第399話 人類最強の男VS魔王軍No.2 ①
相手の心を読むという一子相伝の秘奥、《顕心》。
しかし、この超常の禁呪を以って敵の心中を覗いてみれば、ヴィクトリクスの胸中にはむしろ暗雲が立ち込めるばかりであった。
(何を考えているんだ、こいつは……)
虚空へと連れ込むも、それに慌てた様子が敵にはない。
どうやら、心を読む限りでは、事前に虚空での戦闘を想定して訓練してきたという。こうした事態を見越してというのは、用意が良すぎるように思えなくもないが、不自然というほどではない。
そこまではいい。
しかし、虚空へ連れ込まれたというのに、相手には帰りの算段がまるでない様子。帰還手段に思考が向かないあたり、単独で帰る方法がないのだろうと解釈したヴィクトリクスだが……
ベルハルトの思考を読む限り、彼自身は帰還手段を持ち合わせていないであろうに、それを心配する様子が毛ほどもない。
(協力者がいるのは間違いない。しかし、それを期待できる状況だとでも?)
まずはこの戦いを……と割り切っているのかもしれない。だとしても、ヴィクトリクスには、対峙する青年が異常者としか思えなかった。
敵の不可解なほどの落ち着きように、一時は困惑すら覚えるも、彼はすぐに冷静さを取り戻した。
この、妙に落ち着き払った敵を、戦いの中で読み解くのは至難であろう。そこで、まずは言葉を交わすところから試みることに。
「一応、名前を聞いておこう。我が名はヴィクトリクス」
「知らん名前だな」
返答したベルハルトの内で動いた思考に、ヴィクトリクスは注意を向けた。同胞の名がいくつも浮かび上がっている。
(やはり、陛下以外にも、ある程度は名前を把握していたか……)
こうした大掛かりな攻撃を仕掛けるだけはあって、何らかの手段で情報を集めてきたのだろうと、彼は察した。密偵が忍び込んでいたか、はたまた裏切りがあったか。そうした「答え」まで思い巡らせてくれれば――
淡い期待を抱くヴィクトリクスだが、話し相手はあくまで、先の問いを優先した。
「私の名は、ベルハルト・エル・ラヴェリアだ。ご存じかな?」
「……よくよく存じ上げているとも」
――あり得ない流れではないが、実際にこうして対面することになるとは。大敵を前に、ヴィクトリクスは小さく嘆息した。
ヴィシオスを支配する魔族にとって、ラヴェリアは最大級に警戒すべき一族であり……付け加えれば、当代においてはベルハルトがその筆頭にある。
すなわち、想定し得る中で最大の敵と、こうして直接対決する状況にあるというわけだ。
(しかも……現国王だって?)
ベルハルトの脳裏に浮かんだ余分な思考が、ヴィクトリクスを身構えさせた。
代替わりの儀式があったという情報は、まだヴィシオスには届いていない。思いがけない情報に、彼は少なからず戸惑いを覚えた。
わざわざこのようなタイミングでの継承というのは、妙である。順番としては、大魔王を討伐するという大業を果たした後に、王位を得るのが自然だろうに……
(いや、王位そのものに特別な力が?)
困惑の中ではあったが、ヴィクトリクスは素早く思考を巡らせていく。
一方でベルハルトは、手から精製した得物を構えてみせた。魔力から作られたハルバードが、虚空の闇を裂いて光り輝く。
見るだけで察せずにはいられない威力のほどに、ヴィクトリクスは息を呑んだ。
「……仮に僕を倒したとして、その後はどうするつもりだ? あの娘に加勢しようとでも?」
「お前を倒してから考えるよ」
一国の王としてあるまじき、行き当たりばったりな発言である。
が、口先こそ投げやりではあるが、頭の中ではしっかりと考えていてくれるらしい。流れ込んでくる思考は、ヴィクトリクスにとっては、大小構わず捉えるべき現状の断片である。
(……なるほど。ここまでの戦術を描いたエリザベータとやらが、陛下の方にいるのか)
そして、何とも信じがたい話だったが、このラヴェリア王は、妹を完全に信頼しているらしい。
『何があっても、深いことは考えず、目の前の敵を倒して。兄さん、アレコレ考えない方がきっと強いから』
――たったそれだけの言いつけに、次代のラヴェリア王が殉じようというのだ。
その時ふと、ヴィクトリクスは敵への微妙なシンパシーを覚えた。
音に聞く英傑のベルハルトが、妹に全幅の信頼を置くというのも、彼女がこれほどの大規模な仕掛けを企図したというのならうなずける。
この信頼関係は、ヴィクトリクスにとっても十分に共感できるものであった。あの大魔王の側近として、これまで色々と振り回されはしたものの……
詳細は明かされずとも、与えられた命を疑わないだけの信頼はある。
自身の根底にあるものに立ち返り、ヴィクトリクスは戦意を新たに敵へと向かい合った。
そして、敵から読み取った思考が、眼前に光の帯を描き出す。ベルハルトが思い描く攻撃のイメージが、ヴィクトリクスの視界に反映されているのだ。
――バカげているとしか言いようがない攻撃範囲だ。煌々と輝くハルバードの一振りで、大軍をも一気に薙ぎ倒すという。
自信過剰として一笑に付したくなるイメージだが、ヴィクトリクスはあくまで油断なく、また相手への敬意を以って、この予報を受け入れることにした。目に見えている光の帯を避けるよう、静かに重心を動かし――
攻撃を見切っていた彼の回避行動からやや遅れ、本物の刃が虚空に煌びやかな軌跡を残していく。
その実際の攻撃範囲を目の当たりに、ヴィクトリクスは目を見開いた。
予告以上だったのだ。長柄の大振りから放たれる魔力の刃が、虚空を我が物顔で切り裂いていく。
だが、これはブラフでも、控えめな見積もりというわけでもなかったようだ。驚きを胸に、ヴィクトリクスは心に流れ込む声に耳を傾けていく。
(なるほど……今まで以上の力を得たのか)
この一撃は、他でもないベルハルトにとっても、想定以上のものだったらしい。
王位継承の儀において、彼は真のラヴェリア後継者としての力に目覚めた。その結果が、これだ。威力予想と現実の差分が、力の増幅量ということか。
思っていたよりも強い力を手にしている事実に、当の本人もいくらか戸惑いを覚えている様子だが……嬉しい悲鳴といった程度のものであろう。
この状況は、片やヴィクトリクスにとっては――
(冗談じゃない……!)
攻撃にせよ防御にせよ、当人が何かしら思い描くものはある。敵の脳裏にある、その一歩先の未来を読み取り、有利な現実へ一歩先んじる――
そうした戦法を身に着け、身に沁み込ませているヴィクトリクスにとって、敵が自身の攻撃の正確な見立てができないというのは、かなりの不都合があった。
より正確な見立てができる相手であれば、ギリギリの回避で戦いを組み立て、無駄なく動いて優位に攻めていける。
しかし、今のベルハルトほどの、恐るべき破壊力を見せる相手が、攻撃範囲においては控えめな予想しか寄越さない。となれば、過分にマージンを取らざるを得ず、まずは防戦一方となる。
お互いに想定外な状況の中、彼は歯噛みした。
主君の方も心配であった。まさか負けるとは思えないが……相対する青年は、残してきた妹に対する心配を決して見せない。
彼ほどの男が全幅の信頼を寄せる、策謀家らしきエリザベータなる娘が、ヴィクトリクスには何とも不気味に思われた。
この場を離れ、そちらを片付けたくはあるのだが――それもままならない。
(早まった、か?)
再び斧槍を構える大敵を前に、ヴィクトリクスの額に汗が伝う。




