第405話 書きかけの脚本
魔導書が放った声音はリズのそれだったが、丁寧な口調がベルハルトに強い違和感を与えた。
ただ、この魔導書は元から色々と不可解であった。思い通りに移動させることはできるが、《追操撃》は意のままに動いたり動かなかったり。
それに、空間を跳躍して突然現れるかのような、ヴィクトリクス操る魔力の刃。あの攻撃が、魔導書の存在下では行われなかったあたり、何かしら関係はあるのだろうが……
味方には違いないが、どうにも信じれない――というより、アテにしきれないところもある。思わず訝しむ目を向けるベルハルトに、魔導書からはさらなる呼びかけが。
『現在、会話可能な状況でしょうか?』
「あ、ああ……」
『では、いましばらく自己紹介させていただけますか?』
「わかった」
すると、魔導書は淀みない口調で、自身についての説明を始めていった。
まず、本書の全体にわたって、魔道具の自動化技術が用いられているという。この技術はリズがファルマーズと戦闘した際、すでにある程度確立されていた。全身鎧の魔道具に付随する、攻撃パーツの制御に用いられたものである。
今回の一連の作戦においては、飛行船の自動航行にも用いられている。
『本書の大半のページは、状況に応じて対応するべく、自動化術式のために費やされています』
「誘導弾が言うことを聞かなかったのも、それか」
解説の途中で口を挟んだベルハルトだが、魔導書は彼の言葉が終わるのを待ってから、直接の回答にはならない言葉を返した。
『陛下。申し訳ございませんが、想定にない会話の受け答えまでは対応しておりません。あしからずご了承いただきますよう』
「そ、そうか」
おそらく、別の言葉を投げかけても、事前に想定されたものでなければ同じ文言が返ってくるのだろう。人間相手に会話するのとは勝手が違う。
慣れない感覚に戸惑いを覚えるベルハルトだが、彼はすぐに認識を改めた。
決まりきった会話だけであろうと、これは相当な進歩に違いない、と。
そして、この技術の裏には、ファルマーズら魔法技術に血道を上げる者たちと――幾度となく生死のループを越え、それぞれの世界の技術を受け継いで結んだリズの献身があるのだ。
神妙な想いで打ち震えるベルハルトを前に、魔導書は改めて淡々と解説を続けていく。
戦闘における基本機能は《追操撃》と、書の自衛用に《防盾》のみ。これはベルハルトも知っていることだ。
肝心なのはその理由だが、魔導書の設計者であるリズとしては、彼女かベルハルトのいずれかが、ヴィクトリクスとの一騎討ちに持ち込まれるだろうという想定があったという話だ。
その際、彼には読めるようで読めない《追操撃》が、術者に従順な誘導よりもよほど効果的に働くのではないか――といった閃きに基づき、この魔導書から放たれる《追操撃》の大半を、術者の意志とは無関係に、ごく単純な軌跡で敵対象へ向かわせるように設定されていた。
また、《追操撃》とは別に、《乱動》をかなりの高強度で継続使用する機能も備わっている。これもヴィクトリクス対策だ。
実のところ、ベルハルトはこの戦いに臨む前から、《乱動》については知っていた。
だが、ヴィクトリクスとの戦いにおいて、彼にその事実を読まれることはなかった。
というのも、彼操る《裂空斬》を目にしない限り、ベルハルトが転移やその妨害について意識する必要などないだろう――という、やや運任せではある想定があり、実際にその通りに事が運んだからだ。
結果として、魔導書を怪しまれはしたものの、最後まで《乱動》そのものについては発覚することがなかった。
そこでベルハルトは、ふと思い返した。心読める奴がいるという重大すぎる情報を、知らされていなかったのだ。ロドキエルとの交戦経験があったリズであれば、ヴィクトリクスとも戦ったことぐらいはあっただろう。
それでも、彼女が全てを伏してこの戦いに臨んだのは、相手に手の内を読ませないようにした上で討ち取るためだったのだ。
おそらくは、ループの中で幾度となく煮え湯を飲まされたであろう仇敵へのリベンジに向けた、偏執的とも言える執念と徹底ぶり。ベルハルトは改めて、妹への感嘆と畏怖にも似た感情を覚えた。
一方、彼の胸中を知らないリズの代理が、淡々と事の流れを告げていく。
虚空における戦闘後は、周囲の魔力の動きを把握した上で若干の待機時間をおいてから、現状のような会話モードに移行するとのことだ。
まずは、使用者の”不信感”を拭うため、ヴィクトリクスに読まれまいとしていた秘密を打ち明けていく。
この”不信感”なる言い回しも、設計者が予め記しておいておいたものだ。不信というほどではないにしても、釈然としないものを覚えていただけに、ベルハルトは思わず苦笑いした。
そして、会話モードの後にはもう一つ、重要な機能があるという。
『かねてよりのご懸念であったかと思われますが、本書から《門》の入り口を生成する事が可能です』
つまり、これで虚空から脱出できるというわけだ。ただ、話には続きがあり――
重要な選択を迫られるものでもあった。
『本書が生成するのは、あくまで入り口のみです。出口の想定は二通り。ルーリリラ嬢が用意しております安全地帯。あるいは、著者エリザベータが用意するはずの、おそらくは危険地帯です』
それぞれのパターンについての言い回しに、ベルハルトは問わずとも多くを察した。
ルーリリラ側は、すでに出口の準備があり、こちら側の事が済んでしまえばいつでも逃げられるのだろう。おそらくは、ラヴェリアの血を守るために。
一方のリズ側は――出口の生成は、彼女任せということになる。
待ってもできるかどうか、わからないというわけだ。
『……今現在、エリザベータ側の出口の反応はございません。お察しのことと存じますが、出口の生成を待つ必要がありますが、出口が繋がる保証はございません』
ご丁寧にも推測の答えをもらってベルハルトは苦笑いし……すぐに顔を引き締めた。
言うまでもなく重要な判断だ。もはや王子の一人ではない彼にとってはなおさらのこと。ただ、この魔導書が知りたいことに答えてくれるかどうか。
立場ある者の重責に悩む彼だが……この状況の仕掛け人は、彼が思う以上に気が利く人物であった。
『説明は以上です。ご質問がありましたら、ルーリリラ嬢にお繋ぎいたしますが、いかが致しましょう』
思いがけない提案に若干驚かされるベルハルトだが、少し考えてみればさほど不思議な話ではない。ルーリリラが出口担当として一枚噛んでいるのなら、リズからある程度話が行っているはずだ。
というよりも、後方に控えておける人員だからこそ、ヴィクトリクスと鉢合わせるリスクがなく、ことによれば前線要員よりも多くを伝えられているかもしれない。
虚空から外部に繋ぐというのも、人間としては驚かされるものがあるが……ダンジョンぐらしが長かった魔族にしてみれば、手慣れたものに過ぎないのだろう。
ともあれ、準備の良さに感謝しつつ、ベルハルトは「頼む」と答えた。
ややあって、魔導書から女性の声が響いた。彼も面識のある、例の魔族の女性である。
『陛下! ご無事で何よりです!』
「あ、ああ……どうも」
自国民でもない異種族からの「陛下」呼ばわりと、心底心配していたのが伝わる声音に、彼はなんとも言えない微妙な感じを覚えた。間違いなく、好ましいことではあるのだが。
しかし、彼はすぐに気を取り直して問いかけた。
「こちら側の《門》の入り口というのは、いつでも作れるものなのか?」
『はい。魔導書へご命令を下されたのなら、すぐにでも』
「なるほど……リズ側が先に出口を作っていても、私の方で入り口の用意がなければ、意味がないよな?」
『仰せの通りです』
つまるところ、入り口を用意して待ち構えていなければ、重大な機を逸するというわけだ。
加えて、繋がった瞬間に動き出せるよう、心の準備を整えて待たねばならない。
――リズが、出口を作れるものと信じた上で。
難しい選択である。リズ側がどうなっているか読めない以上、ここで待ち続けることに、果たして正当性があるのかどうか。ヴィクトリクスという難敵を倒した戦果を以って、ひとまずは上等とすべきかもしれない。
一方、妹を見捨てる選択に対し、強く後ろ髪を引かれる思いはある。
しかし……リズが出口を生成したとして、彼女側の状況はどのようになっているだろうか? かろうじて? あるいは余裕を持って?
仮に、破れかぶれの状況であれば、ラヴェリア王族の死体が一つ増えるだけかもしれない。
ベルハルトは、魔力の手甲が覆う自身の右手に視線を落とした。
これからロドキエルと戦うとしても、死の恐怖はない。
ヴィクトリクスと戦っている間にも、「一歩誤れば」という認識はずっとつきまとっていた。
そんな彼は、自身の死そのものではなく、自分が死んでしまった後の母国が、家族が、人の世がどうなってしまうか。それこそを強く案じた。
そして、視線は――傍らで眠る好敵手へ。
すると、ルーリリラの声が静寂を破った。
『リズ様からは、陛下がお悩みのようであれば、ご帰還をお勧めするよう承っております』
「……理由については、何か?」
『迷ったまま戦場への《門》をくぐるのは自殺行為だから、と』
確かに、実に現実的な指摘である。
ただ、ベルハルトはもう少し別の含みを感じていた。ロドキエル討伐を第一に掲げた本作戦だが……ラヴェリアを継ぐ者を損なうことを、彼女は結局、良しとできなかったのかもしれない。
それに、ヴィクトリクスを倒すところまでは、リズの計画通りといったところなのだろうが、ロドキエルを討ち倒すとなると――
「絶対に来い」と言われれば、呆れたため息一つをついて、それでも喜んで稼いできただろう。
だが、現実は違っていた。肝心要の、大きな選択を任されている。リズほどの策士が最終判断を任せてきた事実に、ベルハルトは、妹もまた多くの悩みを抱えていたのだろうと悟った。そして……
いかなる選択であれ、彼女は受け入れるだろうと。
静寂の中でいくらか瞑目した後、彼は意を決した。魔導書に向かい、静かに口を開く。
「ルーリリラ嬢の元へ帰還しよう」




