第48話 外務の苦悩
リズが革命勢力の中核に接触したその日の夕方。ラヴェリア聖王国外務省、第3王女執務室にて。
ただでさえ主戦派との暗闘が気を悩ませる中、今度はリズという乱入者まで紛れ込んだ。先が読めない状況に、第3王女アスタレーナは大きなため息をついた。
彼女は両肘を机の上に置き、両手を支えに額を預け、目は地図や報告書へ。静かな部屋の中、一人で思索に思い巡らしていく。
だが、状況は彼女を一人にはしない。耳に聞こえてくるのは、部屋へ近づいてくる足音。音の響きからすると複数名。
おそらく、この部屋への客だろう。彼女は体を起こして右腕を軽く回した。
客が来る前には威儀を正し、その到着を待つ。
彼女が準備を整えたすぐ後、ドアがノックされた。
続く「失礼します」との声に、「どうぞ」と返すと、部屋の中には入ったのは三人の配下。いずれも30前後といったところだ。
硬い表情の彼らに、まずはアスタレーナが労いの言葉をかけていく。
「こんな時間までご苦労様」
「いえ、それを仰るなら殿下こそ」
「不肖の妹が暴れまわってるのに、無視して寝るわけにもいかないでしょ?」
彼女が困り気味の微笑を配下に向けると、三人も苦笑いで応えた。
そうして少し緊張がほぐれたところで、本題に入っていく。
「エリザベータ元王女殿下は、革命勢力の中核との接触を果たしたとのことです」
「演説だけで終わらせないだろうとは思っていたけど……さすがに行動が早いわね。その場に居合わせた者は?」
「申し訳ございません、そこまでの階級の者は……参席した正規の幹部を通しての、聞き込み情報であれば」
「十分よ」
すると、緊張した面持ちの配下が「現時点でのまとめです」と言って、書類をアスタレーナに差し出してきた。
書類に記されているのは、現地諜報員からもたらされた、リズの動きについてだ。
事の始まりはメイド服での演説から。特筆すべきは場の盛り上がり様と、演説内容の違和感のなさだ。
おそらく、彼女は革命の理念とトーレットを巡る情勢について、十分に理解した上で事に臨んでいたものと思われる。
そんな彼女は、街宣の後はすぐに身をくらませた。
無論、それを追う者は複数いた。革命関係者のみならず、野次馬や、他勢力の間者もいたことだろう。
その中で、外務省所属の諜報員は、彼女を追いかける集団の最後方に位置していたという。それも、野次馬のような態度で。
もちろん、そうした動きには理由があり……実際には、リズを追う者に目をつけていたのだ。自らは怪しまれないように装いつつ。
「別勢力の諜報員らしき者が数人、見受けられたとのことです」
「とりあえずは保留ね。マークはしつつも、あまり深入りはしないように」
「はっ」
この”容疑者”たちは、身のこなし、物腰等々、微妙にそれらしい違和感があったという話だ。
もとより、そういった他勢力の諜報員の存在について、ラヴェリア外務省として確たる証拠を掴んでいるわけではない。だが、存在して然るべきという認識はある。
そもそも、この革命運動の発端と思われる船の爆破は、とても事故とは思えない。
おそらくは、現地やハーディング領を混乱させたい、ラヴェリア主戦派の工作によるものであろう。
ラヴェリア国内どころか、現地でも尻尾をつかませず、同国の2勢力が暗闘しているわけだ。
そんな情勢下で、国外諜報の長たるアスタレーナとしては、他勢力の諜報員をあぶり出すよりは、まず自分の諜報員の安全確保が優先される。
国内の防諜ならいざ知らず、国を離れて動ける要員は貴重だからだ。
もちろん、心情的な理由もあるし、訓練コストや外交政策上の理由もある。
さて、追いかけっこの後の妙な動きとしては、魔法による複写の疑いがあるビラが出回ったという。
そして、革命勢力中核に面会し、リズは協力者の座を得たという報だ。
「現時点での役回りは……ビラの作成か。魔法による複写を使えることは、もう確定と見て良さそうね」
「おそらくは無認可での複写ですし、その線で圧を与えることもできますが……」
「規制されても地下でやるでしょう。それに、現地の行政・司法は革命寄りの立場だわ。まともに機能するとも思えないし……今のところは好きにさせておきましょう」
「かしこまりました」
リズの初仕事に対して、外務省としては容認することとなった。
これは、従来の戦略を逸脱する決定ではない――というより、彼女の存在は、ラヴェリア外務省の目的を後押しするかもしれない。
それが、アスタレーナにとっては一長一短である。
今回のビラ複製について取り上げるなら、これによって革命勢力の中核は、自身の革命に対するコントロール感をより確かにするだろう。
その事自体、混沌を避けたい外務省としては好ましい。
一方、非戦派の外務省にとって都合のいい動きを、あのエリザベータがしている。それを主戦派は面白く思わないだろう。
となると、主戦派への潔白を示すために、外務省としては彼女への妨害策を講じる必要はあるかもしれない。
もっとも、そのために要員を動かすとなれば、それはそれで問題がある。当人の安全はもちろんのこと、諜報員も現地では一般人として溶け込んでいる。
行動を起こせば、現地民から向けられているその信頼を、損なうことにつながりかねない。
つまり、切れる手札は有限なのだ。それが使い切りなのか、使い回せるのかも不確かな中、使いどきを見極めて判断を下さねばならない。
――それも、報告頼みでどうにか把握する現場と、腹の読めない国内の他派閥と、野放図な腹違いの妹を考慮しながら、だ。
種々の要因が絡み合い、アスタレーナは瞑目して考え込んだ。
加えて、あの街の他にも悩みごとはある。配下の一人が、それを口にした。
「今回の件について、ご兄弟へのご報告は?」
「今のところ、その考えはないわ。位置情報の共有は、標的が大きく移動したときとしているし……明文化されたルールではないもの。詳細を知りたければ、自分の手勢を動かしてもらうわ」
「かしこまりました」
トーレットの街のことばかりでなく、兄弟のことも思うと、頭は重くなるばかりだ。
継承競争が始まって以降、父王は国政を次代に任せっぱなしということも、問題の種である。
もっとも、国王が采配を振るう状況下では、中々競い合うこともままならないだろうが……
その継承競争に関して言えば、兄弟たちはこの革命にかこつけて……という動きも考えもなさそうである。
今のところは、だが。
この先のことで、ふと物思いに暮れそうになったアスタレーナは、窓の外の夕日に目を向けた。
それから、配下へ目を向け、優しく声をかけていく。
「あなたたち、今日の分の引き継ぎが終わったら、もう上がりなさい」
「ですが、標的がまだ動き出す可能性は……」
「相手が寝る一方、こちらが起きて寝不足なんて、バカバカしいじゃない。それに、職員の夜間シフトを組み直したでしょ? そちらに任せなさいな。私も、ちゃんと寝るから」
そう言ってにこやかに微笑んだ彼女は、とどめの一言に「家族との団らんを大切にね」と付け足した。
王家の家庭事情を知らぬはずもない配下たちは、こうも言われてはと、上司の厚情を素直に受け入れた。頭を下げて執務室を立ち去っていく。
その姿を見送り、ドアが閉まるのを見計らって、アスタレーナは大きなため息とともに、机に上半身を寝そべらした。
彼女が考えなければならないことは、他にもある。事が起きているのは、住人に火がついたあの港町ばかりではないのだ。
というのも、問題の場所であるルグラード王国ハーディング領と、ラヴェリア聖王国に挟まれているセントアム王国では、とある議案が取り沙汰されている。
それは、“友好国”であるラヴェリアに対し、ルグラードへの道になる領土を割譲しようという案だ。
これは秘中の秘であり、外務省でもごく限られたポストにしか知らされていない。
仮にこれが通った場合、両国の緊張と摩擦に屈して、弱小国が土地を明け渡した形になる。事前に”通り道”から国民を逃がすことができれば、両隣二カ国が開戦した場合の被害を避けられるわけだ
ただし、この案とその準備自体が、開戦の引き金にもなりかねない。
そして、もとはと言うと友好国保護のためという名分で、国境の軍備を固めたラヴェリアだが、この案が実現した時に諸国がどう見るか――
外務省としては胃の痛くなる問題である。
机に寝そべり、沈みゆく夕日をぼんやり眺めながら、アスタレーナはその右手に魔力の珠を浮かび上がらせた。
彼女が幾度となく作ってきたその珠は、ごくごく薄い半透明の赤紫色で、両手でちょうど収まる程度の大きさだ。珠の表面には、海と陸を再現したものが映し出されている。
陸の上には、いくつかの赤い点も。
その珠をアンニュイな目で見つめた後、彼女はため息とともに机に突っ伏した。
彼女に任されたこの役職は、誰にとっても荷が重すぎるポストである。
――だが、適材適所ではあった。




