第397話 たとえその場にいなくとも
ハーディング革命の折、手を焼かされながらもどうにか撤退にまで追い込むことができた、恐るべき魔神アールスナージャ。
思いがけない再会に、リズは身構えた。横にいるベルハルトも、この魔神の勇名は耳にしているらしい。乱入者に真剣な眼差しを向けている。
一方で魔族らは、この魔神を増援と判断――いや、そうなるようにと口を働かせた。
「魔界に住まう同朋、破軍の魔将アールスナージャよ! 彼奴等は我らが大魔王に楯突くつもりのようだ。その実力は推して知るべし! 相手にとって不足はあるまい!」
「……クッククク、そうかそうか!」
アールスナージャの声は、彼方より響くような不思議な声音だった、口調だけは嬉しそうに感じられる。
やはり、そのつもりで来たのかと、リズは渋い顔になった。この乱入者込みでどうにか出し抜こうと思考を、高速回転させていく。
しかし、すぐに戦うつもりは、少なくとも先方にはないようだ。静かに佇む魔神を前に、リズは以前の事を思い出した。
(戦いに付随する言葉のやり取りも、随分とお好みっぽいのよね……)
今回もそういうノリなのかと様子をうかがうリズに、魔神が語りかける。
「久しいな、エリザベータよ! 息災……というよりは、力が有り余っているようだな。結構結構!」
「ああ、そう……まったく、人生で二度あなたに遭うなんてね。なんて人生かしら」
「フッ……ククク、こちらとて驚かされるばかりよ。まさか、我と二度契約を結ぶ者がいるとは!」
(……ん?)
思わずリズは、横のベルハルトへ顔を向けた。彼も同じ思いらしく、無言で顔を向け合う格好に。
この話の流れであれば……「前回のリズとの交戦時にこの魔神と契約した者が、今回も再契約した」というのが、ごく自然な解釈であろう。
事の背景を示唆する言葉に対し、魔族らはまだ状況を読み込めてない様子だ。わかることと言えば、リズにとって二度目の遭遇になるという事、加えて今のリズたちにとって、この乱入者は望ましくないであろうということぐらいか。
ただ、この魔神は魔族らに対し、さほど興味を持っていない様子だ。固唾を呑んで状況をうかがう魔族らに背を向けたまま、魔神は朗々と続けた。
「『この機を逃せば、このような戦いは向こう数百年、訪れないであろう』などと言われては……『応』とうなずかずにはいられようか!」
やはり、誰が契約者かを明言しない魔神だが……リズは、その契約者さんの言葉巧みさに、ふと表情を柔らかくした。
この魔神を焚きつける上で、決して嘘はついていない。実際、この決戦で勝てなければ、王都バーゼル再侵攻はいつになることやら。
一方でこの決戦で勝利を収めるたのなら……アールスナージャとしては、つまらない世の中が訪れることだろう。
「でも……あなた、当分はこちらで顕現できないはずじゃ?」
「この機を逃さぬようにと、向こうでかき集めて参ったまでの話よ」
この「かき集めた」というのが何を指すのかは疑問だが、リズはいちいち尋ねはしなかった。
とりあえず、ここまでの話で察せられる点がいくつかある。
まず、今回の召喚については、本作戦決行よりも以前にアールスナージャへの提案がなされたであろうということ。
この魔神と契約者の他に、今回の契約を知る者はいなかったいうこと。
そして……顕現のための旅費を、魔神御自らがわざわざかき集めるほどに、この提案は魔神にとって魅力的なものであり――
おそらくは、契約を持ち掛けた側に、無視できない優位があるであろうということ。
無言で思考を巡らせるリズの前で、その答え合わせがなされるところであった。アールズナージャが、巨体をくるりと方向転換。
向き直るや否や、構えた4本の長剣を向けてくる魔神に、魔族らはたじろぎながらも気色ばんだ。
「なっ……我らに刃向かうというのか!?」
「お前たちを倒した後は、君主ロドキエル! これぞ武門の誉れというものではないか? フッ……クハハハハ!」
「クッ、話にならん痴れ者めが!」
「こうなれば、貴様の武名を以って、我らの踏み台としてくれようではないか!」
場の流れはアールスナージャが持っていった様子だ。魔神の後方に控えるリズたち二人への警戒は、依然として切れた感はないが、ともあれ心強い増援である。
では、この場で共闘すべきか否か。いくつも考えうるパターンを脳裏に走らせ……静寂の中で1,2秒。リズは決断した。
『兄さん、戦闘が始まったら城内へ転移するわ』
『わかった』
兄の承諾を受け、リズは精神を研ぎ澄ませていく。城内の構造図は自分の内にある。
狙うべき座標に精神を集中させ……転移の準備を整えたリズが、魔神の背に語り掛けた。
「この場は、あなたに託すわ」
「託す、とな……フフフ、異なことを。そなたに命ぜられるでもなく、気の向くままに刃を振るうまでの事」
「だとしても、よ」
妹レリエルの契約下にあるのは疑いなく……どのような契約を結んだかは不明ながら、これ以上ない助太刀だ。隆々とした頼もしい背に後事を託し――
張り詰めた緊張の中、両陣営が動き出す。魔神へ怒涛の勢いで魔弾の嵐が迫り、流れ弾らしきものがリズたち二人の元へ。
一方、矢面に立つ魔神は、巨体に見合わない鋭い運足と、4本腕の巧みな動きでこれを迎撃。衝撃波で切り裂かれた《火球》が、夜闇を明るく照らし出す。
片やリズとベルハルトの二人は、さらに抜け目がなかった。
敵に撃たれているのをいいことに、乱れ撃ちの流れ弾に乗じ、自ら近くの地面へ《火球》を一発。爆炎と煙幕立ち昇る中、リズがすぐさま転移を発動。
にわかに始まった激戦に紛れ、二人は流れるような動きで行方をくらませた。
☆
同時刻、ラヴェリア聖王国王城内、大講堂にて。
薄暗い講堂内には、空いた席がないほどに大勢が詰めかけ、真剣な眼差しが一点に注がれている。
一同の視線の先にあるのは、青白い光を放つ魔力の宝珠。アールスナージャとの契約により、魔神から得た視聴覚を、この宝珠を経由して皆皆に共有しているのだ。
事の成り行きを見守る、重責ある大人物たち。その最前列にいるのは、魔神との契約者であるレリエルと、アスタレーナである。
遥か遠方の戦場にて、突如としてリズたち二人の姿が消えたことに、観衆からどよめきの声が上がる。
「あ、あの二方は、果たして大丈夫なのであろうか……」
主に文官から発せられる動揺は、無理もないものである。これを鎮めようと、すぐさまアスタレーナが声を上げた。
「大丈夫です! 二人とも無事です!」
魔神からの視点では、あの二人がどこへ消えたかは察知できない。宝珠に映るのは、魔族らによる苛烈極まりない波状攻撃のみである。
だが、アスタレーナにはもう一つの目がある。彼女が手にした魔力の宝珠、《掌星儀》。この星を模した球体の上には、彼方の地で戦う兄弟を示す光点が、今も損なわれずに輝いているのだ。戦地にいるのは、四人。
――リズ以外は、今も存命である。
強い自信を以って宣言するアスタレーナに、場のざわつきはすぐ収まった。
しかし、場を収めた彼女自身は、気が気ではなかった。
彼女の傍らに座す妹もまた、戦場の兄弟たちと共に戦っている。詳細不明ながら、レリエルに相当有利な形で締結されたであろう契約だが……
アールスナージャが自らかき集めたという旅費では、まだ不十分だったに違いない。これほどの魔神の基準からすれば、再顕現までのスパンが短すぎるのだ。
そうした無茶の代償を埋め合わせるべく、レリエルは全身から魔力を絞り出している。
《掌星儀》を片手に持ったまま、アスタレーナはもう一方の手で妹の手を握りしめた。華奢なその手はぞっとするほどに冷たく、それでいてじっとりと汗ばんでいる。
見守ることしかできないでいる不甲斐なさが、アスタレーナの胸を打ちのめした。
しかし……心身を絞り上げるような甚大な負荷に晒されながらも、レリエルは気丈であった。彼女は宝珠に向けて顔を上げた。
『アリー、押されているのではありませんか?』
皆が見つめる宝珠から、戦場の音ともに彼女の声が響き渡る。宝珠を介し、契約中の魔神との間の念話を皆に聞かせているのだ。
『そうは言うがな、中々手ごわいぞ』
『あなたの腕を以ってしても?』
『寝起きを叩き起こされたばかりでは……フフフ、言い訳にはならぬか。そなたの申し出に、喜んで跳ね起きたのだからな』
名高き魔神と、かの大英雄の末裔が、旧知の仲の如く気兼ねなく声をかけあっている。この場に集うほどの大人物たちも、このやり取りには無言で固唾を呑むしかなかった。
『再確認ですが、こういったケースでは足止めさえしていただければ結構です』
『それは承知。転移で逃げようという素振りを見せれば、そ奴を優先的に切ればよいのであろう?』
『はい。あのお二人の邪魔立てをされても困りますから』
『あの二人であれば、勝てると?』
誰もが気になっていることを、あっさりと問いかける魔神。この問いにからかいの響きはなく、アスタレーナは真摯に問われたものだと感じた。
にわかに訪れた静寂は、しかし長続きしない。問いに対してレリエルは、『はい』とはっきり応じた。
これに対し、魔神が実に楽しそうに笑い声を上げる。
『その朗報を聞くまで、この体が持てばよいがな!』
『それはあなた次第です』
『そなた次第でもあろう?』
『ふふ……全力で魔力を送り続けている契約者に、あなたはこれ以上を求めるというのですか?』
嘘偽りなく全力を出しているであろうに、どこか余裕さえ見せるレリエルに、魔神は今一度高らかに笑った。
『まったく、そなたには敵わんな! フハハハハ!』
二人の会話が途切れると、魔神が身を置く戦場の音が大講堂を満たした。
見るだけで怯えすくんでしまうような激戦の中、どうにか一人、また一人。敵対する魔族が刃の露となった。
しかし、さすがに敵勢も手強い。残存魔力を浪費するわけにもいかず、じりじりとした戦闘が続く。
ただ祈ることしかできないアスタレーナ。講堂に響く戦闘音に混じり、妹の荒い息が耳に届いて胸を打つ。
「レリエル、大丈夫!?」
思わず声を上げるアスタレーナだが、レリエルは焦点の合わない目を向け、微笑を浮かべた。
「私は、大丈夫です」
「そう……だけど」
言いかけて、アスタレーナは口をつぐんだ。
「無理するな」などと言えようか。
無責任な優しさにしかならないのではないか。
傍観者に過ぎない、自分の心を慰めるだけの。
逡巡に顔を曇らせる彼女だが、レリエルは彼女にニコリと微笑んだ。
「お姉さまの手、温かいです」
「レリエル……」
アスタレーナは、妹の手を握る手に、ごくわずかに力を込めた。片方の手でレガリアを握りながら、袖で目元を軽く拭い、目はまっすぐに戦場の光景へ。




