第58話 VS工作員たち②
(こんなものかしら……)
城塞の底面を除き、リズは全ての面を《遠話》の魔法陣で完全包囲した。
壁を覆う規模で展開するのは、彼女にとってそう難しいことではない。今回は、魔法陣のコピーを水平に展開する《増殖》を用いた。
これは、その気になれば際限なく、同じ魔法陣を水平に増殖させていくというものである。
彼女は、《叡智の間》の面積を算定するためにこれを用い――最終的に、あまりの負荷に夢から跳ね起きた経験がある。
それからも高負荷トレーニングと実力の測定に、しばしば使っている愛用の魔法だ。
今や《遠話》で覆われた砦の中で多少音を立てれば、一度生じた音が魔法陣から放たれ、建物内で反響した音を別の魔法陣が聞き、それを別の魔法陣へ伝えて吐き出し……
限りない音のループが完成する。
実際、ごく僅かな環境音も、一つの魔法陣が拾って他の魔法陣へと伝えている。
ここで爆音を一度発生させようものならば――
ただ、これは脅しの最終手段だ。今これを使う考えは、リズにはない。
なぜなら、後で砦の中に入り込むからだ。
覚えた魔法の仕様調査に余念がないリズは、夢の世界の中で、《遠話》もかなり使い込んでいた。そんな彼女なりの工夫がある。
まず、今回の《遠話》は出しっぱなしにしつつ、出力を調整できるようにしてある。魔法陣作成時の威力を上限に、力を絞り込むような機能だ。
この威力調整と《増殖》の組み合わせは、特定業界でよく用いられている。
例えば漁業等。足が速いものを扱う業種において、とれすぎた時に《保凍術》と組み合わせて大量に冷凍・冷蔵するのだ。
今回、リズが思い描いた策においては、出しっぱなし状態での通話による、音響攻撃の威力を低減することに意味がある。
魔法陣のオンオフを切り替える仕組みも存在するが、それではダメなのだ。
なぜなら、彼女にとっては、それぞれの《遠話》による魔力の流れが重要だからだ。
これは、今回の《遠話》であれば、音のやり取りがなければ発生しない。
そして、音と魔力のやり取りが起きれば、砦の中には魔法陣から魔法陣へと走る魔力線が生じる。
――合計で億を超える数の、青白い魔力の線が。
環境音のリレーになっている今も、魔力による透視図の中で、そうした線が無数に発生している。
リズがこうした状況を作り出し、それに対して工作員たちが反応を示した。
透視図の中で魔力の線が縦横に走る中、もはや固まって動く二人組はないことを、彼女は認めた。
一人ずつの行動になり、誰かが狙われれば、それを狙う誰かを仲間が撃つ。
かと思えば、その仲間にも攻撃が飛び……ふとした拍子にやり取りが途切れ、あるいは飛び火。
そんな攻防が少し続いた後、城塞は膠着状態に陥った。
孤立した駒と駒。どれが仲間同士か、砦の中のいずれにとっても、もはや公然の秘密であろう。
となれば、もはや合流は念頭にないものと思われる。下手に動けば、そこを突かれるのは間違いない。
単独で浮いた駒も、組まされた相方を先に始末するだけあり、相当な実力があるようだ。
この、それぞれがバラけた睨み合いこそ、リズが望んでいた状況である。
彼女は細心の注意を払い、城塞の中に入り込んだ。爆音でやられないよう、連動している《遠話》は一括で力を絞り込む。
案の定、彼女の存在に注意を向ける者は多く、彼女は迫る攻撃への対処を余儀なくされた。石造りの壁の中から、突如として現れる《貫徹の矢》、窓から窓へと飛ぶ《追操撃》。
彼女はそれらを、防御魔法で相殺していく。
事前に《遠話》を絞り込んでいたおかげで、戦闘音が壊滅的な被害をもたらすことはない。
それでも、かなり騒々しくはあるが。
向かってくる攻撃をさばきつつ、攻撃の切れ目に、彼女は《遠話》の威力を戻した。濃くなった魔力線の存在で、共倒れのリスクをチラつかせる。
そうして場の面々を手玉に取りつつ、リズは暗闘の中に溶け込んだ。お互い、動くに動けず、再び膠着状態に。
望ましい状況になったところで、彼女は透視図の中で走る、魔力の線に注意を傾けた。
本当の狙いは、内部で工作員同士をつなぐ魔力の線、すなわち、会話中の《念結》と思われる魔力のつながりだ。
そうした線の一つを目前にし、リズは精神を研ぎ澄ませた。
無論、相手にしてみれば、挟み撃ちに好都合な位置関係だ。当然のように、両サイドから魔法が迫る。
リズはここ一番の集中力で、両側の魔法を相殺、便乗する別方向からの攻撃にも対応した上で、本来の目的である《念結》の線に向き直った。
継承競争の中で、異毋兄弟が直接出張ってくることは、まだないとリズは考えている。おそらく、様子見の段階だろう、と。
そういう前提の上で繰り出してくる刺客は、有能な服臣か、あるいは操っている何か、はたまた契約で縛っている召喚物の類だろう。
トーレットの街で、契約関係の本を読み漁っていたのは、それが理由だ。
そして、いずれの刺客にしても、本国やご主人との情報のやり取りはあるだろう。
実際、《インフェクター》との戦いにおいては、そういった情報のやり取りがあったものと思われる。
リズは、そういった情報のやり取り……それも、魔法を介して行われるやり取りに、どうにか介入したいと考えていた。
(予行演習にはちょうどいいわね)
自分の夢の中では何度も試験を繰り返した新作だが、やはり現実の現地で使ってこそである。
それに、この状況下であれば、何か価値のある情報を耳にできるかもしれない。
逸る気持ちを覚えつつ、リズは構えた。
目の前を通る《念結》の接続線に対し、怪しまれないように一瞬で、複雑産奇な魔法陣を展開していく。
使った魔法は、魔力を介して行われるやり取りに混入し、その内容を自分にコッソリ送り返すという魔法で――リズのオリジナルだ。
これは、魔法を読んだり書いたりモノにしたり……魔力を操り理解するという点において、病的なセンスと適性がある彼女だからこそできる魔法だ。
(《傍流》ってとこかしらね)
狙いの魔力線に対し、《傍流》の魔法陣がクルリと丸まって対象の線と一体化。そこから横枝が伸び、リズの中へと伝っていく。
この状態では、彼女の側から心の声を伝えることはできない。しかし、二人の声なき会話を聞き取ることはできる。
――はずである。
接続に横枝をつなげたはずだが、つなげた途端に声が聞こえてくるということはなかった。
縦横に張られた魔力線のカモフラージュがあっても、やはり彼らは警戒して、余計な会話を控えているのだろうか。
(あるいは、私の魔法に失敗があったのかも?)
そこでリズは、試してみることにした。傍聴対象の片割れに貫通弾を一射。ついでに、窓から窓へと誘導弾も。
すると、報復とばかりに、ターゲットの相方から彼女へと同様の攻撃を放たれる。
また、この機に乗じようという連中が砦各所から攻撃。
狙われた二人は、今回の攻撃も難なくしのぎきり……魔法による攻防の音を《遠話》が拾い上げ、この魔法陣の網に乗った音が、今度もけたたましく砦の中を揺らす。
自ら仕掛けた状況だが、リズは音響の圧にげっそりする思いだった。
同時に、音の威力を絞らない最初期、これを聞かされた連中への、ほのかな同情心も。
この、音の乱撃は、他の連中の心も掻き乱しているようだ。
特に、彼女が標的とした二人も。
『クソが……』
『中に来てくれた方が、まだマシかもしれんな』
『ああ。奴が外に出たら、音が厳しくなるだろうしな……』
(その通り)
さすがに読みが早い。しかし、傍受までは感づかれていないようだ。
実は、リズには懸念があった。もしかすると、自分で編み出したと思っていた魔法が、実際にはすでに発案者がいるかもしれない。
であれば、こういう工作員には勘付かれるのでは……と。
それが杞憂に終わり、思い付きがうまくいったことに気をよくした彼女は、他の《念結》の線に狙いをつけた。
いずれも、騒々しくなるのを避けたいのか、攻撃については消極的だ。
他勢力の手先が、足を使って細かく動き、互いに牽制し合うという中、彼女は一人大胆に動いていく。




