第408話 最強の敵
リズからの名乗りを経たことで、大魔王は改めて、自分にふさわしい敵がやってきたことを認識したらしい。静かな佇まいを見せる彼には、どこか感慨深そうな雰囲気があった。
しかし、彼がひとたび自身に活を入れると、場の緊張感が急激に高まっていく。肌を刺すような魔力の波動にただならぬプレッシャーを覚え、リズはかすかに身を強張らせた。
一撃もらえばそれだけで大勢が傾きかねない突撃の連続も、あの大魔王にとってはささやかな余技、はたまたウォームアップでしかない。
その程度のことなど、リズにとっては先刻承知であった。過去に幾度となく挑み続けては倒されてきたループの中で嫌というほど理解している。
張り詰めた空気の中、戦いの潮目が変わっていく。リズは仕掛けるよりも、まずは身構えて対応することを選んだ。
知っている攻撃に対し、今の自分がどれだけ対処できるか、感覚を確かめるために。
強烈な重圧を感じながらも、あくまで冷静さを保つ彼女の前で、大魔王は悠々と右腕を振りかざした。右手の手刀に込められた魔力が、見るものを圧倒する輝きを放ち――
そして、一閃。全身が魔力で構成される分身体ならではの、一撃である。ギリギリでサイドステップしたリズのすぐ横で、床に深く長い断裂が生じた。
手刀から放たれた魔力の刃は、リズの動体視力と思考速度を以って、どうにか視認できるというほどのスピードであった。
「さすがに避けるか」
よほどの猛者でも、無傷というのは難しいだろうが、大魔王にしてみれば避けられても驚きはないといった認識の様子だ。
ただし、攻撃はここからが本番だというのを、リズはよく理解していた。
これ見よがしな一刀に込められていた力は、溜めの時間もあって相当な物があった。
だが、大魔王の次なる構えは、両手を手刀に変えたものだ。一撃の威力を多少犠牲に、連撃を仕掛けようというのだ。
対するリズは、魔剣を構えた。魔導書の用意は何冊もあるが、飛ばすにはまだ早い。なぜなら――
(……来る!)
直感が、体を衝動的に突き動かした。残像が見えるほどの速度で横薙ぎした、大魔王の左腕から魔力の刃が放たれる。
全身鎧という見た目ながら、それを感じさせない動きで、この一撃をリズは上へ飛んで回避した。
それを叩き切らんと、今度は振りかぶった右腕からの一閃。上から叩きつけられる一撃に対し、リズは構えた魔剣の峰を合わせて受け止めた。
(……ッ!)
距離を隔ててなお、十分に重みが乗った一撃。直撃は避けたものの、衝撃を受けて押し込まれる。
次いで、さながら鞭のようにしなやかな動きを見せ、両椀からの追撃が迫る。
だが、これは読めている。先に受け止めた一撃で飛ばされたのを逆用し、リズは大広間の壁に着地した。すぐさま壁から跳躍し、迫り来る魔刃とすれ違って床の方へ。
床に足をつけるや否や、彼女は身を深く沈めながら横へ駆け出した。大魔王へ向けて魔剣を振りかぶり、彼女からも横薙ぎに魔刃を飛ばしていく。十分に魔力を込めた、この一撃を前にして大魔王は……
左腕をなんとも無造作に、前へと突き出した。
迫る刃が手から腕へと深く食い込んでいくが、彼は何一つ言葉も息も漏らさない。ただ、じっくりと、威力の程を味わっているようにしか見えない。
やがて、彼は中程から上下に断たれた左手をギュッと握った。掴まれた魔刃が霞へと変じていく。
彼が左手を開いてみせると、斬りつけたはずの傷はそこになかった。
効いていないというアピールかもしれない。
リズは魔剣を構え直しながら、距離を維持したまま動き続け、敵めがけて何発も魔弾を放った。
これに対し、大魔王は再び両椀を振るわせて魔刃を放ち、迫り来る魔弾を叩き落としていく。
かねてより直下から魔力立ち上る玉座の間だが、今や両者が放つ攻撃が相殺されて飛散し、より濃密に魔力が立ち込める有様であった。
リズからの攻撃は大半が迎撃されてしまう。質と量兼ね備える彼女の強烈な弾幕に対し、大魔王が放つ手刀からの刃は、十分に対抗できるほどの強度と速射性があるのだ。
それでも、撃ち落としきれずに大魔王の玉体を撃つ弾も少なくないが――
(やっぱり、大して効いてないわね……)
多少の被弾程度では、相手の動きに何一つ変化が生じないことを、リズは早くも感じ取った。
一方、大魔王から放たれる魔刃もまた、弾幕を抜けてリズを脅かす。彼とは違い、さすがに直撃をもらえない身となると、慌ただしく戦場を駆けるよりほかにない。
目まぐるしく駆け回る彼女を討たんと何発もの魔刃が放たれ、そのことごとくを彼女は避けきり、代わりに玉座の間が無惨にも切り刻まれていく。魔力打ち合う戦闘音に混じり、リズの耳には、大広間を形作る構造の剥落音が届いた。
(私より先に、この部屋が持たないかもね……)
無論、そうなれば状況がより一層に混乱する。そうしてまでというほど追い詰められていない現状、部屋が崩壊するのは好ましくはない。
しかしながら……今のところは殺されずにやり合えているが、このままでは殺しきれそうにないというのもわかっている。
一種の魔法生物である、あの大魔王の分身体は、身体的な負傷という概念が存在しない。そこで、身体を構成する魔力を消し飛ばすか、あるいは核となる術式を破壊する――というのが、魔法生物一般の破壊方法である。
だが、これとわかりやすい術式という弱点が見えないとなれば、彼を構成する魔力を、外部からの攻撃で相殺していくしかない。
問題は、どれだけ攻撃を加えればよいのかということだ。
(たぶん、無駄にはなっていないはず……)
魔弾と魔刃飛び交う激戦の中、いつも通りに思考が巡る職業病とでも言うべき自分の有り様に、リズはかすかに唇の橋を吊り上げた。
彼女が放った一撃を左手で受け止めてみせた際、大魔王の手はすぐに元通りになっていた。その前後の状況から、彼は受け止めた魔刃そのものを体に取り込んだようにも見えるが――
リズは、そのように見せるためのブラフではないかと看破した。
魔力による攻撃そのものを、最終的には身体に取り込めるのなら、あの大魔王に向かう強い魔力の流れがあってもおかしくはない。
そういった流れが見えない以上、彼への攻撃には意味がある。斬撃にせよ射撃にせよ、分身体を傷つけることで、身体再構築のために魔力を消耗させることはできる。
そして……戦場に飛散する攻撃の残滓が手つかずになっていることから、彼が取り込める魔力には、何かしらの条件があるのだろう。
(たぶん、他者の魔力が強く混じり合っていると駄目とか……)
実のところ、ここまでの考察は、過去に散っていたリズたちも到達しているものだ。この場に臨んで改めて、今のリズは強い確信に近いものを得ることができた。
とはいえ……ここまでの攻撃が無駄ではないとしても、これで勝ちきれることを意味するものではない。残酷な現実だが、リズは怖じることなく正面から受け止めていた。
大魔王の身体を構成する魔力を相殺していくということは、彼に匹敵する魔力を用意せねばならないということである。技量のような付随要素は、あくまで、敵を削っていく効率を問うものだ。
命を捨て不死者になり、ネファーレアに助力を依頼した理由の根本が、ここにあった。リズ本来の力に、あの妹の力まで加えれば――
(いや、それでも足りないかもしれない……けど!)
仮に全身全霊の攻撃を叩き込んだとしても、あの大魔王の消滅には届かないかもしれない、そんな予感はあった。
だが、まだやりようはある。たとえ自分では倒せずとも――
覚悟を決めた彼女は、一度攻撃をやめて歩を落ち着けた。
一方、これに合わせるように、大魔王も攻撃を中止した。今はただ、出方をうかがうように静かに構えるのみである。
それにしても……先程の撃ち合いにおいて、彼の方はその場をほとんど動いていない。負傷という概念がないからこその余裕かもしれないが、力の差というものを見せつけてくるようでもある。
この大敵を前に、リズは不敵な笑みを浮かべた。
あくまで余力を残したように振る舞う大魔王だが、リズもまた、腹に抱えた秘策はいくらでもある。
そのうちの一つを、彼女は切った。瞬時にして《超蔵》を展開、次元の穴から一冊の魔導書が飛び出してくる。
リズが魔力を込めると、魔導書は勢いよく戦場を飛んだ。飛びながら宙を舞い踊り、いくつものページから《追操撃》を撒き散らす。
この魔導書とともに、彼女も再び動き出して魔弾を放っていく。
にわかに現れた増援だが、大魔王は淡々としたものであった。弾幕の密度は増したが、彼を急き立てるほどの変化にはなっていない。
それに……迫る弾の嵐を打ち払う、両椀の手刀からの刃があれば、いずれ魔導書もまとめて始末できるだろう。攻撃しながらも、反撃を避けようと飛び回る魔導書だが、客観的に見れば、いずれ討たれる運命にあった。
事実、魔導書は進退窮まり、魔刃の餌食となった。リズの代わりに注意を引き付けたとも言える。開かれた魔導書の中心に吸い込まれるように、魔力の刃が通っていき――
開かれた魔導書の中央を、さながら狙い澄ましたように魔刃が通過し、両断。魔導書は背表紙を失い、全てのページが宙に舞い散る。
しかし、リズはあえて、この一冊を討たせた。超人的な感覚と操作精度を以って、あくまで自然な格好で魔導書が斬られるところまで持っていったのだ。
宙に散ったそれぞれのページに、リズは魔力を注ぎ込んだ。
騒がしく誘導弾を撒いていたページは、実際にはごく少数。一部のページに過重労働させていたに過ぎない。
本命はむしろここからだ。半ば使い捨て扱いの一冊の大半を構成する、《念動》と《火球》の組み合わせからなる数々のページが、大魔王を取り囲み……
討たれてから真価を発揮する伏兵の、一斉砲撃。視界を埋めんばかりに《火球》が迫る。
突然の集中砲火に遭ってなお、大魔王はさすがであった。瞬時にして回避行動に移り、手刀を放って《火球》を迎撃していく。
だが、それでも捌ききれない物量であった。何発か直撃が入り、彼の体が爆炎に呑まれていく。
そして、リズが放ったのは全弾ではなかった。相手が回避行動に映るだろうという想定のもと、相手の動き出しを見切り、彼女はわずかに間を開けて斜線を補正しての第二射を放っていた。
この本命の砲火が、大魔王の体に叩きつけられる。盛大な爆発音が轟き、玉座の間に満ちていた魔力が、爆風に乗って外へ去っていく。だが――
これでもまだ、両者の力の差を埋めるための、多少の有効打になったという程度だ。
浮かれることなく構え続けるリズの前で、大きな火の玉の中からいくつもの魔刃が飛んだ。宙に舞う数々のページが、あえなく斬り裂かれて散っていく。
両椀の動きは、身を包み込む火勢をかき消すためのものでもあったらしい。大魔王が炎に包まれていたのは、実際にはごくわずかな時間のことであった。
彼が身にまとっていた上着は、見るも無惨に焼け焦げている。相当の耐火性はあったのだろうが、今では隆々とした体躯に焼け残りの破片がしがみつく程度だ。
そして……煌々とした大火に中にあって、彼の体はきれいなものであった。うっすらと内から魔力が灯るように見える色白の肌には、火傷一つ見当たらない。
それでも、彼にとってはそれなりの脅威ではあったらしい。感嘆した様子で、彼は口を開いた。
「奴はどちらかというと、剣に優れた勇者だったが……そなたは魔法が得手らしいな」
あれで決めきれると思うほど、リズは楽観的ではなかったが、とっておきの一つではあった。だというのに、この大魔王はまだ余裕ある態度を崩さないでいる。思わず苦笑いするリズだったが……
(いつものことか)
ままならないのは、いつも通りである。
それでも諦めず、策を弄して立ち回ってきた。
これまでにない重責の中、かつてない敵を前にしているのは事実。それでも自分らしい気持ちは、毛ほども損なわれていない。
そういった自分のあり方が、今の彼女には何よりも心強かった。




