第50話 最初の作戦目標
ビラの効率的な大量生産は、予想以上の効果をもたらすこととなった。
革命の中心地はトーレットだが、近隣の街にもこの流れを伝播させていきたい――そういった革命勢力の考えを、大量のビラが形にしていく。
また、商業が盛んな土地柄、情報が早く目端の利く有力者も多い。
そのような層に対し、ビラの大量印書は中々の訴求力があった。
魔力をインクとした正確無比なビラの存在は、複写技術を持つ魔導士の存在を匂わせる。印刷屋が逃げ出したはずのトーレットだが、革命勢力は、そういうレベルの魔導師を確保したのだ、と。
最初は静観、様子見の構えをしていた他の街の商人たちも、これを好機と見たのだろう。こぞって革命の支持を表明し始めた。
他の街の行政も、こういった流れを容認する構えである。トーレット同様、もとから募る不満はあったようだ。
このように、革命の動きが広がる中、領主を中心とするハーディング領中枢からの目立った反応はない。
もっとも、彼らの側から見れば、沿岸部での革命運動は陽動と映るかもしれない。
そちらに気を取られようものなら、圧がかかる国境側で、ついにラヴェリアが動き出す可能性もあろう。
この、ラヴェリアの動きや思惑は、革命勢力にとっても無視できないものである。
☆
5月10日昼。ビラの大量印刷による貢献を認められ、リズは思惑通り、革命中枢に一歩近づくことができた。
単なるお手伝いではなく、革命勢力中枢での話し合いに参加する身分になったのだ。よそ者という身分を考えれば、かなりの抜擢である。
しかし、魔導師としての力量の一端を見せた彼女だが、知力や見識を試されるのはこれからだ。
また、複写できる貴重な魔導士ということで、何かと気に掛けられる状況でもある。
会合を前に、リズはそれとなく向けられる視線の中、気を一層引き締めた。
これから街の講堂内の会議室で開かれるのは、今後の作戦についての討議だ。いよいよ街を出て、領主に対し圧をかけに行く。
ただ、武力闘争を表に出していないとはいえ、相手がそれに付き合ってくれるわけもない。
そのため、武力衝突の可能性を考慮した上で、今後の動きを策定する必要がある。
街の様子を見る限り、付き従う多くが、その可能性を呑んでくれているようだが……
これから、革命に賛同する彼らの命運を握る決断を下すことになる。室内には重く緊迫した空気が漂う。
まずは、動員できる人数と、それを支える物資・装備の確認だ。
こうした物資面に関しては、さすがに物流の関わりが深い町だけあって、十分な備えがある。本来は軍に送るはずだった装備等をこちらに流用することで、調達のタイムラグなく動き出せるという話だ。
ただ、革命勢力の内、どれだけを動かすべきかという問題がある。
「可能な限りの人員を投じて、権力者層に圧をかけにいくべきでは?」
「そうだな。小出しの部隊では、正規軍相手に対峙すらままならないかもしれない」
「しかし、根拠地を手薄にするわけにも……」
街全体としては、この革命に対して協力的だが……人手を送り出すことで隙ができれば、反革命の立場にある勢力が工作を仕掛ける可能性はある。
とはいえ、人数こそがパワーという面も。慎重論と積極論が飛び交う。
そんな中、「どう思う?」と尋ねられたリズは、思考を巡らせて答えた。
「補給網を狙われる可能性が高いかと。物資にはある程度の余裕を持たせるべきでしょう。その上で、できる限りの動員をかけるのが好ましいと思われます」
「残していく人数については、特に考慮しない?」
「街の機能が成立する程度に残っていれば十分ではないかと。この機に煽り立てる者がいれば、行政や官憲に動いてもらいましょう」
慎重な者からは、念のために温存して、動員できる兵力の半数を残しては……という声もあった。
ただ、リズとしては、後背の心配はあまりないのではないかと考えた。
様々な勢力の思惑が入り混じっているであろう、この革命。それぞれの勢力同士の睨み合いもあることだろう。
その上で今のこの流れが出来上がっていることは、互いに不干渉な中で、一種の合意がなされたように思われる。
つまり、革命が形作られつつある今は静観、と。
動員により町が手薄になれば、そこで暗躍ということもあるだろうが、逆にそこで目を光らせる勢力もいることだろう。
結局のところ、町に残る要員は警戒と様子見が主任務になるのではないか……というのが、現時点でのリズの見立てである。
最終的に、動員量については補給能力をベースに組み立てることとなった。
この時のための備蓄があったということで、当面は大勢送り出しても問題なさそうである。
しかし……問題は、この街を発ってどこへ向かうか。補給網の確立にも関わってくる重大案件だ。
この作戦目標については、元から考えがあったという。革命の幹部の多くにはすでに共有済みらしいが、勢力拡大で協力者がにわかに増えた中、リーダーのクリストフは緊張した面持ちで口にした。
「まずは、領主居城との中間にある、モンブル砦を確保しようと思う」
そこで、幹部の一人が動き、テーブルに広げられた大地図の上でいくつかの駒を動かした。
最終目標は、革命勢力によって、現領主のハーディング伯を失脚させることだ。それにより、現在の権力機構に楔を入れ、中産階級の意志を政道に反映させる。
それを実現するために、ここハーディング領の中心地であるサンレーヌ城と城下町を占領するのが、具体的な作戦目標となる。
モンブル砦は、その足がかりだ。トーレットからは、行軍で4日程度のところにある。
トーレット側から見れば、砦の向こう側には川や森などがあり、まともな進軍ルートはあまりない。砦を避けようものなら、相当な迂回となってしまう事だろう。
そういった要地だけに、領主と正規軍も、重要性は重々承知のことだろうが……こういった作戦行動を担当する幹部の口から、気がかりな情報が漏れ出た。
「偵察からの報告では、砦に張っていると思われる兵が、異様に少ないとか……」
「少ない?」
「平時における、周辺の巡回拠点ぐらいの感じだったらしい。とても、これからここで迎え撃とうという構えじゃなかったと」
この報告に、多くは頭を悩ませた。考え込む周囲と同様に、リズの脳裏でもいくつかの可能性が巡る。
まず、現地からこの場での話に至るまで、どこかで虚偽が混ざっている可能性。
あるいは、砦まで進発させたうえで、伏兵を用いて壊走させようという策。
(しかし……砦を境界としたこちら側は、普通に平野部ね)
隠れるに適していそうな場所は、砦の向こう側の森だ。ただし、河によって隔てられている。
砦を巡る攻防となったとして、相手側が機動的に兵を出せるような地形ではない。
となると、砦にいる兵を少なく見せているか……何らかの思惑があって、本当に砦の兵を減らしているか、だ。
肝心な西部国境から兵を退かせられない、ハーディング領正規軍からすれば、砦と城に至るまでの道を固めるにも、戦力配分上の問題がある。
となると、要地であろう砦をあえて捨てるというのは、ありえない判断だろうか?
そうして頭を悩ませていると、リズは自分に視線を向けられていることに気づいた。
(そういえば、こういう席での発言を求められているのよね……)
面談の席での売り込みを思いだし、彼女は少しバツの悪い感じを覚えた。
リーダーから、「あなたはどう思いますか?」と尋ねられ、リズは考えを手早くまとめていく。
方向性を強く決定づける発言は、この中に潜入者がいるとした場合、強く警戒されかねない。
そのため、彼女は少し抽象度の高い考えで、それとなく知見を示すこととした。
「戦いを避けたいという思いは向こうにもあることでしょう。兵と働き手を同時に多く失えば、後が続きませんから」
「はい。だからこそ、こちらもあまり武力革命という面を押し出せないのですが……」
「あえて、弱腰な姿勢を見せ、砦を取らせようという算段かもしれません。これを好機と見た我々が、砦に大勢を向かわせるのを待つ。その上で、何らかの策を打つ。罠が仕掛けられている可能性もありますね」
「なるほど……しかし、これを怪しんで獲りにいかないというのは、逆に悪手のようにも思えます」
慎重派に見えたクリストフだが、勘所はしっかり抑えているように思われる。彼の言葉に賛意を示しつつ、リズは続けた。
「こちらとしては、長引かせるのが不利に働きかねません。士気と統制が取れている内に動き出し、身内に成果を示し続ける必要があるかと」
革命の支持層は、別に深い信念があってそうしているのではなく、周囲の雰囲気に乗っかった日和見的な者も多い。
こういった層が一度離れ始めると、連鎖的に支持者が抜けて尻すぼみになることだろう。
それを避けるため、勢いと熱がある内に結果を出さなければならない。
この観点は、他の幹部も認めるところだ。
そこで、最初の攻略目標は当初の想定通りモンブル砦と定まった。
もちろん、何かしら動きや異変が見られれば、その時は別途対応する形となるが。
この会議の中、議題について考えつつも、リズは他の面々の様子をうかがっていた。
だが、何らかの勢力からの潜入者と思われる者は、結局見当たらなかった。特異な見解を示す者はいなかったのだ。
(仮に混ざっていたとすれば、やはり情報収集がメインかしら? 自分の意見で場を動かすことがないよう、フラットに構えておいて、現場の生の声を吸い上げたかった?)
会議の後、街を歩きながら、彼女はひとり考え込んだ。
居もしない何かに惑わされている気がしないこともないが、紛れ込んでいないわけがない、とも。
先週は街宣で騒がしかった街だが、今は落ち着いて静かなものである。あらかた伝えるべきは伝え終わり、皆がその気になっているからだ。リズが量産したビラの効果もあるだろう。
願わくば、この静けさが乱されることなく、皆の帰る場所であってくれれば――
うっすらした懸念を抱きつつ、彼女はそう願った。




