第409話 策士ふたり、最後の盤面
魔導書一つを犠牲にした一斉砲撃も、大魔王を倒し切るところにまでは至らなかった。
その事自体は十分に予想できていたことだが、リズにとっては意外な変化もあった。
というのも、これまでその場をあまり動くことなく射撃戦に臨んでいた大魔王が、ついにその足を動かし始めたのである。
最初に見せた突進に加え、素早く腕を振って手刀から魔刃が飛ぶ。単純な攻勢ではあるが、圧は本物であった。できる限り余裕を持って避けようと動いていくリズ。
攻め方を変えた大魔王だが、先の魔導書を脅威に見て……というだけのことではないだろう。
最初から勇敢な姿勢を見せているリズだが、戦いぶりは受け身であった。相手の出方を見つつ、今の自分の感覚を得るためだったのだが……大魔王から見れば、消極的と映っていたのかもしれない。
そこへ来て、あの奇襲である。かつての好敵手も見せなかった手口を見て、本格的に、闘志に火が付いたといったところか。
玉座の間を縦横無尽に踏み荒らしながら迫る巨体を前に、リズは飛び交う魔刃を魔剣でどうにか取りさばいていく。
今のところ、大魔王の手で破壊されているのは、この戦場だけである。突進の踏切一つで床面が打ち砕け、リズの回避に合わせた方向転換で、やはり力づおく踏みつけられて亀裂が入る。
かと思えば、突進の合間に大魔王が振るう両椀から魔刃が飛び、これを避けるリズの後方で壁が刻まれ、壁材の欠片が寂しげに落ちていく。
攻撃を受けずに避けきるリズだが、見るも無惨な玉座の間の姿が、彼女の背筋を凍らせた。
この大広間そのものが、彼女に代わって攻撃を受け、威力の程を示しているのだ。直撃をもらっても、即座に決着が着くわけではないだろうが……
(だとしても、衝撃で体勢を崩されれば……!)
ただ一つのミスで、全てが瓦解しかねない。
そんな強いプレッシャーに襲われるも、彼女は果敢さを失ってはいない。
大魔王による稲妻のような突撃、そこから繰り出される魔刃の嵐を、彼女は正面から見据え、見切った。露払いのように迫る魔刃を最小限の動きで回避し、突進のすれ違いざまに身を翻して急回転。
魔剣に託した魔力が回転に乗って飛び、大魔王の背を深く刻んだ。
もっとも、斬りつけたはずの傷は、目の前ですぐに回復されてしまうのだが……
(いや、これでいいわ)
防戦一方のままよりは、ずっといい。攻めの姿勢を崩さないこと、虎視眈々とチャンスをうかがうこと、それこそが気力を維持して高めるのに必要なことだと、彼女はよく理解していた。
そもそもの話、大魔王はこの人の世に対する挑戦者ではあるのだが、この戦場においては、攻めに来たのは自分の方なのだから。血気盛んに殴り込んでおいて、いざとなれば防戦一方などというのは……
折れることのない自分を保つリズに対し、大魔王もまた、反撃の機を逃さない好敵手に好感を持っているように映った。斬られたばかりの身ではあるが、リズに振り返ったその顔には、どこか満足げな微笑が浮かぶ。
「気持ち悪いわね。斬られて喜んでるの?」
「クハハ、そう言ってくれるな。奴の末裔が実際にどれほどのものかと思ったが……」
そこで言葉を切ると、大魔王は自分の言葉を一笑に付した。
「いや、これ以上は無粋であろうな」
「一人で納得しちゃって……」
口でこそ冷淡に返すリズであったが、相手から向けられる眼差しの中に、負の感情が驚くほど薄いことはわかっていた。
おそらく、彼は完全に実力を認めている。あのラヴェリアに連なる者として――
あるいは、家名とは関係なく、ただひとりの勇者として。
討つべき敵に認められていることに、リズは少なからず昂ぶるものを覚えた。
討たねばならない敵だというのに変わりはない。この身を賭しても相手を滅ぼす覚悟は、いささかも揺るがない。
ただ、それはそれとして、であった。
掛けるべき言葉が途絶え、どちらともなく示し合わせたように動き出し、再び戦場に魔力の刃が乱れ飛んでいく。
この大魔王にとっては、人間どころか同族が使う魔法でさえ、使ってやるほどのものではない。数多の術式からなる強大な魔法生物の体においては、その一挙手一投足が魔法になり得るからだ。
それも、多大な魔力を乗せた、シンプルにして強大なものに。
彼にとっては、五体そのものが武器であり、そして五体そのものが幾重にも重なる鎧でもある。
ヴィシオスという国を簒奪するにあたり、おそらくは史学規模での謀略があったことだろう。そうした動きの中心にあった大魔王は、相当な策略家に違いない。
だが……いざ戦場に出てみれば、その体以外に頼ることはない。
躍動する肉体――仮初めのものだが――と魔力に任せた戦いぶりは、相対するリズから見ても清々しささえあった。
しかし、簡潔にして恐るべき攻撃を繰り出してくる大魔王だが、秘している手があるのはわかっている。
より正確に言えば、この戦闘に至る前に使っていたものだ。
それを誘うべく、リズは再び一石を投じた。再びこじ開けた《超蔵》の穴から、魔導書を飛ばしていく。
この一戦のため、用途別に作っておいた魔導書は何冊もある。さすがに、一度に数冊も使うことはできないが、複数回に分けて用いるのなら余裕だ。
そして……新手の登場に、大魔王は鋭敏な反応を見せた。リズへの攻撃は一時中断し、床を揺るがす豪快な踏切で後方へ跳躍。飛び退きながら、両手に魔力を高めていく。
再び床に足をつけると、彼は両の手のひらを体の前で合わせて魔導書へ構えた。決壊という言葉が似合う魔力の迸りが、夜闇を切り裂く一条の閃光となる。
この怒涛に呑まれ、魔導書は戦場に現れてわずか2、3秒といったところで消し炭になって果てた。これでは姿勢制御してページをばら撒く余裕もない。
ただ、使わせることはできた。発射までの動き、構え。直に目にしたからこそ――次に自分が撃たれる時、きちんと対応できる。
一方、大魔王にとっては、これが奥の手というわけでもなかろうが……使わされたという認識はあるらしい。布石を破壊したという得意さはなく、彼にしては淡々としたものであった。
(ともあれ……隠しておく理由はなくなった、ってところかしら)
これまでのループから、あの光線の激流は大魔王にとって必殺の決め技のようなものだというのが判明している。
事実、彼に挑んで打ち倒されてきた何人ものリズは、いずれも最終的にあれを受けて倒されていた。受け止め、押し切られる前の最期の猶予に、脳裏にせめてもの情報を刻み込んで、後世へと繋いでいったのだ。
だが、今回ばかりは状況が違う。その直感がリズにはあった。
再び両者の間が開いたところ、リズは先手を取って魔剣を振るった。放たれる魔力の刃に対し、大魔王は鋭くステップして回避、身を翻しながら裏拳の要領で手刀を振った。
巨体に見合わない軽快な動きを見せた彼に、リズは淡々と対処を続けた。お互い、付かず離れずの間合いを保ち続け、飛び交う魔力の刃が大広間を切り刻んでいく。
だが――魔力の高まりを見せる大魔王の手に、リズはふと、ただならぬものを感じ取った。
その直感が奏功した。すぐさま回避行動を取ったところ、彼女が居たところへ、大魔王の右手から放たれた魔力の光線が打ち付けられる。
この一撃のために溜めるところなど見せなかったものの、床材が砕かれながらも溶けて果てていくのを見るに、威力は十分すぎるものがある。
こういった手を使われるのではないか、そんな予感はあった。
まずは、決め手としてのインパクトを印象付けておき、いくらか溜めが必要なものと思わせておく。
その上、ここまでの戦いは手刀による魔力の刃が主体であった。構えてから振るという動作に慣れてきたところ、手刀のように同じく手に魔力を高めていき――
構えてからノーモーションで、魔力の光線を放つ。
片手でも十分な威力だ。耐えきれないわけではないが、これを牽制に使われるとなると……
この後の流れを思って手に汗握るリズに対し、ここぞという奇襲を外した大魔王は、なんとも言えない味のある微笑を浮かべた。避けられて残念そうな、あるいは納得したような、はたまた感心したようにも――
少なくとも、向こうにはこの激闘を楽しむだけの余裕が、まだあるように見受けられる。心の持ちようというものかもしれないが。
ともあれ、極め技の派生としてこういった使い方をされるようになる以上、戦闘がより危険な局面に突入したのは明白である。
両者が再び動き出すと、大魔王はこれまでとは打って変わって、何の遠慮もなく光線を放ってきた。突進しながら手では光線を持続的に放ち、玉座の間に爪痕を刻む。
腕の動きさえ注視していれば、光線の動きには十分に対応できる。
とはいえ、目に見えているからこそのやりづらさというものもあった。未だ全身鎧は健在でも、あれを受ければ……という懸念はある。あえて見せている威嚇とわかっていても、行動の選択肢を狭められている確かな実感があった。
床を力強く踏みしめ、大魔王の巨体が迫る。右手から逃げ場を潰すように光線が床と壁を焼き付け、振りかざした左腕が次なる動きの駆け引きを仕掛けてくる。
ただ一人、魔導書も使わず、さながら連携のように攻め立ててくる巧みさに、リズは舌打ちしながらも感服した。
そして、光線放つ右腕の動きを読み切り、あえて敵の右側へ飛び込んでいく。左腕からは狙えない位置関係を目論んでの動きだ。
しかし――すれ違いざまにリズの魔剣が届こうかという間合いの中、大魔王は床の窪みに足をハマらせた。
(いや、これは……!)
この動きが意図的なものであると悟った時には、もう遅かった。足を取られたのを逆用し、その場で急制動。すぐさま強引に向きを変える大魔王に対し、リズは反射的に魔剣を前に構えて守りを固めるが……
彼女が後ろに下がる動きを見せるより早く、大魔王が動いた。あらかじめ、想定した動きがあったのだろう。
魔力高まる左手から放たれたのは、《火球》であった。
互いに至近距離で、《火球》が炸裂。よもや、このような普通の魔法で……そんな想いはリズにあったが、威力はさすがに大魔王手ずからのものである。
幸い、魔剣を構えた守りの姿勢、加えて距離を取ろうと脚に力を入れていたおかげで、さしたる被害なく業火から逃れていくリズだが……
半ば吹き飛ばされていく恰好であることが、彼女にとって災いした。
同じく爆風で吹き飛ばされる大魔王は、痛めつけられた表皮がすぐに再生していき、彼はより高く勢いよく飛ばされるリズよりも一足早く着地した。
――その両腕には、すでに十分な魔力が溜まっている。
このタイミングであれば、避けきれない。
背筋に走る戦慄を精神力でねじ伏せ、リズは着地するとともに構えを取った。
彼女の着地からわずかに遅れ、玉座の間を閃光が満たした。研ぎ澄まされた知覚と思考加速がもたらす時間感覚の中、破壊の奔流が迫ってくる。




