第55話 モンブル砦攻略③
砦の上を取ったことで、状況の全容をいち早く把握できているのはリズだろう。
この情報と視野の面でのアドバンテージを、うまく活かせるかどうか。多くは同行者の意向次第ではあるのだが……
彼女が地面に向けた視線を上げると、目が合ったクロードは、どことなくアンニュイな顔になってため息をついて言った。
「ちょっといいか?」
「何でしょう?」
「ビラの件、ありがとな。街頭演説も良かった。アレで、個人的にあんたに惹かれたって声も結構ある。あんたがいなきゃ、ここまでの規模にはならなかっただろうよ」
思わぬお褒めの言葉に、リズは思わず目をパチクリさせた。嘘や世辞のようには聞こえない。
少し固まってしまうリズに対し、クロードは少しイジワルなニヤニヤ笑いを浮かべた後、表情を引き締めて言葉を続けていく。
「俺らは、あんたのことを信用してる。人前では疑って見せてるけどな」
この、疑って見せている理由について、リズには思い当たるものがある。それが実際、クロードの口から語られていった。
「俺がアンタを疑ってれば、そういう姿勢を示していれば……どこぞの連中が動きやすくなって、少しは尻尾を出してくれるんじゃないかと思ったんだ」
「……かなり危ない賭けだったのでは?」
「ま、一人犠牲に差し出して、危険人物をいくつも炙り出せたなら……悪い話じゃないだろ?」
気丈にも笑って見せるクロードだが、手は少し震えている。
その自覚があるのか、一度深呼吸して気分を落ち着けたらしい彼は、言葉を続けた。
「今回、罠解除に参加した連中だが、自薦も他薦もある。ただ、あの連中の中に、面識のある奴はいなかった。俺だけじゃなくて、他のトーレット出身の幹部から見てもな」
「私みたいに、よそ者の可能性が高いと」
「ああ。あんたと違うのは、腕前に自信があったろうに、今の今まで名乗りなんて挙げなかったってことだ」
つまり、クロードたちの目から見ても、かなり怪しい連中が10名、同じ砦で動いている。
―――そして、その危険の中に、彼はその身を晒している。
「どうしてそこまで?」とリズが問うと、彼は「そういう状況でもないだろ」と、そっぽを向いて恥ずかしがった。
「大丈夫です。下の様子を見ましたが、動き出すにはまだ時間がありそうですので」
「下の様子って……見えちまうのか」
「はい」
リズの淡々とした返事に、クロードは観念したのか……あるいは、いい機会と思ったのかもしれない。潔さを感じさせるサッパリした態度で、話し出した。
「実は俺、みなし子でさ。クリスんちに拾ってもらったんだ。親父さんには、本当に世話になった……だから、追い出されたのは納得できないし、クリスのことは助けてやりたい。あいつ、担がれてあんな感じだけど、いっつも相当悩んでるからさ」
身の上話は以上だった。
話し終えた彼は、恥ずかしそうに「これでいいか」と尋ね……リズはうなずいた。
彼女から見てクロードは、本当に勇敢な青年だ。戦闘の経験などないだろうが、それでも彼なりに戦う意思があり、それに身を捧げている。
彼は決して強者などではないだろう。
それゆえに、彼が見せているこの勇気に、リズは心を打たれる思いだった。
(なんとしてでも、彼を無事に返さなきゃ……)
意志を新たにしたリズは、クロードをじっと見つめた。
「な、なんだよ……」
「いえ、先ほどの《空中歩行》以外に、あなたに使ってもらいたい魔法がありまして」
「へぇ……」
「使っても構いませんか?」
同意なしに使うのも、信頼関係に悪かろうと思っての問いだったが、クロードは「何をいまさら」とばかりに肩をすくめ、笑った。
これを同意と取り、リズは指先に青白い光を集めた。それでもやはり、拒絶の意志を見せず、まっすぐ見つめてくるクロード。
そこでリズは、まず自身にとある魔法を行使した。宙に刻んだ魔法が光となり、リズの中に吸い込まれていく。
続けてクロードにも、同様の魔法を用い、リズは心の中で語りかけた。
『これは《念結》という魔法で、自分の中で念じた言葉を、相手に届ける効果があります』
『なるほど。声を出さなくても、会話できるってわけな。伝えるつもりがないことまで伝わっちまうってことは?』
『そういう強度では使ってませんから、大丈夫ですよ』
そう答えて、リズは微笑みかけた。
この《念結》は、魔法と統治機構が存在する全ての国で、規制がかかっている魔法だ。
なぜなら、使用時の威力によっては、ふと心に浮かび上がったことまで否応なしに相手に伝わりかねないからだ。
対象の精神へのダメージを顧みない強度でこれを用いて、非人道的な尋問を行うこともできる。
また、声に出さすとも会話できるという性質上、夜盗や隠密行動などにはもってこいである。
そのため、使用が許可されるのは、公権力による超法規的行為に限定される。
――たとえば、リズたち二人の足元で、今まさに起きているような活動だ。
透視図の中で動く連中を目で追いながら、リズは現在の動向と見解をクロードに伝えていく。
『私たち以外には5組いますが、真面目に罠解除しているのは2組ですね』
『俺らも、真面目とは言い難いが……』
『フフッ、そうですね。それはさておき、罠を見つけてもスルーしているのが2組、新たに罠をこしらえているのが1組ですね』
『マジかよ……』
罠を作っている者は、確実に敵対勢力の手先だろう。
スルーしている者も、味方とは言い難い。おそらく、この後の事を見越し、すでにある罠を把握した上で、それを利用してやろうという腹積もりと考えられる。
では、真面目に解除している者が味方かと言うと、これも怪しい。クロードに言わせれば、今回の罠解除に参加した面々は、いずれも他所からやってきたようにしか見えないという話だ。そして……
『チーム分け、残った四人で2組作りましたよね?』
『なるほど!』
心の中で大声を出したクロードは、少ししてからハッとした表情で、少し頬を赤らめた。
これまで突っかかられた意趣返しに、リズはイジワルな笑みを浮かべ、小声で話しかけるジェスチャー。身振りに合わせて、心の中でも小声で話しかけていく。
『いい魔法でしょう?』
『……まあな。んで、残りもんの連中が……予定通りのペアを組めなかった奴らが、罠解除してるってことか』
『互いに怪しまれないように、様子を見ながら……ということですね。そうと決まったわけではありませんが、この2組の内で同士討ちが始まる可能性が高いです』
『で、俺らは?』
『きっと、連中にとっての、共通の攻略目標ですよ?』
あっけらかんと答えるリズだが、実際にそういう動きはある。眼下の透視図の中、じりじりと魔力が近づいてきている。
相手方も魔法による透視法を習熟しているのだろう。上を取ったリズたちに対し、それを討とうとする組が1つ発生。それに呼応するように、別の2組も動いてきている。
魔力の動きや流れから察するに、これらの組も《念結》を用いているようだ。つかず離れず、ツーマンセルで動く連中が、音を立てるのを嫌って慎重に。
明らかに、こういう訓練を積んでいて、実地での経験もあるのだろう。
迫る寄せ手を前に、リズは声をかけた。
『近くに寄って。手をつなぎましょう』
『は、恥ずかしいな……女の子に守られるってのも』
クロードが、リズを指して「女の子」と称した。
他の表現が思いつかなかっただけかもしれないが、彼からの思いがけない「女の子」呼ばわりに、リズは思わず表情が緩んだ。
それから、彼がためらいながらも差し出した手を取ると、汗でじっとりして少し震えていた。
これが、ためらいの理由だったのかもしれない。
だが、これを恥ずかしいことだとは、リズは決して思わなかった。
『下の連中よりは、あなたの方がずっと勇敢だと思いますよ』
『そりゃどうも……』
『ま、後は私に任せてください。きっと、下の誰よりも私の方が強いから』
『どっから来るんだよ、その自信は……』
クロードがひきつった笑みを浮かべ、それにリズはにこやかな笑みで返した。
その後、近づきつつある気配を感じ、リズはクロードに注意を促した。『もうすぐ来る』と告げ、念のために、《空中歩行》で屋上から少しだけ距離を取る。
そして……リズの視界の中、一つ下の階で魔力が高まっていった。膨れ上がったそれは、やがて屋上の土台に亀裂を入れ――
漏れ出る光が、辺りを青白く染め上げていく。




