第407話 かかって来い
かつてラヴェリアの始祖が、かの大魔王を討ち倒した時、敵は分身体に過ぎず本体は魔界にいた。
リズが相手にしている大魔王もまた、非生命の存在である。生きているように見えるのは見せかけだけ、本質的にはいくつもの魔法陣によって構成される、魔力の塊――
いわゆる魔法生物だ。
問題は、その性能と性質にあった。負傷しても、それが後の動きを阻害するようなものにはならない。
加えて、どうやれば滅することができるのか、リズには確かなことが言えなかった。ご先祖は、敵を弱らせた上でどうにか封印に持ち込めたという話だが……
(あくまで魔法生物の括りであれば、核になる部分を破壊されるか、魔力を相当量喪失すれば、体を維持できなくなるんでしょうけど……)
敵から魔力を奪うにしても、根気強く攻撃を当て続ける必要がある。
ただし、攻撃を加えて敵から魔力を奪ったとしても、下の階から魔導石由来の魔力が立ち上り、敵に吸収されてしまうのだが。
魔力の吸収ペースについても、確かなことは何も言えないのだが、この戦場が敵にとっては好都合なものであるのは間違いない。
それでも、戦わなければ。
腕一本斬り飛ばしてなお、致命傷どころか有効打になったかどうかすら怪しい。
リズは苦い現実を前に、うまくやったという思いよりも、釈然としない理不尽を覚えながら、完全と剣を構え直した。
一方、早くも出し抜かれた格好のロドキエルだが、リズの見立て通りの態度であった。彼には何ら焦ったところがなく、むしろ上手を取られたことに、何やら喜ばしさや感銘を受けているようでさえある。
先ほど見せた苛烈な動きとは裏腹に、彼は悠々とした所作で歩き、腰をかがめた。切り飛ばされた右腕を左手で掴み、それぞれの切断面を――
「冗談でしょ」
やるのではないかと思っていても、実際に目にすると、生理的嫌悪に勝るほどの辟易が胸を満たす。
果敢な一撃が無かったかのように、ロドキエルの腕が元通りにくっついた。その具合を確かめるように、彼が右腕をゆらりと振る。
しかし、残念と落胆を表に装うその裏で、リズは静かに動いていた。手にした魔剣との間に《念結》を接続。無言で語りかけていく。
『閣下。奴を斬った感触は?』
『魔法生物相当だ。我が力が通用する敵ではない』
端的な返答は想定通りのものであった。
つまり、相手の生体組織を変性させる、《インフェクター》の力には頼れない。
『残念ね』と心の中で返答し、リズは小さく鼻を鳴らした。すると……
「残念だったな」
大魔王が発した言葉に、リズは少なからぬ驚きを覚えた。
まさか、彼まで心を読んでくるというはずもあるまいが……
(あいつの右腕の件でしょうね)
右腕を前に突き出し、これ見よがしに指を遊ばせる大魔王の茶目っ気に、リズは呆れたような笑みを浮かべた。
「便利な体で羨ましいわ。人間は、やられたらおしまいだもの」
「そなたは、そうでもなかろう?」
含みのある問いに、リズは強い警戒心を抱いた。
何を指しての問いだろうか。カマでもかけているのか?
「何の話?」と問うと、大魔王は……人を喰ったような笑みをやめ、どこか真摯な眼差しを向けてきた。
「そなたの体、もはや生者のものではあるまい。近づいた一瞬だが、そういった気配を感じた……違うか?」
「だとしたら、何?」
リズは明言は避けつつ、会話には応じる姿勢を見せた。向こうの事を考えるならば、時間稼ぎにも意味があるからだ。
それに、会話そのものが何かしらの足しになればという想いもあった。
さらには……敬愛するご先祖が討ち倒した大魔王への、純粋な興味関心も。
最初の内は挑発に挑発を返してきたような両者だったが、互いに向ける視線は真剣なものになっていた。そんな中、どことなく寂寥感を漂わせ、大魔王が静かに口を開いた。
「不朽の魔法使いか? 余と戦うため、すでに命を捨てているのだろう?」
「さぁ? 別件で死んでるとは思わないの?」
「そなたほどの猛者を殺めたのなら、真っ先に報告が上がるはずなのでな」
なるほど、配下の間で勲功争いがあるのは知れたこと。そこに付け入ったという事実もある。
さらなる言葉ではぐらかし、煙に巻くこともできたが……どうにも、そういう気がしない。ただ口を閉ざすリズに、大魔王が問いかけた。
「なにゆえに、そうまでして事を急いだのだ?」
「なにゆえ、ですって?」
理由はいくらでもあった。天候不順による収量減少、そこから来る長期戦の不利。放っておけば、この大魔王がさらに魔力を蓄え、手がつけられなくなるということも。
そうした、未来を見ているからこその理由は、さすがに口にはできなかったが……
命を捨ててまで突き動かす衝動の本質は、もっと別の所にあった。
「一日でも早く、人の世を取り戻したいのよ、私は」
「その世にそなたがいないとしても、か?」
「だとしても、お前たちがいる世界に心を痛めて老いていくよりは、ずっとマシだわ」
敵を見据えて言い放つリズの胸中には、不思議と、憎悪や憤怒がほとんどなかった。あるのは強烈なまでの使命感である。
この世のため。
関わり合ってきたみんなのため。
そして何より、これまで生き抜いてきた自分のため。
心が求める生き様に殉じる彼女を前に、大魔王は嘆息した。
「今更だが」
「何か?」
「名を聞いていなかったな。大変な失礼をした」
神妙な顔で詫びる彼に、リズは思わず苦笑いした。
いつぞや耳にした話だが、魔族は強者には敬意を払うという。種族には関係なく――いや、むしろ、人の身でここまで登りつめればこそ、かもしれない。
世界にその名を轟かす大魔王のお眼鏡にかなったのは栄誉だが、リズは大して感銘を受けず、淡白な調子で言った。
「名乗るならそちらから……いえ、今更かしらね」
「知っていればこそ、ここまで来たのであろう?」
「ま……現物に会うのは始めてだから。実は影武者だったりして……ね?」
命を捨ててまで挑みかかった若い娘が、非生命の身を当て擦る。この皮肉に、大魔王は「手厳しいな」と苦笑いした。
それから少し間をおいて、リズはよく通る声で名乗りを上げた。
「エリザベータ・エル・ラヴェリアよ」
「……そうか。奴の末裔が……」
予感自体はあったのだろうが、実際に耳にして、大魔王は感慨深そうに声を漏らした。
「ラヴェリアの子孫となれば、相手にとって不足はない! さぁ、来るが良い、当世の若き勇者よ!」
「……フフフ。来るが良い、ですって?」
敬愛してやまないご先祖と自分が、あの大魔王の中で重ね合わされている。それ自体は誇らしく覚えたものの、リズは大魔王の発言を、不敵にも鼻で笑ってみせた。
「人の世に挑んでおきながら、こんなド辺境でコソコソ隠れて……せっかくこちらから出向いてやれば、『来るが良い』? 勘違いも甚だしいわね」
身の程を弁えない突然の挑発に、大魔王が真顔で固まっている。
――この視界を共有しているはずのネファーレアは、どういった気持ちでいるだろう?
そんな事を思いつつ、リズは続けた。
「あの時みたいに、今のお前も所詮は挑戦者なのよ、リベンジ野郎」
「……ククク、なるほどな。言われるまで気づきもせなんだわ」
悪名轟かせる大魔王だが、意外と謙虚なところがあるらしい。現世のラヴェリアの言い分だからこそ、かもしれないが。
彼は挑発に気を悪くしたどころか、リズの活きの良さを歓迎しているようにさえ見える。
リズもまた、言葉を重ねるほどに沸き立つものがあった。あのご先祖が、この大魔王を前に何を言ったか定かではないが――
彼もきっと、自分みたいに威勢が良かったのではないか。
胸中に湧いた想いに、リズはフッと微笑んだ。右腕を伸ばし、剣の切っ先を敵の方へ。自分の言葉で、心の猛りを解き放つ。
「さぁ、かかって来なさい! 今日もラヴェリアがお相手になってやるわ、下郎!」




