第51話 出発に揺れ動くもの
5月13日、朝。
トーレットの街を囲う城壁の外には、大勢の人間が緊張した面持ちで集まっている。
これから、革命勢力が進発し、第一の作戦目標であるモンブル砦へ向かうのだ。
その見送りにと、町に残る者が城壁の上を埋め尽くしている。
普段は一般開放されない城壁上だが、今回は特別だ。この機に紛れて不審者が出入りしないようにと、砦へ向かわない者を街の中に留めるため、このような措置が取られている。
この城壁の上に連なる見送りの列と、共に砦へ向かう者の多さに、リズは圧倒されるような感を覚えた。
王族の出でありながら、彼女は政務・軍務から遠ざけられていたため、これほどの人の集まりに面した経験がない。集団の規模を、サッと推察することもできずにいる。
実際にどれだけの人間が砦へ向かうのか、彼女は知らされてもいない。
というのも、今作戦の最終的な動員数は、革命の中核の中でもリーダーとその周りの、ごく少数の幹部にしか知らされていないのだ。
こうして情報から除外されていることについて、リズは不満を覚えはしなかった。
仮に戦力規模が敵対勢力に伝われば、後の展開が不利になることだろう。情報戦での不利を少しでも避けたいという考えはよくわかる。
それに、規模の実態を探ろうと嗅ぎまわる者がいれば、そうした諜報員の動きを逆利用できるかもしれない。
この先の情報戦に思いを巡らすリズの横で、周囲の幹部連中は少し硬い表情をしている。
彼らは事前に調達、確保していたという装備に身を包んでいる。胴には鎖帷子、頭には開放性と軽さ重視の兜。頭頂部周囲と後頭部を守るような形状だ。それに加え、背をちょうど覆うぐらいの丸い盾を背負い、腰には少し小ぶりな長剣。
そして、主たる武装は背丈以上の槍だ。ジョイント式の長槍であり、一般的に行軍時はバラして持ち運ぶものだが……協議により、進発時は士気高揚のため、つなげて武威を見せようということになった。
できることならば、話し合いで済ませる腹の革命勢力ではあるが、武力衝突は避けられないだろうという見立ては確かにある。
その覚悟を形にした武装に身を包む中、幹部の一人は困り気味の笑顔で言った。
「何か、着られてる感じがするなァ……」
「ま、専門じゃねえし」
「向こうもそう変わらんって」
領内における大規模な軍の移動について、情報は伝わっていない。
おそらく、国境は既存の精兵で固め、安全なはずだった領内の各所は、徴発した新兵で固めているのだろう――というのが、革命勢力内の見解だ。
リズもそれには同意している。
ただ、彼らが置かれた状況について、彼女は同情を禁じ得ない。
他国の思惑までもが絡み合う中、彼らは自分と似たような境遇の者に対し、刃を向けることになるのだ。
それも、互いに故郷を思って、各々が個別に判断を下した結果として。
この皮肉な巡り合わせを意識しているのか、晴れやかに出発すべきこの日に、幹部たちの顔には少し影が差している。
だからと言って、盛り上げるのも――とリズが思っていると、にわかに辺りが静まっていく。
いよいよ出発の時間だ。
隊列前方に位置するリズだが、周囲の視線はさらに前方の一人、すなわちリーダーの方へ。
さすがに、これだけの集団に声で意志を飛ばすのは難しい。
そのため、出発を前に、彼はただシンプルな行動を示した。手にした槍を高らかに掲げる。
もっとも、掲げた槍は穂先が地面に向き、本来は柄である部分に旗が括りつけられている。白地の布に縫い付けられているのは、トーレットの街の商工会の標章だ。
革命の旗手が掲げた旗が、潮風を受けてたなびく。
静まり返っていた周囲は一気に沸き立ち、城壁の上からも声にならない激励が投げかけられる。
――領主側や軍とは言葉で済ませたいとしつつも、これが今生の別れになるのかもしれない。
興奮、覚悟、不安……様々な気持ち入り混じる中、先頭集団がついに動き出した。
この流れに従い、リズも革命の一員となって歩を進めていく。
一行はまず、街道沿いに進んだ。道を無視するようでは、周辺の住民の心証を害するかもしれないからだ。
海がすぐ近くにある街道を歩いていくと、海の遠方には国の軍艦が列をなしているのが見える。
この海上封鎖を目にして、思わず毒づく者はそれなりにいる。
リズは、こうした対立構造を仕組んだやり口を、うまいと感じた。
大陸でも有数の貿易港を有するトーレットの民にとって、海外とのやり取りは、自分たちのアイデンティティーに関わることだ。
海外からやってきて、ここで帰化して受け入れられ、街の一員となった……そんな祖先を持つ者もそこそこいる。
そんな港町が船の爆発事件に巻きこまれ、国が遅ればせながら動き出し、海外との門戸を閉じているのだ。
国としては、そうせざるを得ない部分がある。あの爆破が再発し、第3国を巻き込む事件となれば、大きな外交問題となろう。
それに、怪しい者を国外に出すわけにもいかず、逆にこの機に乗じようという者を招き入れるわけにもいかない。
こうした国の立ち位置について、リズの見たところでは、革命幹部の多くが理解を示しているが……やはり、心情的な反発は当然のようにある。
この街を守るためとしている軍船の囲いも、砲門がこちらに向いているように感じられる。
実際、砦への進発で街を離れる側としては、あの軍船の動きが懸念材料の一つだ。
革命に付き従う一般的な構成員を不安がらせないよう、そうした懸念が表明されることはないのだが……リズがいる隊列前方部は、責任ある幹部が多いこともあってか、海側の様子に気が気でない雰囲気だ。
決して楽天的ではない、彼らの思慮を好ましく思うリズではあるが、一方で今の雰囲気はあまりよろしくないようにも感じられる。
(過度な不安が広がれば、それが付け入る隙になりかねないし……)
そこでリズは、沈みがちな静けさを打ち払うように、周囲の幹部に話しかけた。
「少々よろしいでしょうか?」
「ん? なんすか?」
――幹部といっても、責任を持って能動的に行動する層というだけで、若い者の態度はこのような感じだ。
リズとしては、こういう砕けた感じの方がやりやすくはある。
「クリストフさんが主導者を務めていらっしゃいますが、彼に決まった理由などは何か?」
「ん~? アイツじゃ不満……ってワケでもなさそうすね」
「考えの深い方だとは思いますが、控えめな雰囲気もあって……どちらかというと、トップを支えるタイプに近いように思いますので」
この見解に、周囲の幹部たちは「わかる」と一様に賛意を示した。
素直な印象を口にしたリズだが、拒絶されなかったとみて、内心ホッと安堵を覚えた。
そこへ、別の幹部から声がかかる。
「なんていうか……流れで決まったっていうのが正しいかな。別に、名乗りを上げたわけでも、推薦されたわけでもないんだ」
「むしろ、巻き込まれた側って言った方がいいかもな」
クロードが放った、「巻き込まれた」という言葉に、リズは引っかかるものがあった。
彼女の関心を引いたことを認めたのか、クロードは「せっかくだし」と言い、出し渋るでもなくリーダー決定までの経緯を教えてくれた。
実はこの革命の前身になる運動が、去年にあったという。運動といっても、ごく小規模なものではあるが。軍費捻出のためにと税の徴発が相次ぐ中、「これでは……」と声を上げる集団がいたのだ。
その集団というのが、トーレットの商人たちであり、そのリーダーがクリストフの実父だ。
彼らは領主の元へと直訴に向かったのだが……課税を見送るようにという声が届くことはなかった。
それどころか、国境側で緊張が高まる中、このような主張をする者は外患を招く手先に違いない――そのような嫌疑まで掛けられる始末。
側近が口にしたその疑義に対し、領主は寛容な措置を下した。直訴に来た面々に対し、トーレットを離れた上で今後同じような活動に関わらない限り、本件は不問とするものである。
結果、クリストフの父を始めとする商人たちは、トーレットを離れて別の街の支店に身を寄せることと相成った。
この決定に対し、トーレットの住民の多くは不満を抱き……その中で革命の機をうかがい、今まで準備を進めてきたという話だ。
「クリストフがリーダーになったのは、親父さんの仇討ちみたいなもんでさ……いや、別に死んでねえし、普通に元気でやってるけど」
「老舗に旗を持ってもらった方が、まとまりがいいんすよ。ポッと出が勝手に喚いてるんじゃない、確かな地位を築いている商家が、本気になってんだって」
「なるほど……」
つまり、先にあった流れをそのまま引き継ぐ形で、クリストフにお鉢が回ってきたというわけだ。
リズは得心し、思わずうなずいた。革命の旗手にしては、あまりガツガツしたところが感じられなかったが、これで腑に落ちる。
ある意味、やらされていると言っていいだろう。
しかし、それは他の者にしても共通する。誰も、こういうことをやりたくてやっているわけではないのだ。
不似合いな武具を身に着けてまで、相手に意を押し通そうなどとは。




