第398話 決戦の刻
面倒ごとを魔神に投げ、リズが転移先に設定したのは、玉座の間のちょうど一階下であった。既視感ある大広間には、いくつもの魔導石が立ち並んでいる。
しかし、そこにいるはずの魔族が見当たらない。誰一人気配が残らない大広間を目に、リズは安堵した。
おそらく、あの二人は仕事を成し遂げ、すでに姿をくらましたのであろう。
確認はそれだけで十分であった。
そこへ、ベルハルトから小声で問いかけが。
「壊さなくていいのか?」
「いいの。壊せば、どうせ気づかれるでしょうし……焼け石に水よ」
「ふーん」
それでも、何か別に理由があるのではと、少し怪訝そうな視線を大広間に向けるベルハルト。
「……不満?」
「いや、後で聞かせてくれればいいさ」
彼は作戦の細部について、まだ知らされていない部分が相応にある。
というのも、ヴィクトリクス相手の情報戦を見込んでのものだが……
この期に及んでもまだ、リズに隠し事があることについて、彼は不平も不安も漏らさない。
首謀者である自分に、全幅の信頼を寄せてくれている――リズは改めて、兄のおおらかな器に感服し、感謝の念を抱いた。
「信じてくれて、ありがとね」
「かわいらしくなったもんだ」
「手口はアレだけどね」
軽口を飛ばしあった後、二人は敵城内を小走りに駆け出した。外からはアールスナージャによる戦闘音が響いてくる。
隠し事と言えば、レリエルによる今回の召喚が、思いがけない形で手助けになってくれている。
実のところ、前もって計算に入れにくい戦力ではあったのかもしれない。顕現のためにかき集めたという魔力も、あれだけの戦場で十分かどうかはわからない。
心強くはある増援だが、過信は禁物だ。良い意味で軽い兄を横に、程よいリラックス感を覚えるリズだが、彼女は今一度、気を引き締め直した。
広い階段を駆け上がりながら、リズは注意を周囲へと張り巡らせていく。
付近に敵の姿はない。ただ、上の階に二人ほど、比類のない強者が待ち構えている気配があるだけだ。
すると、ベルハルトがポツリとつぶやいた。
「当たったのは下の階か」
「直接ぶつけられたらね……」
「それで死ぬような連中か?」
「それで死んでくれたら、歴史書が面白くなったところだけど」
「間違いないな」
しかし、エリザベータの名を関した船は、もっと下の階にぶつかった。
横着が通じなかったとなれば、もはやこの手で葬るより他に道はない。
玉座の間がある階につくと、外から吹き込む冬の風が二人を出迎えた少し進んだ先の壁に、大穴が開いているのだ。
飛行船を撃ち落とすべく、城主があけた穴であろう。
「誰が直すんだ?」
思わず口から出たであろう、若干呆れた様子の一言、リズはクスリと含み笑いを漏らした。
「さあ。ヒト任せなんじゃない?」
冷ややかな回答に、ベルハルトが唇の端を吊り上げる。
ともに王族ではあるが、どちらかといえば刺客、あるいは簒奪者という方が似つかわしい二人が、不敵な表情で静かに歩を進めていく。
しかし、やはり敵は玉座から動かない構えの様子だ。
やがて、二人は玉座の間の前に着いた。大扉は開けっ放しになっており、中からは青紫の魔力の霞が漏れ出している。
奥へ続く赤いじゅうたんの先には、二人の魔族。玉座から立ち上がっている、この国の現支配者、大魔王ロドキエル。側近のヴィクトリクス。
人類の大敵を前に、リズは努めて平静を保った。頭の中では、極力、何も考えないように振る舞い――
互いの姿を認識してごくわずかな後、場の魔力が高まって迸り、薄暗がりを閃光が染め上げる。
光が去ると、この場から二人消えていた。
玉座の間に残ったのは、大魔王とリズの二人だけである。
☆
辺り一面、暗い灰色に塗り込められた空間は、上下左右という概念が存在しないようである。
突然、虚空へと連れこまれたベルハルトだが、彼はあくまで余裕を保っていた。転移に長ける魔族相手の決戦を控え、「念のために」と、人類側のダンジョンマスターらに協力してもらい、虚空内での戦闘訓練を行っていたからだ。
彼はすぐさま、リズに言われたとおりに、自身のレガリア《夢の跡》を用いた。果たして、彼の傍らに一冊の魔導書が出現。
魔導書と言っても、完全に魔力で構成され、何が書かれているのか所持者にも読めないという代物である。
(一応は出せる、か)
距離を開けて佇む敵魔族を前に、さっそく手の内を明かすようではあるが、魔導書を出せたことに彼は少なからず安堵を覚えた。試しに動かそうと念じると、そのとおりに魔導書が虚空を小さく舞う。
そこで彼は、ふと、妹との会話を思い出した。ヴィシオスへ到着する前、飛行船上で交わした会話である。
『もしかしたらだけど、虚空へ連れ込まれるかも。そうなったら、まず真っ先に私の魔導書を出して、動かせるかどうかを試してみて』
『それはいいけど、なにか懸念が?』
『いえ、色々と検証不足だから。私が同じ空間にいないと機能しないってオチも、考えられなくはないし』
『ま、いざという時に使えないんじゃな……それはそうとして、最初から出しておくってのは?』
『そうすると、伏兵にならないから。注意を引き付ける意味はあるでしょうけど……』
『タイミングを見計らって奇襲を仕掛けたくはあるな……つまり、虚空へ連れ込まれなければ、奇襲用に残しておく。連れ込まれたのなら、使えるかどうか真っ先に試す。来てくれるかどうかもわからない伏兵に、大事は託せないからな』
『そういうこと』
――結果、リズの懸念通りの事態が生じたというわけである。魔導書が使えるのは不幸中の幸いだが。
(さすがに、ダンジョンマスターと仲良くしているだけはあるな……)
継承競争において、弟妹が虚空の中で剣を交えたことは、ベルハルトも知っている。
加えて、リズがダンジョンに何度も挑んだという話も聞き及んでおり……異空間へ飛ばしてくるトラップを、何度も経験したとも。
そのようなトラップがあるのなら、大魔王の本拠でこうした手口を使われようと、何ら不思議はない――というのが、ベルハルトに告げたリズの見解であった。
直に体験する段になっても、事前知識の助けもあって、ベルハルトはごく自然な解釈に落ち着いた。
ただ、リズから聞いていた話とは、若干違う状況でもある。
というのも、飛ばされた際の感じから、ベルハルトは何らかの仕掛けによるものではなく、前方にいる魔族の手で飛ばされたものと直感していたのだ。
何らかの罠で……という想定をリズから伝えられても、自分の手でこういったことをされる可能性については、特に言及はなかった。
この状況で、ただ一つ推測できるのは、敵が相当の強者であろうということぐらいのものだ。
(ま、何であれ殺るしかないか)
動く様子を見せない敵を前に、ベルハルトは思考を切り替えた。《夢の跡》から追加で、彼は愛用の戦利品としてハルバードを生成。魔導書は宙に浮かせ、両手で得物を構えた。
暗灰色の虚空の中、煌々とした光を放つハルバードの白刃。
すると、刃を向けられたヴィクトリクスが、この対峙で初めて口を開いた。
「……一体、何をした?」
「は? いや、何かしたのはそちらだろ?」
いきなり問われても、ベルハルトには何の心当たりもなかった。
(もしかして、罠が誤作動した? いや、意味のないブラフかもしれないしな……考えるだけ無駄か)
不可解な発言を無視し、彼は敵へと大きく武器を振りかぶった。
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