第402話 人類最強の男VS魔王軍No.2 ④
目にも止まらない双剣の連撃に対し、ヴィクトリクスは先読みでどうにか持ちこたえながらも、注意をベルハルトとはまた別の標的へと向けた。
二人の位置からさほど離れていない場所にある、一冊の魔導書。ヴィクトリクスにとっては大いに煩わしくあったこの書物も、実際に明白な戦果を上げるほどの働きはしていない。
しかしながら、距離が詰まって白兵戦にかかりきりになっている今、この魔導書が近くにあるというのが、相応のプレッシャーにもなっている。
(……来る!)
魔導書の睨みは脅しに留まらない。魔力の剣が乱舞するその最中、狙い澄ましたタイミングで魔導書の横やりが入ってくる。
だが、両者の打ち合いの威力は、並々ならぬものがあった。双方の剣から放たれる衝撃波のぶつかり合いは、余波でさえも誘導弾を寄せ付けないほどの威力となっているのだ。
奇襲がうまくいかなかったものの、ベルハルト自身はさほど期待していなかったらしい。(まあ、そうなるよな)という素直な言葉を読み取り、ヴィクトリクスはわずかながらに唇の端を吊り上げた。
しかし……自らこの状況へと歩を進めたとはいえ、ベルハルトの猛攻にどうにか対応できていることは、彼にとってやはり驚きがあった。
手にした次元の刃、《裂空斬は、ラヴェリア王族のレガリアに負けることなく、今も健在である。
おそらく、自身の体内に魔法陣を描いたことで、直接的に魔力を供給できていることが、思いがけない強度の原因となっているのだろう。
(相当、使い込んだきたつもりだけど……奥が深い)
不意に脳裏に去来した、激戦の中にしては不釣り合いな感慨に、彼はごくわずかに表情を柔らかくした。
とはいえ、強度は互角の剣で打ち合いには応戦できているものの、技量は相手の方が上回っている。このままでは押し切られてしまうかもしれない。防ぎきれなかった斬撃の余波が、体に浅い傷をいくつか刻んでいる。
一方、全身鎧に覆われたベルハルトは、見たところまだ無傷の様子だ。
現状維持に意味はない。打って出るか――
それとも、打って出させる。それを待つか。
胸の内が早鐘を打ち、全身から汗が噴き出る。体の芯は熱く、しかし、凍てつくようなプレッシャーも感じている。
そんな中にあって、彼の意識はかつてないほどに澄み切っていた。
かってこれほど熾烈な近接戦を経験したことなど、あっただろうか?
ラヴェリアが誇る英傑を相手に、自分がここまでできるものなどと想像し得ただろうか?
この激戦を通し、自分がさらなるステージへと一歩、脚を上げている予感がある。
手応えを感じながら、彼は魔導書を破壊するための策について、考えを巡らせていく。
気の抜けない接近戦の最中も、空間全体に広がる魔力の乱れは感じられる。それも、より強く。
やはり、転移を封じている不可思議なかく乱効果は、あの魔導書が発生源であろう。
そして、彼は基本に立ち返った。
転移は使えない。その上、心を読めるというこちらの強みを見透かし、嘲笑うように動く、先が読めない誘導弾の存在もあった。
だが、だからといって、自身のアイデンティティを喪失したと思うのは早計である。依然として、ベルハルトの思考はしっかりと読めるのだ。読み合いにおけるアドバンテージは、ヴィクトリクスにある。
加えてもう一つ。彼の冷静な思考と流れ込んでくる相手の思惑が、現状をより正確に明るみにしていく。
例の魔導書は、お互いにとって詳細不明である。だが、これが転移封じの主因だろうと当たりをつけているヴィクトリクスに対し、ベルハルトの方はそこまで魔導書を重要視していない様子なのだ。
そして、この状況が続けばヴィクトリクスが不利というのは双方が感じているところ。それでも、互いに先を急がねばならないという点で、考えが一致している。
戦っているのは、この虚空にいる二人だけではない。むしろ――
(早く片を付けて離脱したいのは、向こうの方なんだ……)
ベルハルトの思考から、ヴィクトリクスは王城を取り巻く諸々の状況について、いくつかの情報を得ることができた。
城の前では魔神アールスナージャが仲間たちを足止めしているという。これもまた、彼にとっては大いに驚かされる事実であった。
また、街中にはいくつもの別動隊が動き、相手を釣り出す態勢だという。予想はできていたが、これで確証を得ることができた。
そして、人類側の仕掛けは、決して盤石ではない。
やはりというべきか、この一連の奇襲作戦における最大の戦略目標は、主君ロドキエルの撃破。奇手を重ねて作り上げた混乱に乗じ、態勢を整えられる前に片を付けたい……というのが、人類側の総意であろう。
ベルハルトの脳裏にある断片的な思考と、自身の読みを繋ぎ合わせ、ヴィクトリクスは現状の理解に達した。
そして、状況が動き出す。
ベルハルトが思い描く通りに、魔導書が動き出した。剣で打ち合う両雄から遠回りに離れていき、最終的にはヴィクトリクスの後方に着く軌跡だ。
挟撃されることは、むしろ歓迎であった。魔導書がベルハルトから離れさえすれば、破壊するチャンスが出てくる。
とはいえ、ベルハルトにしてみれば、打って出るべき状況ではあった。
それに、事が好都合に進んでいく中、ヴィクトリクスはむしろ相手への感嘆の念を新たにした。
というのも、魔導書を動かすにあたり、ベルハルトの中でうっすらとした懸念はあったようなのだ。対峙する相手の視線や重心の動きから、向こうは魔導書を必要以上に気にかけているのでは――
そのような推察をした上で、彼は挟撃も兼ねた囮として魔導書を動かし、状況の変化を加速させにかかった。
心を読む事はできずとも、事の背景に近づきつつある。それも、互いに必殺の一撃となりえる刃を打ち合う中で。
ヴィクトリクスは改めて、自分の前にいる青年がどれほどの存在なのかを思い知った。
しかし、萎縮する感はまったくない。遠慮がちに飛んでいく魔導書は、ついに所定の位置についたらしい。後方から迫る誘導弾の気配を、彼は感じ取った。
だが、彼はわずかに体を動かし、相手との位置関係を微妙に変えた。背に直撃するはずの誘導弾は狙いが若干逸れ、打ち合う刃の余波に呑まれて消えていく。
刃と刃がぶつかり合う中、彼は両手にさらなる力を込めた。手に流し込む力が魔法陣を介し、次元を切り裂く魔刃へと供給される。
不意の魔力の高まりに、ベルハルトが瞬時に反応した。力強く打ち払い、自身は鋭い動きで後方へ。
ヴィクトリクスが注ぎ込んだ魔力は、手にした魔刃を瞬間的に、より強く長くしていた。これで討ち取れれば――そんな淡い期待もあったのだが。
(さすがに、効かないか……)
とはいえ、向こうから距離を取ってくれたのは好都合である。彼は刃を振り払われた動きを活かし、相手に背を向け、魔導書へと全速力で虚空を翔けていった。
これを黙って見逃す道理はなく、すぐさまベルハルトが追撃の刃を飛ばすが、軌跡さえ見えればどうということはない。前方から迫る魔導書の連射も、先程の打ち合いに比べれば何のことがあろうか。
結局、後方から飛ぶ斬撃は、数発程度で打ち止めとなった。
――だが、隠し玉があることも読めている。
(……来る!)
心に流れ込む思考と、視界に映る未来の軌跡。ここぞというタイミングで、彼は体を横へ反らした。
次の瞬間、彼がそれまでいた場所を、一本の長槍が突き抜けていった。所持者のシからの限り、どこまでも伸びていく魔力の槍である。
このような飛び道具があるからこそ、魔導書を囮にしようと踏み切ったのだろう。
本来であれば避けきれないはずの攻撃をかわされた事で、少なからぬ衝撃と驚きがあるのが、ヴィクトリクスにも伝わってきた。
逃げていく魔導書を負う彼に、再び槍の穂先が虚空を駆けて迫る。一発は横に回避、すぐさま引き戻してさらに一発、下に飛んでこれも回避。
突きが効かないと見るや、今度は果てしない長槍をしならせての薙ぎ払い……かと思えば、横薙ぎに合わせて伸び切った槍を引き戻し、前方から穂先の返しが迫ってくる。
(器用だな、まったく!)
あの手この手を見せて攻めるベルハルトだが、結局は実を結ばなかった。この事実に、信じがたい思いを抱いているのが、ヴィクトリクスにも伝わってくる。
だが、乗り切った彼もまた、精神的な余裕はまるでなかった。いくら心を読めるとはいえ、ベルハルトほどの猛者に背を向けるのは、大変な恐怖があったのだ。
そうした苦労も、ようやく報われそうである。もうすぐ、直接手が届くほどの位置に、例の魔導書がある。
望み薄なのは承知の上、彼は目を凝らして魔導書を読もうと試みた。が、どこをどう見ても、一様な魔力の塊にしか見えない。
所有者でさえ、何が書かれているのか、正確には把握していないのだ。万一に備え、敵も読めないようにと、著者が徹底していたということであろう。ここまでやられては、もはや敬意が混じった嘆息しか出てこない。
だが、さんざん振り回してくれた魔導書も、もはやこれまでである。掴みかからん勢いで手を伸ばし、彼はその手のひらから魔力の刃を出現させ――
断ち切った、確かな感触の後、魔力の塊が虚空へと霧散していった。




