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第41話 港の夜は眠れない

 発端は、十年近く前のある日のことだった。


 師に連れられて国の大図書館を訪れたリズは、そこで妹と鉢合わせ、一冊の本を取り合った。

 生まれた順で言えばリズが上だが、相手は母方の血を持ち出し、頑として譲らない。付き人も司書も、妹には逆らえない。

 そうして無力なままに、リズが本を奪われかけたところ、師は一つ提案を持ち掛けた。


「よろしければ、10分でも本を先にお貸しいただけませんか? その間に、読みたい部分を書き写しますゆえ」


 この家庭教師は、エリザベータのためにと父王が個人的に雇用している。年中少し眠そうな顔の、アンニュイで無毒そうな優男だが、国賓には違いないのだ。

 そんな彼の提案を無下にするわけにもいかず、相応に立場のある彼が下手に出ている事への優越感もあったのだろう。妹は少しふんぞり返り、10分だけの慈悲を与えることにした。


 さっそく、書き写すためにと、二人は図書館の空き部屋を借りた。

 しかし、幼き日のリズは、あまり気が進まない。


「お師匠、別に構いませんよ? 後から借りますから」


「そうと知って律儀に返す殿下でしょうか?」


 慈悲を受けた身ながら、歯に衣着せない物言いに、リズは顔を綻ばせた。

 借りっぱなしで専有というのは、妹いかにもやりそうなことである。


 師は、10分――いやもう9分か。ともあれ、時間制限を課せられた本をパラリとめくった。

 争いの的になっているのは、推理系の物語本である。


「犯人だけでも書き写しときましょうか。後は適当に私が書きますよ」


「お師匠?」


「ははは」


 食えないところのある青年だが、決してリズを、娼婦の子だと軽んじているわけではない。

 掴みどころはないものの、物腰柔らかで温厚なこの青年を、彼女は中々に好いていた。


 それはさておき、書き写しである。犯人だけというわけにもいくまいが、だからといって要点を抜き出した推理小説というのも……

 ただ、何を考えているのかわからない、この若い魔法の師だが、何かはするだろうという信頼がリズにはあった。

 黙って視線を向ける彼女に、師は笑って答える。


「犯人だけってわけにもいきませんしね。いるぶんだけ抜きましょうか」


 すると、彼は読みたい本よりももう少し分厚い本を取り出し、2冊を横に並べた。分厚い方は何も書き込まれていない、まっさらの白本だ。

 それら2冊の上に、彼は完全に同期する形で、それぞれ魔法陣を刻んでいく。複雑な模様の魔法陣を、極めて精緻な魔力が書き進める。


 こうやって魔法を使うときだけ、師は真面目な顔になる。難しい魔法ならば一層に。

 しかし、ここ一番のときの彼の顔よりも、リズの興味はいつも魔法そのものに注がれている。

 そんな弟子を見て、師の顔が緩む。


 やがて、できあがった2つの魔法陣は、完全に連動して動き始めた。高速回転しながら、本の表紙を透過し、遅々としながらも下へと進んでいく。

 その片割れ、取り合いの的になっている側に書かれた魔法陣が、テーブルに達したところで、師は両方の魔法陣を消した。

 彼は分厚い白本を自身の肩掛けカバンにしまい込み、もう一冊、取り合いの対象となった本を手にとった。


「では、これはお返ししましょう」


「もう、書き写し終えたのですか?」


「どうでしょうね」


 言葉とは裏腹に自信有りげな師に対し、リズは思わず苦笑いを浮かべた。


 空き部屋から出ると、二人を妹と付き人たちが待っていた。

 どことなく、勝ち誇った感のある妹に、師が目的の本を丁寧な所作で手渡す。


「それで、書き写しとやらはどうなったのかしら?」


「10分で大体読みまして、自筆で今度書きあげる考えです」


「えっ?」


「いやぁ、実は文筆業に憧れてましてね。できあがった折には、ネファーレア殿下にもご笑覧いただきましょうか」


「そ、そう……」


 王族相手にサラリと迷いなく嘘を付く師に、リズは呆れと信頼入り交じる感情を覚えた。


 妹と分かれ、兄弟内では一番狭いリズの私室に戻ると、師は白本だったものを取り出した。

「たぶん、読めます」という彼の言に、ドキドキするものを覚えつつ、リズは手を伸ばしていく。

 今や、彼女の興味関心の的は、物語の中身ではない。あの魔法でどうなったか、そこに集中している。


 果たして、まっさらだったその本には、きちんと物語が書き写されていた。余白のあまり具合や、末尾の空白ページの多さなど、本としての体裁に気にかかる部分はあるが……

「ありがとうございます、お師匠」と、リズは深く頭を下げた。


 しかし、礼だけを言って終わる彼女ではない。

 というより、ここからが本題になった感さえある。彼女は、どこか声弾む自分を意識しつつ、師に問いかけた。


「何をなさったのですか?」


「書き写したんですよ」


「そういう魔法が?」


「せっかくなので、お教えしましょう」


 その言葉を待っていたリズは、椅子の上で改めて姿勢を正した。


 師によれば、先程使った魔法は、《転写(デュプリカ)》という。

 すでに出来上がっている魔力の記述を読み取り、別の紙などに書き写すというものだ。

 そして、分類としては規制付き魔法に当たるという。


「国にもよりますが、確かC級規制ですね。資格がある魔導師だけが、教示する権利を持つ魔法です」


「この転写する魔法が、何か都合が悪いのですか?」


「ま、色々とありましてね」


 まず、文書の大量生産につながる印書法や魔法は、多くの国で行政が目を光らせているという。

 悪書・禁書を取り締まるにしても、個々の版元に目を光らせるより、まずは印書業者を抑えた方が管理しやすい。

 そんな中で、地下出版業者に好き勝手立ち回られたのでは困るということで、文書複製系の魔法には厳しい目が向けられている。


 魔法の民主化を目指す魔法組合としても、広めたいのは適正利用である。

 そのため、有害な魔導書が出回らないようにと、複製系魔法については行政と協力して取り締まっている。


 こうした行政上の理由以外にも、《転写》自体が持つ性質が、規制を付与される要素の一つとなっている。


「結構、ミスコピーしやすい魔法でして。読み取り時と、書き込み時、両方でミスが生じ得る魔法なんですよ」


「ということは、正確さを要求する場合には……」


「使い手の力量次第ですね」


 これが深刻化しやすいのは、魔導書から魔導書へのコピーだ。

 そもそも、本の大きさやページ数等の物理的実態が異なっていれば、完全なコピーにはなりえない。使用感はまるで変わる。

 その上、書き損じリスクが手書きよりも高いとなれば、魔導書を手足とするような魔導師には見過ごせないデメリットだ。

 こうした欠点を耳にしたリズは、口元に指を当て、少し考え込んだ。そして……


「お師匠」


「何でしょうか」


「紙に書き写す際に、書き損じが生じるかもしれないのですよね」


「はい」


「では、自分の中に直接書き込めないのですか?」


 教え子の言葉に、師は珍しく真顔で固まった。

 発言の意図がわからない相手とは思っていないが、リズは自分の考えを補足していく。


「紙と目を経由せず、直接自身の知識とできるのなら、効率的かと思いますし」


「んんん~?」


 今度は師の方が、眉を寄せて唸り、考え込んだ。

 リズの着想は色々と問題がありそうで、師はすぐに一点を指摘した。


「人間の“中”にそのまま書き込む系の魔法は、注意深く扱う必要があり、おおむねC級規制なんです。付与系の高位魔法がそうですね。便利で強力な魔法が多いんですが……」


「書き損じがあった場合に危険だから、ですよね?」


「はい。早い話、単純なミス一つで呪術になりかねません。それも、術者にも制御不能なものです。その者をその者たらしめる核心が書き換わってしまい、取り返しのつかない変異が生じる可能性もあります」


「そうですか……」


 幼き日のリズは、自身の着想に子ども心ながら可能性を感じていた。それを師に否定されたようで、少ししょぼくれてしまう。

 そんな彼女に、神妙な顔を向けた師は、少ししてから彼女に声を掛けた。


「姫、あなたと庶民では、根本のデキに隔絶があります。先ほどのご提案ですが、強い確信を持ってそれができると感じられるのであれば、お留めする理由はありません。最終的には、私などの言葉よりも、ご自身の力を信じていただきたく思います」


「……わかりました。無理するなという事ですね」


「そんなとこです。では、お教えしましょうか」


 そう言って師は、さっそく《転写》の教示を始めた。


 自分の中に直接書き写すというやり方について、その時のリズの中に、すでにそういったヴィジョンは存在していた。

 目を閉じて魔法をイメージすると、覚えた魔法陣がすぐに現れる。それを現実へと書き起こし、実際に魔法を行使する。

――この流れを逆転することは、感覚的にあり得ることのように思われたのだ。


 この、自分自身への《転写》について、師はアドバイスをしなかった。

 教えたのは魔法そのものだけであり、使い方とテクニックは自分で修めよということだ。

 自分自身に書き写すというのは、彼も試みたことはないようで、とても人に教えられることではないという事情もあるだろう。


 《転写》を覚え始め、数日で、リズはそれを会得した。

 そこでさっそく、自分の中への《転写》を試みるも、思ったのとは違う結果となった。

 書き写したと思われる本は、自分の中に存在するように感じられるのだが、それを開いて読むための手が、イメージの世界には存在しなかった。

 暗闇の中、ただただ本が浮かんでいるだけである。

 しかし、彼女にとって幸運だったのは、そこで諦めなかったことだ。


――もしかすると、自分の中に本を増やしていくことで、この魔法に慣れるのかもしれない。そうすれば、読めるようになるかもしれない――


 自分の能力に対する自信と、着想に対する可能性の期待が彼女を突き動かし、彼女は片っ端から転写しまくった。

 師が国を去っても、彼女は本を転写し続けた。図書館の読書室を借り、一人ぼっちで何十、何百冊と。

 そうして中身も知れない本の山が彼女の中に積みあがったところで、扉が開けた。



 借りた本の転写作業が完了したリズは、ペッドに背を預けて目を閉じた。

 《叡智の間(ウィザリウム)》に意識が降り立つと、彼女は真っ先に書架の森の端へと足を運んでいった。

 そこにあるのは、配架前の本棚だ。転写したばかりの本がここに置かれる。

 試しに一冊、手に取ってページをめくってみると、特にミスコピーなく転写が完了しているようだ。

 他の本についてもざっと流し読みし、転写品質を確かめていく。

 結果、彼女は特に問題ない事を確認した。新入りの本の配架については、とりあえず棚上げすることとした。就寝時に少しじっくり目を通してからでいいと。


 幼き日のリズには、一つの誤算があった。

 自分の中に文章の転写は、実際には可能だ。ただ、その時点で以って読了となるわけではない。彼女の中にその本はあるのだが、自身の知識とするためには、意識的に読むプロセスが必要なのだ。


 それでも、余りある価値がこの転写法にはある。

 現実世界での仕入れという、多少の手間をかけるだけで、蔵書を増やせるのだ。

 そして、一度取り込んでしまえば、物理的制約に悩まされない書林が自分とともにある。

 まさに、自分だけの夢の大図書館だ。



 その夜、眠りに落ちて《叡智の間》に入ったリズは、借りるなり即座に転写して自分の所蔵とした本に目を通し始めた。


 逃亡者という身の上ではあるが、こういったことは必要不可欠だと彼女は考えている。

 すでに要職にある兄弟たちには、組織力という物がある。単独で動くリズにはない力だ。


 一方で、リズが有するアドバンテージもある。

 それは、自分のための時間を長く確保できるということだ。逃げるため、迎え撃つために費やす時間はもちろんあるが、それでも兄弟よりは自分一人のための時間を長く取れることだろう。

 そして、就寝時の《叡智の間》の存在を加味すれば、差はさらに広がるはず。

 この、自分だけの時間を用いて、リズは個人としての力を磨こうというのだ。


 図書館に寄って自身の蔵書を増やしたのも、生き残りをかけた自己研鑽のためというわけだ。

 もっとも、力を蓄えるための行為という面以外に、息抜きや趣味という側面も当然あるが。

 精神世界の中で大いにくつろぐ彼女は、イスにもたれかかりながらページを進めていく。


――すると、精神世界の外から大きな音が聞こえてきた。


 思わずリズはべッドから跳ね起き、窓の外に目を向けた。

 衝撃の余韻が残り、かすかに揺れる窓の向こうで、港の方に煌々とした橙色の光と煤煙が上がるのが見える。

 彼女が目覚めてから少し経って、今度は人々の喧騒が夜の街角を埋め尽くした。


 港の方で、何かが大爆発したのだろう。

 ただ、幸いにも早くに鎮火したようで、燃え広がるような惨事は避けられたようだ。

 急激な人ごみから生じる負傷の方が、住民にとっては危険だったとさえ言える。

 結局、1時間もせずに港の方は落ち着いたようだが、街中はそうはいかなかった。真夜中にも関わらず、怒声のようなものが飛び交う始末。


 それまで部屋の中から事態を静観していたリズは、あえて割り切り、寝直すことに決めた。

 そうと決まったわけではないが、これが王位継承競争に関わる事象の可能性はある。

 仮にそうであれば、彼女をあぶり出すことも意図していたのかもしれない。人ごみに紛れての凶行という懸念も。

 ただ、彼女の精神力をもってしても、寝直すのには相当の時間と努力を要した。


――もしかしたら、自分のせいでこんなことが起きたのかもしれない。


 確証がない中で生じる自責の念に、外の喧騒が追い打ちをかけるようだった。

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