第56話 モンブル砦攻略④
長きにわたって風雨を耐え続けてきた、堅牢な石の構造体が、瞬間的な魔法現象で破壊されていく。
禁呪、《雷精環》の力で加速した知覚と思考の中、リズの目に映るのは、中央から膨らむ石造りの屋上と無数の裂け目。
その間から、青白い破壊の閃光が零れ出す。
間違いなく、下の階で広域に炸裂する系統の魔法を使われている。怒涛の魔力に耐えきれず、石の屋上が波打つ。程なくして崩落することだろう。
屋上が壊れ始めて1秒にも満たない時間の中で、リズは破壊的な奔流の中に潜む、階下の刺客の存在を感知した。
これを仕掛けたと思われる二人組がまずは1ペア。これに乗じようと、距離を離して待機中に見える組も。
あらかじめ、リズたちは《空中歩行》の準備がある。この崩落に巻き込まれる心配はないが、この後の動きは選択肢がある。
すなわち、宙に留まるか、あえて崩落に紛れて降りるか、空に逃げ出すか。
そこでリズは、3番目の択を選ぶことにした。最初からの既定路線でもある。
彼女は自分たち二人の足元に《防盾》を何層も貼り付け、下からの爆発と追撃への備えとした。
そして、彼女はクロードの手を引き、空へと駆け上がっていく。
『逃げますよ』
『あっ、ああ!』
状況に呑まれかけていたようだが、クロードはすぐに自己を取り直したようだ。リズに合わせて空へと動き出す。
屋上を破壊した魔力が、石の屋根では飽き足らず、更に膨れ上がって二人の足元にまで迫る。
その爆風と《防盾》がかち合い、相殺された魔力の攻防が、鮮やかなきらめきへと化していく。
この、魔力渦巻く混沌の中で、潜伏者たちは実に的確な攻撃を仕掛けてきた。リズが念入りに張った盾を迂回し、《追操撃》が四方から襲い掛かる。
しかし、リズにはこれが読めていた。こういう状況に駆り出されるような相手だ。物理・魔力問わず、遮蔽越しの認識力と攻撃技術はあるだろう、と。
砦の上空へと駆け上がっていく彼女は、クロードを少し強く引きよせ、迫る魔力の砲弾を相殺しにかかった。瞬く間に複数の《防盾》を展開、迫る追尾弾を的確にさばいていく。
それでもなお、彼女ら目掛けて誘導弾が何発も、砦の各所から放たれる。完全に第一のターゲットとされたようだ。
いや……正確には、狙いはリズではなく、クロードに定まっているらしい。
敵から見える的を小さくしようと、リズはクロードと身を寄せるとうに空を逃げているものの、迫る誘導のライン取りはクロードに向いているようにうかがえる。
『まったく、大した連中ね……』
そして、見えている弾ばかりが脅威ではない。砦の壁の中を通る光線が一本、リズの視界に浮かび上がった。
これは、物体を透過し、標的の臓腑を撃ち抜く魔法の矢、《貫徹の矢》だ。ただし、これを単なる貫通弾としてではなく、さらに誘導力まで持たせて操っている奴がいる。
なるほど、まさにこういう状況にうってつけの魔法だ。砦の壁に潜ませ、距離をできる限り詰めたところで、奇襲をかけることができる。
一息つくにも、まだ時間と距離が必要だ。リズは、クロードの手を引いて空を駆け、別の手では防御魔法で誘導弾を叩き落していく。
その攻防の中、彼女の注意は砦の壁の中に留まる必殺の矢に。
相手からすれば、これで決めるほどの確信がないとしても、成否を次なる行動のきっかけにする程度のものではあるだろう。
最初の勝負所を前に、リズは静かに身構え――
矢が放たれた。空の二人へ迫りくる弾丸の群れに紛れるように、極細の矢が宙を疾走する。
正面から撃たれれば、宙に浮かぶごく小さな一点としか映らないであろう。事前に気づいていたとしても、タイミングを誤れば――という、絶妙の一射だ。
この魔法が実際にどのように作られ、機能しているか、内心では興味をそそられるリズではあったが、まずは防御と離脱を優先した。貫通性の高いこの矢に対し、防御魔法を展開していく。
そうして彼女が用意したのは普通の《防盾》だが、構え方が普通ではない。矢に対し垂直に構えるのではなく、矢に対して水平に、矢が円形の盾の直径を通るように構えている。
《貫徹の矢》は、非常に貫通力が高い魔法だ。心臓等の臓腑に当たらなければ、あまり効果が出ないデメリットはあるが、《防盾》等の防御魔法一枚では食い止めることが難しい。
しかし、こうして《防盾》の中を長く通過させることで、効果的に威力を相殺することができる。
もっとも、軸合わせに失敗すれば意味がない防御法だが……これを外すリズではない。彼女の精密無比な魔法さばきは、瞬時に迫る極細の矢を見事に捉え、完全に相殺した。
致命的な矢を無事に打ち消したところ、それが合図になったかのように、敵の攻勢が一段落した。散発的に誘導弾が迫る。
連中からすれば、緩急つけようという腹かもしれないが、砦の中の同業者も気にかかるところだろう。
差し向けられる火勢が弱まったのを好機と見て、リズは次の動きに入っていく。
『大丈夫ですか?』
『なんか、よくわからんけど……すっげえな」
素直な賛辞に顔を綻ばせ、リズはロバートとともに宙を駆けつつ、防御魔法とは別の魔法陣を刻んだ。待機中の傭兵たち五人につながる《遠話》だ。
小さな魔法陣を一瞬で書き上げた彼女は、通話先に話しかけた。
「みなさん、そちらは大丈夫ですか?」
『ああ、こっちは何もないぞ。そっちは派手にやってるみたいだが……増援要請か?』
「はい。空から合流し、まずはクロードさんの脱出をと」
『だと思ったぜ。余裕ができたら、後ろの方を見な」
そこで、攻撃を手早くさばき終え、言われた通りに視線を走らせると――《空中歩行》を使えるマルグリットとロニーの二人が、すでに砦の外上空で待機しているではないか。
空を脱出経路とすること自体、リズは最初から想定済みであった。主たる城砦は壁よりも高く、その屋上で何かがあれば、待機中の面々も目にするところであろう。
しかし、事が始まってまだ1分すぎたばかりという程度。傭兵たちの読みと察しの良さに、リズは感謝の念を抱いた。
次なる護衛担当の二人の方へ、リズとクロードは接近していく。
一方、マルグリットとロニーも、迎えに行くように動いていく。彼らが狙われる心配は、今のところはない。
なぜなら、罠の捜索対象を、建物一つに絞っていたからだ。お迎え二人は主戦場から遠い側にあり、砦の中から不意を打とうにも、精度が落ちすぎる。
結果、何の問題もなく、四人は空中で合流を果たすことができた。
それを邪魔するように、魔力の弾が度々襲い掛かるが、十分に距離を取ったおかげで何の問題にもならない。
リズはとりあえず、クロードをロニーに預け、二人に礼を言った。
「ありがとうございます。動き出しが早くて助かりました」
「それはいいんだけど……」
「何か?」
「他人行儀じゃない?」
マルグリットは、明るい笑みを浮かべた。
「それもそうね」と返しつつ、迫る弾を片手であしらうリズに、口笛を吹くロニー。
これで、クロードを陸上待機の三人の元へ送り返せば、ひとまずの問題は去ったとみていいだろう。
さっそく離脱しようという傭兵二人だが、その前にクロードは、「ちゃんと帰って来いよ」と言った。
「えっ?」
「いや、あんた一人で残って、あの連中を黙らせに行くつもりなんだろうが……」
「そのつもりですが」
「……なんか、他人行儀じゃないか?」
やや照れくさそうに声を掛けてくるクロードに、リズは微笑みを返した。
「リーザでいいわ」
「ん。帰ってきたらそう呼んでやるよ」
「ええ、またね。マルグリット、ロニー、よろしく」
仲良くなれたクロードのことは二人に託し、仲間たちが離脱を果たすまで、リズは宙に留まって散発的な攻撃を受け続けた。
去り行く三人の盾になるという意図もあるが、別の考えもある。
空中にいるリズに気を取られている敵を、別の敵が狙ってくれれば……そんな、敵の頭数を減らす展開を誘発しようという考えだ。
とはいえ、敵もさる者で、不用意に立ち回る者はいないようだ。依然として数は減っていないように見える。
少なくとも、城塞の中で大きな動きはないようだ。
壁越しの透視の中でもそれとわかる、腕利き揃いの敵に注視しつつ、リズは向かってくる弾丸を捌き続けた。
程なくして、クロードとの《念結》から、無事に合流できたとの旨が。
『こっちはもう大丈夫だ』
『了解。緊急時には、また連絡してね』
『わかった……あまり無茶するなよ』
『ふふっ、そうね』
初対面の時を思えば、随分と親切になったものである。
こういう変化を喜び、攻撃にさらされ続けながらも、リズは表情を柔らかくした。しかし……
『そっちに、また二人向かってるぞ』
『えっ?』
『協力したいんだってよ』
交戦状態に入ってからの動きについて、事前に明確な計画はない。相応に経験ありそうな傭兵たちのことだ、十分な考えあっての行動だろうが……
クロードの言葉通り、再び傭兵二人が空中で合流すると、ロニーが口を開いた。
「今から、あっちに戻るんだろ?」
「戻るというか、出撃するというか……」
「突入までの間、俺たちが囮になろうか?」
「お役に立てると思うけどね、どう?」
この二人は、今も迫りくる魔法の矢弾に対し、あまり物怖じした様子がない。魔法が専業というわけではないが、切り抜ける自信はあるのだろう。
後は一人でと考えていたリズだが、申し出自体はありがたく思った。それに、無理して動く二人でもないだろう。
ならばと、リズはこの提案を受け入れることにした。
「わかったわ。私が砦に取りついたら、すぐに離脱してもらっていいから」
「その辺は大丈夫。さすがに、好き好んで撃たれたりはしないって」
「ま、少しぐらいは手助けしたいなって、ね?」
今まさに、命のやり取りが行われる場ではあるが、どこか軽やかな感じのある二人だ。そんな振る舞いが妙に頼もしい。
リズは微笑を返して「行ってくるね」と言った。
二人を囮として残し、彼女は透明な坂を駆け降りていく。
砦に潜む者たちは、標的が二手に分かれたことに、素早く適応した。移動を始めたリズに対し、的確な狙いの誘導弾が迫り、空中の二人にも弾が向かう。
自身に向けられた攻撃をさばくのは訳ないことだが、二人のことが気になるリズではあった。
そこで、視界に入った弾に対し、行動を前倒し気味にしていく。盾をこちらからぶつけにいくようにして弾を叩き落し、周囲への警戒を保ちつつ視線はあの二人へ。
すると、二人の前に、砦の壁の外から魔法陣が飛ばされて来た。《投盾》と呼ばれる《防盾》の亜種だ。
これは、離れた仲間を守るために用いられる防御魔法で、チームプレー向き……なのだが、色々と問題がある。
まず、狙いが正確でなければ盾の役割をなさない。投射速度を上げたり盾を大きく作ったりすれば、実用性は上がるが負荷と難易度も跳ね上がる。
そのため、集団戦向けの魔法ではあるのだが、技量面での要求が大きすぎ、ある意味ではスタンドプレーに近い妙技のような魔法だ。
まともな使い手は相当珍しい。
そんな貴重な使い手が、この地にはいるようだ。空の二人を守るためにと、大きな盾が投げ込まれ、割って入る。
守られる側の二人も黙っておらず、盾で防ぎ切れなかった誘導弾を、長剣で弾いて防いでいる。
この調子なら大丈夫だろう。砦に再び目を向け、透視図から手薄な辺りを見繕い、リズはそちらへ足を進めた。
やがて、彼女は狙いの位置に到着し、確かな地面に足をつけた。素早く視線を動かすと、囮役の二人はそそくさと立ち去っていく。
彼らが引きつけていてくれたおかげで、リズは中々やりやすかった。
それ以上に、手伝ってもらえたという心理的な後押しも大きい。
目の前には、物々しい雰囲気を湛え、見上げるような大きさで威圧してくる砦。その中に潜む、いずれも手練れと思われる工作員。
陽光満ちる晴れ間の中にあって、砦の中は陰気で張り詰めた緊迫感と凶兆に満ちている。
しかし、それを前にして、リズの中には恐れ怖じる気持ちがまったく湧いてこない。
(私が怖気づいていては……笑われちゃうわね)
戦場を前にして、むしろ気力が満ちるのを、彼女は全身で感じていた。




