第396話 招かれざる客たち
ヴィシオス王都バーゼルの王城、玉座の間。直下の大広間から立ち昇る魔力の霞が立ち上っている。
人類連合軍の奇襲を受け、多くの手勢ばかりか幹部までも出払っている中、玉座の間にいるのは城主ロドキエルと、側近のヴィクトリクスのみ。
しかしながら、喫緊時という認識はあるだろうが、二人に焦燥のようなものは欠片もない。
ロドキエルは、ゆったりとした所作で玉座から立ち上がった。彼の視線は開け放した大扉から、窓を超えてさらに外へ。生物の枠を超えた視界が、王都上空を侵犯する船影を捉える。
この来客を確認するや、彼は心底嬉しそうに破顔した後、両手を揃えて体の前に構えた。やや膝を曲げ、全身に力を込め……色白な肌の奥から、かすかに赤紫の輝きが浮かび上がる。
すると、ただそこにいるだけで天地を揺らすような、強い魔力の波動が彼を中心に胎動した。躍動する魔力は、彼の全身を駆け巡って両手へ。暗闇を染め上げんばかりの赤い閃光が手より放たれる。
そして、手に留めておいた魔力の高まりが、決壊したかのように迸った。主の手を離れた破壊の光が、王都の空を一直線に駆け――
「よし!」と、ロドキエルは会心の笑みを浮かべた。その手で放った、ただ一撃で、飛行船一隻を空の藻屑と化したのである。
このような状況にもかかわらず――いや、”だからこそ”というべきか――なんとも快活に振る舞う主に、側近はなんとも困ったような笑みを浮かべた。
「楽しそうで何よりです、陛下」
「おう、お前もやってみるか?」
「お戯れを」
できるはずもない提案を投げかける、困った主君にヴィクトリクスは鼻で笑ってみせた。
しかし、ただ単に楽しんでいるように見えて、ロドキエルはさすがに戦略家でもあった。
「これも、本命の前の座興に過ぎぬのであろうな。いや……座興という割に、腰も落ち着いていられぬか、ハハハ!」
うまいことを言ったつもりであろう王に、乾いた笑いで応じつつ、ヴィクトリクスは尋ねた。
「この期に及んで控えさせてもと、手勢を放出しておりますが……引き戻しましょうか?」
「ふむ……これほどの攻めを見せてくるのだ。それなり程度では役にも立つまい。一応は待機戦力もあるのだろう?」
「はい」
「ならば、このままでよかろう。肩慣らしの的は、向こうから用意してもらえるようだしな」
そういって、王は再び砲撃の構えを取り、一撃。迫りくる船団の内、また一つを花火へと変えた。
「肩慣らしも結構ですが、あまり消耗なされませんように。これも敵方の狙いでしょう」
「それは心得ているがな。かといって、あまり近づけるわけにもいくまい。落とされても構わない、”弾”といったところだろうしな」
言いながら、王はさらなる砲撃の準備を進めていく。
「撃ちたいだけでしょ?」
冷ややかな側近の一言に、王はニヤリと笑った。
☆
『第4波、想定通りに落とされています』
甲板に響くのは、緊張感ある硬い声。地上に控える観測要員からの連絡に、ベルハルトは手短に『了解』と応じた。
決戦の時が近い。まだ王都までは距離があるものの、随分と近づいてきているのがわかる。
というのも、遠方に何やら明るい赤色の筋が見えるからだ。暗雲に覆われた夜だけあって、くっきりと。
二人はすぐに、これは敵総大将による攻撃だと察した。かつて、別時間軸のリズたちも体験したという、恐るべき攻撃だ。
溢れんばかりの力を誇示するかのような暴れっぷりを目の当たりに、リズは思わずため息を一つ。
「……そろそろ装備する?」
「そうだな」
二人は甲板の一角へと足を向けた。箱が二つ並んでおり、中に入っているのは、艶やかな金属片の集まりである。
二人はそれぞれの箱の上に手をかざし、魔力を集めた。これに呼応し、箱の中の金属片が動き出す。ひとりでに動き出す金属片が、なんとも統制の取れた動きを見せ、二人の全身を覆う鎧になっていく。
これらは、リズとファルマーズが直接戦闘した際に用いられた、全身鎧である。
彼が操っていた鎧との違いは、兜がなくなっているという一点。フルフェイスの兜でも外界を見通せたのは、ファルマーズ当人の能力によるところが大きい。よって、現行版ではオミットされることとなった。
この魔道具については、ファルマーズの敗戦により、鎧もろとも研究が虚空の彼方へと霧散したはずだったが……
彼には内緒でリズとルーリリラは、ちゃっかりと破片だけは集めていた。それに加え、幾度となく繰り返したループの中、追加の研究開発まで行っている。
すべては、この戦いのために。
金属片からなる鎧に包まれたリズは、試しに軽く体を動かしてみた。すでに何度も試用したこの鎧だが、今回も問題なく動ける。全身を覆う一方で、動きの邪魔になる感じがまるでないのだ。
戦闘準備を整え、二人は再び進行方向へと目を向けた。ヴィシオス各所から飛んできた飛行船団が、次々と王都上空を侵犯し――
真っ赤な怒涛に呑まれて破壊されていく。
「凄まじいな……あんなのと戦うのか?」
すっかり素の感じで口にするべルハルトだが、怯えは見受けられない。単に驚きと関心が表に出ているようだ。
「まぁ……今の兄さんならいい勝負になると思うけど」
実際、これは世辞でもなんでもなかった。
すでに比肩するもの無き英傑と名高かった第二王子が、正式に継承の議を済ませ、ラヴェリアを継ぐ者となっている。
その上、末弟ファルマーズ率いるラヴェリアの魔導技術の粋に身を包み、さらにはリズから受け継いだ魔導書までもが、彼のレガリア《夢の跡》に加わっている。
今のベルハルトには、今までにない力があるのだ。
かつてない力を手にしているのは、リズも同様である。
生者としての時間を過ぎた今、彼女元来の魔力に加え、死霊術とレガリア経由でネファーレアの魔力まで流れ込んでいる。
そんな彼女もまた、技術の粋とともにあり――
「これで無理なら笑うしかないな」
「どうせなら、勝って笑いたいわね」
「それはそうだ」
二人が軽口を飛ばし合う前では、飛行船が次々と爆散し、塗り込めた夜陰の彩りとなって果てている。
実のところ、撃ち落とさせているという面はある。王都上空へと侵攻し、王城へ向かう飛行船団の第4波攻撃。これを構成する飛行船は、すべて無人航行となっている。複雑な操船など求められない、使い捨て運用だからだ。
また、飛行船がある程度損壊すると、自爆するように魔道具が仕込まれてもいる。
これは、中途半端に壊れて王城には届かなくなった”弾”が、敵に見過ごされて市街地へ落ちるのを防ぐためというのが一つ。あくまで、今作戦の標的は、王城にいる大魔王なのだ。
加えて、これ見よがし仰々しく爆発させることで、敵の注意を惹こうという目論見もある。敵の気を散らせば、陽動部隊にはいくらか助けとなろう。
そしてもう一つ。この程度で壊れるものだと、敵に耐久性を誤認してもらいたいのだ。
次々と散っていく飛行船たち。中には、少し前に調達した盗品も混ざっているが、なんとも贅沢な的である。
そうした囮も無尽蔵にあるわけではなく……
「……そろそろだな」
「ええ」
げんなりした様子でいる兄に、リズは思わず苦笑いを向けた。
やがて、二人が乗る船が、強烈な衝撃を受けて大きく揺れた。大破すれば、その時点で破棄して脱出。そうでなければ、できることならば玉座までという算段だ。
しかし、飛行船そのものを弾にしてぶつけに行くというのは、幾度となくループを繰り返してきたリズにとっても、ぶっつけ本番の試みであった。
果たして――操縦者なきエリザベータ号は、前方から押し寄せる魔力の激流に、推力をどんどん奪われていく。
衝撃の中、果敢にも外をうかがう二人の目に、この船がじきに墜落することは明白であった。
王城への着弾点は、期待より低い箇所となる。
「出るか」
「ええ」
あくまで淡々と、二人は言葉を交わした。船底は今や街路樹スレスレの高度にあり、眼下では街路が高速で流れていく。並木の切れ目に狙い定め、二人は甲板から飛び出した。
それから数秒後、激しい衝突音が響き渡り、天地が衝撃に揺れる。飛行船という弾丸は、王城の入口付近に直撃した。
「ニ階……ってところね」
「そんなもんだな」
「……あの二人は大丈夫かしら」
第4波攻撃への移行を察知したら、さっさと逃げよ――という作戦を伝えてあるのだが、実際にどうなったのかまでは、わかっていない。
不安なのはもちろんだが、安否を知るためだけに通信するというわけにもいかない。自分の務めを果たすべく、二人は王城へと駆け出した。
それに、人の心配をしていられる立場でもなかった。
狙いを逸らされたとはいえ、敵方にとっては大打撃になったのは間違いない様子だ。まだまだ距離がある王城へ目を凝らすと、飛行船の直撃で破壊された辺りから、魔族らが泡を食ったように飛び出てくるところであった。
大多数を街へと釣り出せていたのは確かだが、相応の予備戦力もあったのだろう。
「結構いるな……面倒だが、やるしかないか」
「そうね。二人で片付けましょう」
こういったパターンの想定は、実際にあった。人数比で言えば数倍程度。大魔王前の前哨戦としてはハードだ。
それに、いかに自分たちがかつてない力を手にしているといっても、その全力を試した機会などはない。未知数なのは確かだ。どれほどのものかと相手に探られていると思えば、前座で力を発揮するにも憚られるものはある。
(ままならないものね……)
敵の方へと駆け出しながら、リズはひとり不敵な笑みを浮かべた。
並走するべルハルトもまた、何を考えているのやら、困ったような微笑を浮かべている。
やがて、二人は官庁街の街路を抜けた。並木の切れ目の向こうに広がる、王城前のちょっとした大広場。
目的地の王城は、惨憺としたものだった。
とんだ来客で崩壊した王城入り口部は、本来の姿よりも大きな口を開けられ、バラバラになった残骸を吐き出したような有り様。辺りには飛行船の部品が飛び散り、残存する魔力が夜闇をほのかに照らし出す。
この惨状を背に、殺気立った魔族らが、二人を迎え撃たんとして構えている。
さて、どうしたものかと、戦いの流れに思考を巡らせるリズだが――
彼女は何かを感じ取り、ハッとして空を見上げた。
気のせいでも何でもなく、王城前広場上空に魔力の気配がある。控えめな光が照らし出す闇の中、浮かび上がるのは一つの黒点。茨のような紫電が絡みつく点は、徐々に広がって茨の冠に。
対峙する魔族らも、これには気づいたらしい。両陣営が視線を注ぐ中、魔力の冠は徐々に拡大していき――
注がれる視線の中で、冠の内側が黒く染まった。紫電まとわりつく、宙に穿たれた大穴。その中から、黒い人影が現れ、着地とともに地面が軽く揺さぶられる。
辺りを染めるささやかな魔力の光が、新手の姿を闇夜に浮かび上がらせた。
全長2.5mほどの巨体。その外見は、中性的というよりは両性的だ。全身を覆う黒い光沢の鎖帷子を、内からはちきれんばかりの雄々しさと艶めかしさが押し上げ、胸部と陰部には彫刻品を思わせる隆起がある。
4本の腕にもまた、生命の滾りを感じさせるたくましさがあった。それぞれの手が、装飾を排されたなんとも武骨な長剣を握っている。
突如として現れた、人ならぬその存在に、リズは見覚えがあった。
――かつて刃を交わし合った仲でもある。
「……アールスナージャ?」




