第412話 All For One
意識が遠のき、全てがあやふやになりかける。今まさに、赤い光を放つ魔力の激流に呑まれかけんとするリズ。
――が、彼女は不意に、何者かに体を触られる感触を覚えた。思いがけない感覚にハッとするや否や、乱入した何者かが、彼女の体を勢いよく側方へ持っていく。
急に鮮明さを取り戻した意識の中、リズは体を連れ去られながらも、それまで自分が居た場所をあの光線が通過していくのを目の当たりにした。
(いや、追われる――!?)
この程度の回避行動なら、軌道修正など訳ないことである。見逃す大魔王でもないだろう。
だが、追いかけてくるはずの光線は、どういうわけか、むしろこちらから去っていくようにも見える。
訳もわからず、リズは戸惑いながら視線を動かした。
――果たして、そこには白い旗があった。見覚えのある偉丈夫が掲げる大きな旗へ、赤い光線が吸い寄せられていく。
そして、もう一人。全身がほのかな青白い光に包まれた青年が、双剣を手に大魔王へ横から挑みかかっている。
彼の動きに呼応するように、旗持ちが光線を誘導し、攻め手の邪魔にならないように素早く動いていく。
突如現れた乱入者に、さしもの大魔王も大いに驚かされた様子だ。どういったわけか、必殺の一撃さえも旗に吸い寄せられ、攻めを封じられた一方、容赦のない双剣の乱舞が彼の全身を切り刻んでいく。
戦闘の潮目が完全に切り替わったのを感じ、リズはひとまずホッと安堵した。
やがて、彼女は……何か柔らかなものを尻に敷いていることに気づき、そちらへ目を向けた。
そこに居たのは、潜入工作を任せていたまずのアクセルである。抱きかかえて避けた勢いで倒れ込み、自身をクッション代わりとしたのだろう。
それにしても、一通りの仕事が終わったら、この戦場から離脱するようにと伝えてあったはずなのだが……
いや、彼だけではない。《門》で呼び寄せるのは、ベルハルト一人の想定であった。それも、もしかしたらという期待込みのものだったのだが……
実際には、どういうわけか、長兄ルキウスまで参戦している。
思いがけない二人の加勢は、リズにとっても安心より困惑が勝るほどであったが、大魔王にとってはそれ以上の衝撃があったようだ。
それでも、気持ちを切り替えたらしい彼だが……明らかに、精細を欠いている。放つ魔法はルキウスに吸い寄せられ、肉弾戦はベルハルトが完全に対処している。
力ずくで押し切ろうにも、リズが多くの力を吐き出させていた。
結局、彼らの乱入があってからすぐに、全ての決着が付いた。
未だ状況が読めずに戸惑いを隠せないリズだが……彼女は、微笑んで肩を貸してくれる弟に促され、少しずつ歩を進めていった。
世界を脅かした大魔王は、今や体の再構築ができない有様だ。ベルハルトの斬撃の嵐により、四肢を完全に破壊され尽くし、仰向けに倒れるばかりである。
その顔には、全てを悟ったような諦観の念が浮かんでいる。
兄弟がそれぞれ、顔を向けてからうなずき、リズは大魔王の近くに立った。
「見事なものだな」と、特に含みの無さそうな、素直な感嘆らしき言葉が投げかけられる。
「最初から、このつもりだったというのか?」
「……ここまで来るとは思わなかったわ」
正直な言葉を返すと、大魔王は一瞬真顔になった後、盛大に笑い声を上げた。その笑いに合わせ、残存する身体の傷口から、魔力が零れ出ていく。
「なるほど、慕われておるのだな、そなたは!」
「……そうね」
実のところ、巻き込みたくはないという思いも強かった。ルキウスの引き寄せがうまく機能したのは僥倖だったが、大魔王を弱らせていたからこそかもしれない。
ルキウスの方も、効かないかもしれないという覚悟をした上で、この死地に臨んだのだろうが。
神妙に構えるリズの前で、大魔王はこの戦場に赴いた四人に、順に目を向け……どことなく、不敵さを感じさせる笑みを浮かべた。
「今回は、長続きはしなかったが……そなたらは、これからどうするつもりだ?」
不意に問われ、四人は顔を見合わせた。質問の意図が正確にはわからない中、視線がベルハルトに集中する。
実のところ、この戦いにおいてリズには最初から色々と思うところあり、ベルハルトに華を持たせるべきと考えていた。
彼自身としては、少し遠慮する気持ちもあるのだろうが……兄弟に促される格好で、大魔王との会話に応じた。
「何の話だ?」
「ククク……気づいていないということもあるまい? 我ら魔族は、長きにわたって魔界で相争ってきたが……吾輩がニ度、この顕界へ侵攻を果たした。版図になり得ると示したのだよ」
「お前以外に目をつけているヤツがいない……って訳でもないんだろうな」
「……さて、な」
結局のところ、彼を倒してもまだ、脅威になり得る存在はいくらでもあるのだろう。
それに、彼の本体は、魔界で今も健在なのだ。
ふと視線を上げたリズの目には、やりきれない様子のルキウスとアクセルの姿が映った。そんな中、ベルハルトはというと、あまり重く考えていない様子だったが。
「お前の大失態で、手控えてもらえそうなもんだけどな。それに、すぐにでも仕掛けてこれるってほど、安易なものでもないんだろ?」
「だとしたら何だと?」
「別に。この世代で得た勝利が無意味じゃないなら、それでいいじゃないか。後の世代のことまで思い悩んだって……今の内から面倒みてやろうなんてのは、どう考えても傲慢だろ」
あっけらかんとした風に言い放つ、ラヴェリアを継ぐ若き王の言葉に、大魔王は瞑目した。もしかすると、ちょっとした嫌がらせのつもりで揺さぶってきたのかもしれない。
ただ、繊細なところもあるベルハルトだが、程よく図太いところもあった。
そんな彼にある芯を認めたか、大魔王は口を閉ざした。その身が果てるのを、ただ神妙に受け入れているようにも映る。
そこでリズは、腰から魔剣の成れの果てを引き抜き、ベルハルトに真剣な目を向けた。
「兄さん、とどめを刺すなら……」
「ああ、なるほど……世話になったからな」
多くを言わずとも察してくれる兄に、リズは最後の一撃を託した。
そこへ、大魔王から声がかかる。
「そなたがやれば良かろうに」
「……何言ってるの。あなたに最後の一撃を入れた奴が、ラヴェリアって国を継ぐことになるのよ。私は、そんな重荷、ゴメンだわ」
そして、重荷を背負わされる青年が苦笑いを浮かべた。最後の一刀を突き立てるべく構え、口を開く。
「何か、言い残すことはあるか?」
「そうだな……そなたらの子々孫々に、よろしく言っておいてくれまいか」
「懲りない野郎だ」
短く言い返すと、ベルハルトは大魔王の胸部に、壊れた魔剣を突き立てた。
この一撃がとどめとなり、大魔王の身体が目に見えて崩壊していく。統制を失った魔力が再構築されることはなく――
彼の消滅を目にし、確かな安堵を胸中に覚えた後、リズはその場に倒れ込んだ。




