第59話 VS工作員たち③
屋内に走る《念結》の線3つ全てに、リズは《傍流》の仕掛けを組み込んだ。
その後、彼女は砦の中でも人がいない側へと動き出した。
砦の全面を覆う《遠話》の壁は、今も外の環境音を取り入れて、砦の中を屋外以上に風などの音で埋め立てている。
音のやり取りは魔力のやり取りも伴い、透視した視界の中を、青白い魔力のつながりが縦横に塗り潰す。
この檻に囲まれ、魔力の透視による識別が少し難しい状況ではあるが、それでもリズの動きは即座に把握されたようだ。
『例の女か?』
『外に向かうように見える』
『とりあえず撃つか……』
『次は何をする気だ?』
そこかしこで発される、声なき言葉のやり取り。
傍受によって頭の中に流れ込む言葉を読み解く限り、とても肉眼には頼れない環境下でも、リズの個体識別ができている連中のようだ。
敵ではあるが、この注意力と観察力、記憶力等々……目を見張らせる能力に、彼女は感嘆の念を抱いた。
もちろん、ここまでの攻防における戦闘力についても。
傍受状態を確立した彼女は、次なる行動のために脅しをかけた。《遠話》の出力を上限まで引き上げ、屋内に走る魔力線を、一層濃いものに。
工作員たちは、この変化が何を意味するのか知っている。音を立てれば自滅しかねない。
今でさえ、屋外と見紛う――いや、聞き間違えるほど、共鳴し合う風の音が屋内に響き渡っている。
そして、わかっていても、打開のための行動には移れないのだろう。
なにしろ、音の監獄は彼らにとって初めての経験だろうし、この状況が成立して、さほどの時間が経っていない。
それに、共に睨み合う同業者のこともある。動くに動けないのが実情だろうと、リズは判断した。
この機に、彼女は動き出した。《遠話》ネットワークに塗り潰される透視図の中、彼女の識別は難しかろう。
仮に見つけたとしても、音の発生リスクというものがある。即座に攻撃に移れるものか。
実際、何の問題もなく、彼女は屋外へと脱した。
外へ出た者は彼女だけだ。依然として、あの建物内に八人が残っているものと考えられる。
彼女は、すぐ近くにある別の建物の屋上へと、《空中歩行》で駆け上がった。
ここから敵の攻撃に応戦しつつ、情報を引き出していく。
そこで、彼女は《遠話》の威力を絞り、向こう側への視界が通りやすいようにした。
これに合わせ、砦の中にいる敵たちが、彼女へと無数の弾を放り込む。窓を超えての《追操撃》に、壁を超えての《貫徹の矢》。
この集中攻撃は、互いに違うと思われる勢力から、一斉にリズへと向けられたものだ。
示し合ったかのように向けられた怒涛の攻撃だが、彼女の技術という牙城を崩すには至らない。こうなると読めていた、ということもある。
彼女が集中砲火を《防盾》の連発でさばく最中、時折、砦の中の同業者同士で攻撃し合う様子も見られた。
ただし、それらは牽制程度の考えなのだろう。リズが対応する攻勢に比べれば、ささやかなものだ。
そして、狙いが完全にリズへと切り替わった理由は、砦の中で生じる戦闘音が教えてくれるている。
というのも、《遠話》によって音を捕捉される内側でやり合えば、リズの一人勝ちになりかねないのだ。
おそらく、あの中の全員がそういった理解にたどり着き、無音の合意を果たしたのだろう。
だがしかし……
リズは自身に向かう集中砲火を、的確に相殺していく。敵対勢力同士が見事に連動し、奇跡的なコンビネーションを決めた火力の集中も、彼女の命には届かない。
そして、彼女は切り札を切った。建物を覆う《遠話》たちの力を絞り、そのネットワークに、新たな一端末を組み入れる。
その新しい《遠話》の展開場所は、リズに迫る怒涛の攻撃の只中だ。
新入りの《遠話》を書き上げるや否や、彼女は瞬く間に幾重もの防御魔法を重ねていった。ぶつかり合った魔力が、激しい閃光と咆哮を上げる。
そして、この攻防による爆音が、集中する着弾点に添えられた《遠話》を通じ、砦を囲む全魔法陣へと送り込まれていく。
――リズを狙っていた攻撃の全てが、音と光となって、敵の側へと返っていったのだ。
建物の中で音の津波が何往復もする中、リズは《遠話》の出力を上下させていく。
声に出したメッセージではないが、意図は伝わったことだろう。
「徒党を組んで狙おうものなら、相応の報復が待つ」と。
これを機に、建物の中は完全に膠着状態へと陥った。誰かが引いた引き金が、全員を滅ぼす爆音を呼び起こしかねない。
それに、《遠話》同士がつながり合う魔力のネットワークの中、透視はほとんど役に立たない。
ここでリズが威力を絞れば、背景のごとき魔力の網目が薄まり、透視した視界の中で他の事物が浮き上がっていくのだが……彼女は徹底的に視認性を阻害するべく、《遠話》による魔力のやり取りを全開にした。
こうして、下手に動けない状況にしてやれば……連中が、いずれは何かしらのアクションを起こすとしても、その前にやるべきことはある。
――動くに動けない状況の中での、仲間内の会話。その傍受こそが、リズの最大の目的である。彼女はそれに、耳を傾けた。
この戦場においては、一番の支配力を発揮するリズだが、大局的には一番弱い立場にある。
いずれの工作員も、背後には何らかの勢力が構えており、情報面の優位は革命勢力以上の物があろう。
そこで、この膠着状態を活かして、リズは情報格差を少しでも埋め合わせたいのだ。
それも、今後を占う上で重要な、この戦いの中で。
リズの期待通り、砦の中にいる工作員たちは、機をうかがいながら会話を始めた。
傍受できている三組六名から漏れ出る言葉を、彼女は集中して拾い上げていく。
思考加速の禁呪、《雷精環》の力がなければ、とても成立しえない作戦だ。
ここで気に留めるべきは、今回の戦いそのものよりも、外とのつながりである。
たとえば、待機中の本隊に潜むお仲間や、本来の所属、作戦司令の中枢部・根拠地、本国等々……それらしい固有名詞が出てくれば儲けものだ。
しばらくすると、『呼ぶか?』という、いかにもな言葉が飛び出した。
それまで、これといったフレーズが出てこなかっただけに、思わず身を少し乗り出し、心の中で耳をそばだてるリズ。
しかし……他の会話に混ざって聞こえる返答は、やや期待外れであった。
『いや、止めておこう』
『泥沼だぞ?』
『呼ばせるのも狙いかもしれん。外との《念結》がアクティブになれば、外の女に真っ先に知られるだろう』
『そうだな』
(そうなのよ)
情報のやり取りが発生しなければ、魔法同士のつながりはほとんど顕在化しない。見えないこともないが、視認には相当の集中力を要する。
そして、会話中で活きている魔力線でなければ、リズとしても傍受の仕掛けようがない。
外と会話してもらい、それに乗じてさらなる情報を……そう考えていたリズだが、相手の警戒心の前に、実現することなく終わった。
戦場の動きが止まって数分後。音の檻の中、敵は全て塩漬け状態である。
時折、リズは《遠話》の出力を上げ下げし、揺さぶりをかけていく。
この嫌がらせに工作員たちは反応を示さないこともないが、大きな動揺は見られない。
覚悟が決まっている、あるいは爆音に囲まれる環境の中、他を出し抜いてやりきる自負心があるのだろうか。
思ったほどには有益な情報を得られていないリズだが、オリジナル魔法の効果を立証することはできた。
(それだけでも十分かしら)
そう彼女が思い始めたその時、魔力の線に塗り潰された檻の中で動きが生じた。別個に、少しずつ外へと動いていく者が二人。
その二人を結ぶ《念結》から、会話がリズへと漏れ出てくる。
『先に出る。そちらは回り込んで、合わせてくれ』
『了解した』
『いざとなれば、外を動かすぞ』
リズが作り上げた音の監獄だが、出ようと思えば出られる。
まず、魔力で透視しても、魔法陣同士のネットワークで視界が埋め尽くされる中、外へ出ようという動きは気取られにくい。
加えて、外へ出ようという同業者の動きを察知しても、それを妨げるのは下策だろう。交戦によって内部で爆音が炸裂し、結局は自滅しかねない。
よって、その場合は成すがままにして静観するか、便乗――たとえば、脱出者をリズと戦わせ、それに乗じて彼女を始末――するのが賢明と思われる。
今回の動きについて言えば、外へ向かう動きに乗じて、少しずつ配置が変わりつつあるようだ。
では、その気になれば出られるこの監獄の中、今まで留まった理由は何であろうか?
その理由は様々であろうが……リズの前に躍り出ようという男の顔は、何かを物語るものであった。緊迫感で、かなり硬い表情をしている。
彼は、城塞の窓から外へ跳び出るその前に、用心深く魔法の防備を固めていた。全方位型の《防盾》とも言うべき魔法、《防殻》だ。
これは敵の攻撃に対して狙い定める必要がない分、扱いやすくはあるのだが、その分だけ魔力の消耗が激しい。
記述の難度も《防盾》以上だが、それ以上に使い時の見極めに修練が必要とされる、中級魔法だ。
そして、彼はだいぶ上等な部類に入る。
彼は、窓を飛び出る際、体を激しくひねって背面を地に向けた。窓の高さをハードルとする宙がえりである。
この賭けは奏功した。リズは別の建物屋上に陣取っており、降り注ぐ攻撃は当然上からだ。
宙返りしつつも、彼は防御魔法を急いで書き上げ……リズの火勢に押し込まれそうになった。
そこで、同僚からの脱出のサポート。それに加え、便乗勢力による火線が彼女に向く。
それでも自身の守りを継続しつつ、彼女は精密無比な《魔法の矢》を叩き込み続けていった。
元は構いきれない方向からの攻撃に備えるための《防殻》だったが、結局は正面から打ち崩され、淡い光へと還元されていく。
だが、一度だけでもしのぎきれたのなら、それで十分だったのかもしれない。
彼はどうにか、リズがいる建物の中へと飛び込んでいった。
それを見た彼女は、《遠話》をこっちにもやっておけば……と思った。
思っていた以上に防御の手際が良い相手だ。それを支援する仲間と、他勢力の協力も見事。
彼らは、変わる状況が彼女に掛ける負荷と、《遠話》での脅しのリスクを照らし合わせ、賭けに乗ったのだろうか。
局面の変化により、過ぎたことを考える余裕が少しづつ削がれていく。
一階に入り込んだ敵と、その同僚との会話から、新たな建物を活かしての挟撃を狙っていることがうかがい知れる。
この二人以外にも、メインの建物での動きが気がかりだ。
そこでリズは――屋上から飛び降りた。
高度が急激に変わる中、彼女の透視した視界に、初めて入り込む建物の中を動く男の姿が映る。
彼目掛けて、リズは《貫徹の矢》を連射した。自身が上から下まで落ちていく、その動きが始点の変化となり、滑らかに放たれた矢の連撃が、狙い定めた一点へと集中する。
この、予想外かつ短時間のうちに射線が変化する連射に、標的は対応しきれなかったようだ。貫通弾をいくらかその身に受け、透視図の中で動かなくなる。
リズは報復らしき攻撃を相殺しながら、《空中歩行》で空を横に“蹴った”。落下に横向きの力が加わり、回避運動としていく。
すると、魔力の攻防に混ざって、この交戦の主役たちの会話が漏れ聞こえてきた。
『クソが……』
『大丈夫か?』
『死んではいないが……』
そんな会話に、リズは――どこか安堵している自分に気づいた。
甘いことを言っていられる状況ではない自覚が彼女にはあるが、それでも殺人は気が進まない。
それに、実利面での助命理由がいくつかある。
まず、自分は裁きを下す立場の人間ではない。そういう認識が彼女にはあった。できる限り殺さずに捕え、クリストフたちに引き渡す。
その上で、この集団なりの秩序というものを、付き従う者たちに示さなければ。
それに……紛れ込んでいる勢力と、交渉の余地はあるかもしれない。
もちろん、革命の成否や、方法論についての対立はあることだろう。
が……多くが見逃していることがある。
――この革命の真の敵は、外圧をかけてきているラヴェリア聖王国、それも主戦派だということだ。
説得・交渉は容易ではないだろうが、これで途切れた道がつながるという目があるかもしれない。
そもそも、この革命は“対話”を理念としている。それに賛同した者たちのことを思えば、できる限りのことは手を尽くすべきだ。
でなければ、歯止めの効かない暴力が、かつての同胞たちとの間に、血で血を洗う抗争をもたらすことだろう。
彼女は倒した男の片割れに、降伏勧告を始めた。
「これから、外に出ようという者! いるでしょう? 降伏を受け入れるなら、二人とも殺さずにおいてやるわ。よくよく考えて行動しなさい」
だが、彼女への返答はない。代わりに、《念結》の声が伝わってくる。
『仕方ない。外のを使うぞ』
『ああ』
『心配するな、後で助けてやる』
それから、呼びかけの対象が城塞の外へと出てきた。彼から伸びた《念結》の線が、力を帯びてリズの視界内で青白く光る。
この砦の敷地を超え、外の本隊へとつながる線だ。何か指示を出しているのは間違いない。
そこでリズは、自身も《念結》でクロードに連絡を取った。
『クロード、本隊の方で動きはない?』
『こっからじゃ、良くわからないな』
『わかった、それでいいわ。傭兵のみなさんと一緒に、持ち場を離れないでね』
『ん? ああ、了解した』
相手がまだ動き出していないか、あるいはクロードたちには見えていないだけか。
本隊に何か仕掛けるのだとしたら、おそらくクリストフ狙いだろう。彼がいる陣の中枢部分は、クロードの位置からでは見えない。
となると、後は相手の出方次第である。
果たして、勧告した相手が壁から姿を現した。
ただ、彼の頭上には直径数メートル程度の、魔力の円が浮かんでいる。魔法陣が変じた、わずかに波打つ空の水鏡。
これは、遠くの映像を映し出す魔法、《離望鏡》だ。
彼のような工作員が、こうした高等魔法を使えること自体、特に驚きはない。情報のやり取りを行うのが仕事だからだ。
その円に映し出された映像それ自体は、ひと目見ただけでは何の変哲もないものであった。
革命の主導者、クリストフが映し出されている。
しかし、彼の近くには、左右後方に何か構えを取る男が二名。
それより少し離れたところに、リズにとっても顔なじみの、幹部が数名。
そして、この映像を提示してきた男が敵であるということ――
リズには、これだけで十分なメッセージであった。




