第60話 VS工作員たち④
水鏡に映し出された本陣に、リズは視線を巡らせた。
激しく争い合った形跡はない。周囲には敵と幹部合わせて、ごく数人程度。隙を見計らっての強行だろうか。
あるいは、クリストフに十分近づける者が下手人で、何か適当な理由を設けて人払いしたか……
幸いなのは、革命の首脳陣が、陣中での武器携帯を許していないことだ。必然的に、映し出されている全員が徒手である。
それでも、クリストフの背後にいる二人と、この視界を提供している者は、魔法を使えるか、何かしら暗器でも持っていることだろうが……剣やナイフを首筋に当てられるよりはマシだ。
そうして状況について思考を巡らせるリズに、彼女が先ほど降伏勧告を向けた男は、意趣返しをしてきた。
「身の処し方は、よく考えるんだな。こちらが命じれば、これで革命もおしまいだ」
「向こうと会話は?」
「は?」
「お前が見せている映像が、本物という証拠がないわ。でも私は、《遠話》を刻んだ魔導書を彼に持たせている。映像の中の彼と会話できれば、信じてやってもいいわ」
「許可しない、と言ったら?」
やや固い面持ちで男は問いかけた。それに対し、リズは細い目で射貫くような目を向け……
「革命を終わらせたいだけなら、さっさと殺せばよかったでしょ」
彼女の言葉に、男は軽く鼻を鳴らして笑った。
「《遠話》だけならいいだろう。しかし、少しでも妙な動きをしてみろ。奴の命はないぞ」
「魔法を見間違いしなければ、それで十分よ」
そう言ってリズは、両腕を前に出した。暗器などを持っていないというポーズである。
その後、指先から魔力を出し、ゆっくりと魔法陣を刻んでいく。間違いなく、《遠話》を作っているところを示すためである。
実際、彼女の動きに妙なところはなく、男も外に指示は出さないでいる。
ただ、魔法陣が出来上がるその前に、男は声をかけた。
「大声で助けを呼ぼうなどとは考えるなよ。《念結》も同様だ。視えているからな」
「言われなくても」
冷静に言葉を返しつつ、リズは考えた。
早計は禁物だが、クリストフを囲む連中は、さほどの者ではないのではないかもしれない。
あるいは、実はクリストフを殺さずにおきたい理由があり、脅しはポーズに過ぎない可能性も。
いずれにせよ、相手の本心がつかめない以上、乗ってやるしかない。こうしている間にも、城塞の中で何か起きては困る。
二つの戦場に身を置くリズは、小さくため息をついた後、出来上がった魔法陣に話し掛けた。
「クリストフさん」
『エリザベータさん!? そちらは、大丈夫ですか!?』
「私が優勢です」
これに対し、映像の中の男たちは笑ったが、リズの目の前にいる男の顔は渋い。《念結》の線が青白く光り、外へと言葉を運んでいく。
その中身を傍受できないリズだが、クリストフ周辺の映像を見れば、言葉のおおよそは察しが付く。緩んだ手勢の気を引き締め直しているのだろう。そして……
(送信役含め、やはり三人ね)
目の前の工作員から伸びる、束ねられたような《念結》の魔力線から、リズは敵勢力を読み取った。
背後の二人が笑みを引っ込めて少し後、クリストフは心底恥ずかしそうに顔を歪め、口を開いた。
『こんなことになってしまい、申し訳ありません』
「クリストフさん」
『……何でしょうか?』
「今は重要な交渉の局面です。聞き間違えると良くありませんし、魔導書をもう少し上に持ってもらえませんか? お互いに大声を出せない状況かと思いますので」
送られている映像の中でクリストフは、リズが渡した魔導書を、大事そうに両腕で抱えている。ちょうど胸元あたりだ。
そのせいか、彼の声は少しくぐもり、リズの側にはやや小さく響いている。
実際、大声についてはリズも釘を刺されたところであり、クリストフの側も同様だろう。
リズの発言に対し、工作員たちはこれを了承した。
そこで、映像の中、魔導書を少し持ち上げようとするクリストフ。
しかし、体の震えからか、彼は魔導書を取り落としてしまった。
地面で開かれた魔導書に、彼は慌てて屈み、手を伸ばそうとする。
その様が映像に映し出され、彼の失態を笑う当地の工作員たち。
しかし、リズの前にいる男の表情は硬い。何か、嫌な予感を覚えたのかもしれない。
勘のいいことに。
――それが現実のものになる。
クリストフの手を離れ、地に落ち開かれたページが輝き、《追操撃》が放たれる。
突然の事態に対応できず、映像の中で打ち倒される工作員二名。
しかし、送信役は冷静であった。すかさずクリストフ目掛け、魔法の記述に入る。
だが、まるで風に煽られたかのように、魔導書が捲られていく。
開かれた数々のページからは、瞬時にいくつもの魔法が飛び出していった。クリストフを守るための防御魔法。
そして、攻撃を数倍にして返すかのような誘導弾の連射。
せめて相打ちを狙ったのか、それとも防御が間に合わないと見たのか。視界役の工作員は玉砕覚悟の闘志を示すかのように、クリストフに最後の一撃を放った。
しかし、それも魔導書からの防御が塞き止め――
遠地からの映像は、そこで途絶えた。
瞬く間の奇襲の後、平然とした様子のリズが、現場に話しかけていく。
「クリストフさん、大丈夫ですか?」
『は、はい、大丈夫です』
「何よりです。周囲の仲間と連携し、事を荒立てないように抑制してください」
『わかりました』
いきなりの事態に、さすがに彼も困惑を覚えただろうが、《遠話》での声を聴く限り、そこまで腰を抜かした様子はない。
彼の思わぬ芯の強さを、頼もしく思うリズであった。
さて、向こうのことが片付き、これでこちらに専念できる。
リズが目を向けると、交渉相手は当惑しつつも口を開いてきた。
「あれは……意図的にやったのか?」
実際、魔導書を彼に手渡したのは意図してのことだ。
彼女は、“連絡手段“として公に見せつつ、その実、何か起きたときの護衛として、自作の魔導書をクリストフの手に預けておいた。そのための仕込みがあれば、遠隔でもある程度は動かせる。
クリストフが魔導書を取り落したのも、リズがそのようにし向けた。彼が震えたように見せかけながら、魔導書そのものを揺らしたのだ。
事が終わった後となっては、恥をかかせてしまったかも……と、彼女は少し罪悪感を覚えはしたが。
そして、魔導書を地面に落とさせ、彼を屈ませ――魔導書による防護圏に近づけつつ、“自然”と魔導書のページを捲っていった。
あらかじめ仕込んでおいた、汎用性の高い魔法を使うために。
これがタネ明かしであるが、相手に答えてやる義理はない。リズは淡白な調子で返した。
「勘違いしてない?」
「何?」
「聞ける立場かって言ってるのよ」
この言葉で、相手は多くのものを察したようだ。表情に諦念が浮かぶ。
そこで、リズは状況認識の共有も兼ね、追い打ちをかけていく。
「これで、あなたたちの勢力からの捕虜は四人。扱い次第では、一人ぐらい口を割るでしょうね。意地張って死ぬかどうか、自分で決めればいいわ。ただ……」
「何だ?」
「あなたたちの目的とするもの次第では、この革命と共存できるかもね。目的とプライド、どっちを取るかよく考えるといいわ」
リズの言葉に、男は渋面で考え込み……両手をゆっくりと頭の上に。
「降伏する」
「《封魔》をかけても?」
「無論だ」
《封魔》というのは、自分の意志で魔力を使えなくする拘束魔法のことだ。
これは一発で相当の無力化を可能にする魔法であり、区分としては呪法の域に入る。
しかし、この呪いに対し、ほとんどの国では規制がかかっていない。護衛等を営む者には、むしろ推奨されているほどだ。
なぜなら、この呪いは相手の同意がなければ拘束が成立しないからだ。
悪用しようと思ってもできるものではなく、一方で降伏者の安全も確保しやすく、間違いを防ぐことができる。
そこから私刑につながることも、皆無ではないが……
先ほどの言葉に偽りなく、男はリズの拘束を受け入れた。書かれた魔法陣が、彼の服と表皮をスッと超え、内側に取り込まれていく。
これで彼は、魔力を使えなくなった。
処置を済ませたリズは、間をおかず、クロードにこれを報告した。
『工作員を一人確保したわ』
『ホ、ホントかよ』
『ええ。傭兵の方に、拘束処置済みって言ってもらえれば、話は通じるわ』
――と言いかけたところで、末尾にかぶせるように、砦の方から大声が放たれた。
「な、なんだコイツ! ぐ、ぐうぅおぉぉオオオオ!!」
魔法陣から魔法陣へ乗り、絶叫が木霊する。
急な事態の到来に、リズと捕虜は身構えた。
『一人、外に向かわせるわ。なるべく早めに、クリストフさんの前に突き出して』
『了解。二人使っていいか?』
『ええ。念のため、あなたもついて行って』
クロードと会話しつつ、砦のすぐそばに兵力を残すべきかどうか、リズは少し判断に迷った。
悲鳴の主は、もう声が出ないのかもしれない。残響した叫びだけが、砦の中を満たしているようだ。
そこで彼女は、確保した男に向き直り、「早く行きなさい」と言った。
男は反発するでもなく、異変が生じている砦を一瞥した後、門へと足を向けて足早に進んでいく。
そんな彼は、去り際に言った。
「あんたにやられた奴に、降伏の旨は伝えてある」
「手間が省けたわ。ありがとう」
「……言えた義理じゃないが、救い出してくれ」
明らかに雰囲気が変わった中で、今までを遥かに超える凶兆を、彼も感じているようだ。
「もちろん」と答えたリズは、去っていこうとする男の背をすれ違いざまに叩いた。
敵には違いない。しかし、話し合いの余地がある相手だと、リズは思った。
だが、砦の中の敵はどうだろうか?
急な動きで、砦の中の生存者は一人減ったようだ。生存者は五人。
しかし……また一人、声を上げた。その叫びが《遠話》に乗り、リズを揺さぶる。
「こ、こいつ……屍人か!?」




