも、敵が多勢であり、死霊術師が力の底を見せていないように思われるのも不気味だ。しかし……
リズはこの戦いを、ある意味では好機だと考えた。
彼女には、妹と直接戦う日がいずれ来ることだろう。魔導師として最高級の血筋を持つ、恐るべき死霊術師の、あの妹と。
その決戦に先んじて、自ら戦えるほどの死霊術師がどれだけのものか、この身で経験できる。知らない魔法の知識を得られる。
ならば、今日はちょうどいい予行演習だ。
それほどのポジティプさと強気さがなければ、生き抜けない生を、リズは生まれ持って強いられ――
今も生きているのだ。




