第413話 決戦の内幕
リズが次に目を覚ましていたのは、飛行船の甲板の上であった。目を開けてみると、心配そうに覗き込む顔ぶれが。兄弟に、かねてよりの戦友たち。
見慣れた顔を前に、リズは強い安堵を覚えた。
今の自分の意識など、いつ蒸発してもおかしくはない。すでに死んだ身に、相当な無理を働いて、どうにか意識を繋ぎとめているのだ。
そうした無理の原動力であるネファーレアもまた、リズを取り囲むひとりであった。相当消耗している様子だが、目を覚ましたリズに、彼女は目を潤ませながらも柔らかな笑みを浮かべた。
「おかえりなさい」
「ただいま……」
即答はしたものの、この飛行船はどこへ向かっているのか。
他にも聞きたいこと、聞くべきことは山のようにある。
すると、ベルハルトが顔を出してきた。大魔王との戦闘において、全身が光に包まれていた彼だが、今は鎧の下に着込んでいた装束姿である。
「具合はどうだ?」と、優しく尋ねてくる彼に、リズは「大丈夫」と応じた。次いで、体を起こそうとしてみせるが、これは兄弟に止められる。
「いいから寝てろ」
「でも……ちょっと恥ずかしいじゃない」
「お前……そういう感情があったんだな」
真顔で言い放つベルハルトに、リズは目を細めて睨みつけ……場が笑いに包まれる。
そうして空気が解れた後、彼女は寝たまま少し改まって問いかけた。
「それで、色々と聞きたいんだけど」と口にする彼女に、「そうだな」とルキウス。一同を代表し、彼はリズが聞きたがっている事を、問われる前に答えていった。
まず、この飛行船はルブルスク・ヴィシオス国境沿いの空戦に用いていた、司令船である。今は撤収し、ルブルスクへ帰還するところだ。
この飛行船のみならず、一連の攻撃に加わった全戦力が、一斉に撤収を始めているところでもある。
「犠牲者は?」
この一大決戦に際し、最初に死んだ娘の問いかけに、ルキウスは優しげな顔を少し曇らせた。
「空戦と、ヴィシオス国内の各要所での戦闘で、相応の戦死者が出ている。ただ……王都への奇襲に参加した面々に関して言えば、重傷者が数名出ているものの、全員生存した」
「そう……」
不幸中の幸いと言うべき報告に、リズは胸をホッと一息ついた。
人の命の重みが平等ではないことなど、彼女はずっと昔からよくわかっていた。この戦いに臨んだ全ての勇士には、それぞれ尊ぶべき命があったのだが……
それを認めた上でなお、損なわれるべきではない、他より重い命というものもある。
首尾よく作戦目標を達成した戦いだからこそ、王都への奇襲に参加した王侯貴族に何かがあれば、後の世への禍根に繋がるかもしれない。
たとえ、この戦いに臨んだそれぞれに、そのようなつもりが無かったとしても。
(……いえ、ちょっと待って)
そもそもの話として、リズは不意に湧いた疑問を口にした。
「私たち、勝ったのよね?」
場の空気を見るに、当たり前といったところであろうが、不思議とそういう実感がない。
あまりに今更な問いかけに、リズを囲む大勢が真顔になる中、立役者の一人が口を開いた。
「ああ、勝ったぞ。この手でブッ倒した」
とはいうベルハルトだが、その顔にはスッキリしていない感じがあった。
案の定というべきか、リズが思っていた通り、彼の口から疑問が放たれる。
「最初から、このつもりだったのか?」
「このつもりって?」
「なんというか……私に勝たせるために、色々仕組んだのかってさ」
実際、色々と思うところがあり、彼の言う通りであった。この点に関しては、他の皆も興味があるらしい。真剣な眼差しに見つめられる中、リズは問いに答えた。
「私が倒すよりも、兄さんに倒しておらうべきだとは思ってた。選べるようなものじゃないとしても、そういう状況を作り出す努力はすべきだって」
「理由は……まぁ、わからないでもないけどな」
「だって、兄さんが倒したっていう筋書きの方が、世界に受け入れられやすいでしょ? 嘘ついてごまかすのもイヤだろうし……ね?」
つまるところ、勝ち負けという根本を最重視しつつも、その後のことまで考えを巡らせていたというわけである。
「そこまで、きちんと考えてるとはな。いや、恐れ入ったよ、まったく」
妹に担がれ――というより、彼女の盤面の駒を演じきり、ベルハルトは呆れたような笑みを浮かべた。
「だって、人の世はまだまだ続くんだから」
にこやかに応じるリズだが、すぐに彼女は、(やっちまったかも)と顔色も変えずに思い直した。
「人の世がまだまだ続く」などと口にした当の本人が、あと数日もしない間に、不死者でさえいられなくなってしまうのだ。
その事を一番理解している妹の顔に、無視できない影が差したのを認め、リズは咳払いした。
「他に何かあれば、答えるけど?」と取り繕う彼女に、いくつか疑問が投げかけられ、これ幸いと彼女は回答していった。
まず、秘密主義を徹底していたのは、ヴィクトリクスの存在を大きく見ていたため。大局的な視点で言えば、大魔王ロドキエルに匹敵するか、事によればそれ以上の脅威になり得るものという見立てがあった。
彼が心を読んでくるという事実は、この作戦に関わるものだからこそ、知っていてはならない。実際、今になって事実を明かされ、この場に集う少なくない人物が目を丸くする有様であった。
また、情報漏洩に加え、彼の転移術もまた警戒すべきものだ。それなりの人物で囲もうとも、彼に一人ずつ切り取られ、虚空へと消される懸念がつきまとう。
かといって、大挙して攻め入ろうものならば、大魔王が放つ破壊的な光線が一気に焼き払ってくるだろう。これに対抗できる人物は、相当限られるはず。
よって、少数精鋭で挑み、それぞれにタイマンを仕掛ける道を選んだというわけだ。
あらかた疑問に答えたリズだが、彼女は彼女で聞きたいことがあった。
「ちょっといい?」
「どうした?」
「いや……兄さんが助けに来るかもとは思ってたけど、まさか三人来るとは……どうやったの?」
ベルハルトが虚空に連れ去られたのを前提に、虚空から玉座の間への直通というのが、当初の想定であった。
思っていたのとは違う解答を示してきた兄だが、彼が選んだ過程は、聞いてしまえば単純な話であった。
「まずはルーリリラさんの方へ向かってだな。大急ぎでみんなに働きかけて、改めてお前が用意した魔導書から、お前行きの入り口を作って待機していた」
言われてみれば、そういったこともできないわけではない。入り口の作成は、何も虚空でしか機能しないわけではなく、所有者ベルハルトの命令さえあれば、いつでも可能なのだ。
それでも、こういったパターンはすっかり思考から抜け落ちていた。虚を突かれたような、キョトンとした顔のリズに、どこか得意げなベルハルトが、事の流れをもう少し細かく伝えていった。
現世へ戻って最初の行動が、王都奇襲を指揮するルキウスへの連絡だ。その時点から、リズへの加勢を心に決めていたわけではなく、自分以外にも判断できる人物が必要だったためだ。
また、加勢するならルキウスの手を借りようという考えもあった。彼が操るレガリア《要の一旗》について、その有用性はベルハルトも嫌というほど理解している。
さて、リズへの加勢と、そのための準備段階において、ルキウスを戦場から引き抜くことなる。だが、ベルハルトはさほど深刻視していなかった。
「あの段階で、サシの状況は作れていたからな。指揮命令系統も破壊できている以上、兄上を戦場から抜いたところで、敵の手勢が邪魔立てするものとは考えにくかった」
「それに……私とともに王都攻めに加わった皆は、指揮せずとも大局観を活かして動ける面々だったからな」
事実、ルキウス不在が大きく響くことはなく、王都への奇襲部隊は戦闘を続行していたという。
兄との合流を果たした後、ベルハルトは次に、ネファーレアとの合流を急いだ。リズの視聴覚を共有しているのは知れたことであり、ネファーレアからさらに共有してもらうことで、リズの戦況を把握するためだ。
「そうすれば……いや、そうしないと、突入のタイミングも計れないしな」
「ご、ごめんなさい」
リズとしては、出口さえ作っておけば、あの兄なら一発で合わせてくれるだろう――というより、合わせられないのなら、無謀に走ることはないだろう。そういった、無条件の信頼があった。
とはいえ、肝心な部分を多く投げていたのも事実である。今になって申し訳無さが募るリズに、ベルハルトは困ったような微笑を浮かべた。
「……で、お前のことだから、例のヤバい攻撃をあえて撃たせて……そこを突いて、私に討たせるつもりなんじゃないかと思ってた」
これは後知恵ではなく、実際にそういった想定があったのだろう。ネファーレア提供の視点込みで考えても、あの時の立ち回りは、事前の想定あってこそのように思われる。
すっかり感心してしまい、言葉を返せないでいるリズに、ベルハルトは「大当たりだったな」とイイ笑みを浮かべた。
「それで……お前の救助のため、兄上に加え、アクセルにも協力してもらった」
「……もしかして」
「ああ。お前にも気づかれないように、玉座の間の近くで待機してもらっていたよ」
これは、リズとロドキエル双方のポジショニングが好都合だった。
というのも、例の光線を放つ際、大魔王は玉座側にいることを意識して選んでいたように見えたという。一方、距離を取りたくあるリズは、必然的に大広間入り口寄りへ。
また、部屋の破壊を避けようという意識もあったのかもしれない。壁を背にするのを避けていたおかげで、アクセルにとっては飛び込みやすい位置だった。
「まぁ……位置取りが厳しくても、ネファーレアのおかげで戦場が見えてたからな。最悪、フィル様に《門》を作ってもらって、そっから突入って手もあった」
「……そっか」
この一連の大作戦。現場のアドリブに頼らなければならない部分が多いとしても、骨格は自分の策略の上にある――リズはそう思っていた。
だが、肝心要の締めの部分で、この兄たちに上回られた。
(思えば、私だって想定していなかったからこそ、ヤツに刺さったのかも……)
うまくいったバクチに思い巡らせ、リズは強い殊勝な気持ちを抱いた。
「……でも、どうして気づかなかったのかしら」
「必要な人材を、私に連れてきてもらうって策か?」
「ええ」
神妙な顔をしているリズだが、ベルハルトは他の兄弟と顔を見合わせ、フッと笑みを零した。
「お前は……ヴィクトリクスの存在を意識していて、重要情報はあまり共有できなかった。その上で、どうにか大魔王とサシの状況に持っていこうと考えていた。そうだよな?」
「ええ」
「その前提にこだわりすぎたんじゃないか? 後は……」
「……何?」
なかなか言葉を出せないでいる兄に問うと、少し間を開けて彼は言った。
「『大勢巻き込んでしまってるから、詰めぐらいは自分で。これ以上頼る訳にはいかない……』ってところか?」
そういった気持ちも、やはりあった。図星でぐうの音も出ないリズに、取り囲む皆が微笑みを向ける。
「まったく、ムキになりやがって」
「……呆れた?」
「ま、わからんでもないさ」
そう言って、ベルハルトは少し寂しそうな笑みを浮かべた。




