第40話 暗雲の中の港町②
噂通りの紙面に顔をしかめたリズは、この先のことを思った。
順当にいけば、船の出航は4日後。それまでに、ラヴェリア側が動いてくるかどうか。
リズがこの町に入ったことを掴んでいるなら、海に出る前にと向こうも考えることだろうが……
(すぐにでも動けるものなのかしら?)
いずれにせよ、ラヴェリアの影響力が強い大陸に留まるのは不利。動きを見抜かれていようが、船に乗って大陸を脱しなければ。
船に乗るまでの4日の間に、相手が動くかどうかは定かではないが……怯えすぎて縮こまっても仕方がない。
気を取り直したリズは、ひとまずの宿探しを始めた。
狙い目は人通りが多いところだ。単なる旅人でありたいリズとしては、住人の目を借りて相手への牽制としたい。
無関係の人間が巻き込まれるリスクについては……相手の常識と良心に頼るしかないが。
さて、人目があるという観点で言えば、今いる大通りという立地は中々都合が良い。土地柄、宿泊費もそれなりだろうが、腰を上げたリズは宿の物色を開始した。
彼女にとって意外だったのは、それぞれの宿に客がいくらか入っていることだ。少なくとも閑古鳥が鳴いている宿はない。
そうは言っても、宿が活気に湧いているわけでもなく、街の様子を反映したようにひっそりした感はある。
大通り、大広場近くという条件に加え、宿代が安くて利用客が多いところがリズにとっては好ましい。
そんな彼女にちょうどいい宿が見つかった。近隣の宿と比べると、少し古めかしい宿だ。
受付に言わせれば、他の見目麗しいホテルと比べ、外観で劣る分だけ宿代を安く設定しているとのことだ。
元は改装までのつなぎにと考えて、数年前に定めた値段設定らしいが、これはこれで新しい価格帯の開拓に成功、定着してしまったため、今に至るという。
ただ、安いのはあくまで客引きのため。サービスでは劣るつもりはないと、受付は恭しくも堂々と宣した。
実際、外見に比べると内装は、落ち着きを保ちつつも小粋なものだ。リズが入った部屋も、こじんまりとしつつ居心地の良い部屋だった。
彼女が取った部屋は高層階で、階段で上がる手間の分、人気が低く宿代も安い。
しかし、リズにとってはどうということもない高さであり、むしろ見晴らしの良さは気に入った。
――初めての町の、それも良からぬ空気漂うその様子を一望できるというのも良い。
とりあえずの宿を確保した彼女は、荷物を部屋に置き、リュックサックからカバンを取り出した。
これは畳んで仕舞えるタイプのカバンで、旅行先での買い物にはちょうどいいサイズだ。
もっとも、向かう先は商店ではない。カバンを折りたたんだままポケットに入れ、彼女は宿を出た。
次に向かうは、町の図書館である。
海を通じて外国とつながるだけあり、この町にもなかなか立派な図書館がある。この町を目的地とした理由の一つでもある。
しかし、リズにしてみれば、人生で2つ目――自前のを含めれば3つ目――の図書館だ。
おおよその利用方法は知っているが、彼女は中に入る前に深呼吸をし、気分を落ち着けた。
改まった態度で重厚なドアを開けると、ややひんやりする少し乾燥気味の空気が、彼女を出迎えた。
街中とはまた違うタイプの静けさがある中、彼女はまず受付の方へと進んでいく。
受付で座っているのは、眼鏡をかけた柔和な感じの司書だ。彼女は軽く会釈をした後、どこか初々しさのあるリズに尋ねた。
「こんにちは。当館のご利用は初めてでしょうか?」
「はい」
「ご利用方法はご存じでしょうか?」
「いえ」
すると、司書は丁寧に図書館の利用方法について話し始めた。
図書館側から見ると、利用者は2つに大別できる。登録者と訪問者だ。
前者については、図書館ごとに交付する貸出証を持つ者を指す。交付には、この町の住人であると証明できる証書類の提示が必要だ。
行政機関等からの口添えで、町外の者に貸出証が交付されることもあるが、かなり例外的で特別な措置となる。
そうでない普通の非居住者、つまり今回のリズのような利用者は、訪問者扱いとなる。
貸出証一つで本を借りることのできる登録者と違い、訪問者は借りたい本ごとに定められた保証金を支払うことで、本を借り出せる仕組みだ。
この保証金は、本の返却時に手元に戻る。汚損等があれば、その程度に応じて減額となるものの、実質的にはタダで本を借りることができる。
住所を把握できない利用者については、先に金を納めてもらうことで、持ち逃げのリスクを軽減しようというわけだ。
「貸出期限は10日間となっております。また、訪問者様につきましても、貸し出しの際には宿泊先とお名前をお教えいただけますと助かります」
「わかりました」
「では、ごゆっくり」
司書がペコリと頭を下げるのと同時に、リズも合わせて頭を下げた。
それから、思わず足早になりそうな自分を抑えつけ、彼女は本の林へと向かった。
借りたい本は何種類かある。ただ、彼女にとっては、借りる本に課す重要な条件が一つある。
ちょうど目に留まった本を掴み、彼女は手に取って広げてみた。
それは周囲の地理・歴史について記された本だが、まず見るべきは文章ではなく、文字そのものだ。
リズにとって重要なのは、本がインクで書かれているか、魔力で書かれているか。後者であれば、黒に近い紺色で書かれていることが多く、彼女の目ならすぐに見分けられる。
試しに開いた本は、魔力で記述された本だ。求める条件に合致した本を手に、彼女は別の書架の物色を再開した。
借りたいジャンルとしては、土地柄を反映した地理歴史の本。それと、魔法の教本類。それも、リズが知らない魔法が記されているものだ。
魔法使いとしての知恵や技量に長ける彼女だが、自身の要求水準に満たない知識量だと認識している。
また、国や地方の違いによって、同じ魔法でも使われ方や作法・流儀が違うということもある。そういう知識の差異を、彼女は重要視している。
自分に組み込むことで、さらなる発展を実現できるかもしれない、と。
差し当たって、彼女は呪法の教本を求めた。さすがに本格的な物は置いておらず、かけられた際の対処法を記した対呪法的な教本が大半だ。
それでも、専門家ではないリズにとっては、十分に知識の足しになる。
加えて、彼女は魔法契約系の書物を探した。
こちらについては、予想通りに蔵書が豊富で、彼女は思わず表情を柔らかくした。
こういった大規模な港町は、商取引が盛んに行われ、その際の契約締結に魔法による契約を用いることが多い。割符などよりも照合性が高く、物によっては呪術的な拘束力まで有するからだ。
そういった事情があり、こちらの図書館も関連書籍が充実しているわけだ。
リズとしては、このような魔法契約を誰かと交わそうという考えは、今のところはない。
ただ、《インフェクター》との戦闘でもあったことだが、中々国を離れられない兄弟たちが、契約で縛った刺客を用いてくる事は今後もあり得るだろう。
そういったケースのためにと、魔法契約について今のうちに学んでおこうという考えだ。
そんな勤勉な彼女は、最終的に8冊ほどの本を借りることに決めた。割と厳選したつもりで、これだ。普通に考えれば、4日で読み切れる分量ではない。
貸し出しの受付も、彼女が持ってきた分量には面食らった。
「もしかして、速読できる方ですか?」
「読むのは速い方ですが……ちょっと、調べものにと」
「そういうことでしたか」
軽く言葉を交わした後、受付の女性は貸出金の算定を始めた。本ごとに価値のランクを示すタグがつけられており、計算の簡便化が図られている。
今回の貸し出しについて言えば、一冊一冊がそこそこのお値段だが、幸いにして旅銀が底をつくことはなかった。
もしものことがあれば、組合で執筆系のバイトでもと考えていたところ。リズの口から安堵のため息が漏れ出る。
彼女の心中を知る由もない受付は、金が足りて安堵しているリズに、にこやかな笑みを向けた。
借りた本を自室に持ち帰った彼女は、さっそく本を取り出した。
別に、本を読むわけではないが、今からモノにはする。彼女はベッドサイドにテーブルを配し、一冊だけをテーブルに、残りをベッドに置いた。
これからモノにしようという一冊を前に、彼女は手を組んで前に伸ばした。久々の魔法を使う前に、ふと昔のことがよぎる――
自分の血筋について、まったく良い印象を持っていないリズは、当然のように父王のことも蔑視している。
ただ、彼から贈られたものの中には光るものがいくらかあったのも事実で、彼女自身それは認めている。命、顔、頭、体、魔力等々……
そんな彼女自身に並び、大切に思っているプレゼントの一つが、家庭教師の青年だ。10歳から12歳にかけて、長いような短いような間、彼に師事した。
その時に覚えた魔法が、ある意味では、今のリズの大部分を形作っている。




