第39話 暗雲の中の港町①
リズが目的地近くの宿に入ると、カウンターに佇む、ややふくよかな女性店主が、少し驚きの目を向けた。
「いらっしゃいませ。もしかして、お一人で?」
「はい」
こうやって聞かれるのは、リズにとってはままあることだ。
なにしろ、一見するとまともな護身具もなしに、町娘のような格好の美少女が、夜中も街道をうろついているのだから。
幸いにして、付近一帯が良く治められているのか、眉をひそめるような事態には至っていない。
まぁ、遭ったとしてもおそらくは返り討ちだろうが。
さて、宿の方は空き部屋がある。
……というより、近頃は客が少ないとのことで、宿泊業は今一つだそうだ。
「ウチは飯屋もやってますから、宿泊客が減っても、そうは困らないんですけどねえ」とぼやく女将。
この言葉にリズは、目的地近辺ばかりでなく、この領内にまつわるキナ臭い噂話を思い出した。
そこで、ちょっとした懸念から、彼女は女将に問いかけた。
「トーレットに行くのは初めてなのですが、町の出入りに、何かしらの通行証は必要でしょうか?」
「えっ? いえ、そういう厳しい町ではないですよ。ただ、そういうことを始めようかって噂もあるそうでねえ……人の出入りが悪くなると、こっちもどうなることやら」
そういって女将は、困ったような苦笑いを浮かべた。
☆
翌日、昼。リズはトーレットの城門前に着いた。
門のところには十数人程度の行列ができていて、門衛に何か確認されているらしい。
彼女は複数ある行列の最後尾についた。
程なくして、彼女の番がやってきた。
担当らしき門衛は二人。若者と老人のコンビで、いずれもどことなく緊張した面持ちでいる。
ここを通ろうというリズに対し、まずは老いた門衛の方が彼女に問いかけた。
「こんにちは。どちらから来られましたか?」
「ラバンです」
何食わぬ顔で、リズは船による川下り最終地点の名を告げた。論理的には間違っていない返答である。
次いで門衛は「滞在目的は何でしょうか」と尋ねた。
「はい、海外へ行きたいと思いまして」
この言葉に門衛二人は少し目を見開いたが、リズが背負った大きなリュックサックに、何かを察したようではある。
ただ、若い方の門衛が、少し心配そうな表情で言った。
「目的地にもよりますが、最近は便数が減ってますので……少し待たされることになるかもしれません」
「そうですか……教えていただき、ありがとうございます。待たされるようであれば、こちらでの滞在を楽しもうと思います」
そう言ってリズは、二人にニコリと笑みを向けた。
ここまでの応対に好印象を抱いたのか、二人は柔和な態度でいるが……老いた門衛が、やや申し訳なさそうに口を開く。
「もしよろしければ、荷物を検めさせていただいても?」
「はい、どうぞ」
リズは快諾し、リュックサックを地に置いた。
中に入っているのは、メイド服に別の着替え。それと、細々とした旅道具等である。
その中には魔導書のベースになる白本もあるが、門衛は中身を見て確認しようとはしない。さすがにここまでは……と、遠慮が働いたのかもしれない。
「旅日記にと」という言い訳の準備はあったのだが。
結局、彼女はほとんど怪しまれることなく、門の通過を果たした。
さて、大陸でも名の知れた貿易港を有するトーレット。街並みは垢抜けて洗練されている。
リズが生まれ育った王都と比べると、取り澄ましながらも威圧するような感じがないだけ、より付き合いやすい雰囲気だ。
……とはいえ、それは街の入れ物の話だ。港町にしては、人通りはそれなり程度に留まっており、街中にピリッとした空気が漂っている。
また、街行く人々は、どこか不安げで緊張感を感じさせる。あたりの様子をうかがうような動きと視線で、皆が何かに追われるように足早に行き交う。
実際に足を踏み入れ、なんとも嫌な予感がしてきたリズは、周囲の足早なペースに混ざることになんとなく抵抗感を覚えつつ、港の方へと足を向けた。
港の方へと近づいていくと、町を覆うように思われるうっすらとした不穏さが、少し和らいだように感じられる。
目につくのは、目の前の仕事に汗を流す港湾の労働者たちだ。船の積み荷を運ぶのに専心しているようだ。
旗と笛で誘導される荷車の列を横目に、リズは海の方へとさらに歩を進めていく。
門衛同様、やはり緊張した様子でいる町の衛兵に道を尋ねて彼女が訪れたのは、周辺でも一際大きく風格のある建物だ。
ここは、港の管理事務所だ。船の出入りを一手に取り仕切る、町の行政機関であり、乗船費等の扱いもここに一元化されている。
乗る側も載せる側も、ここに来れば話が済むというわけだ。
リズが足を踏み入れた事務所の中は、意外なほどに静かだ。
中には乗船のための待合スペースや、商人向けの商談スペースなどが用意されているが、今はそこまで繁盛しているわけではない様子だ。
受付の方に近づくと、若い女性職員がしとやかな所作で頭を下げた。街全体の雰囲気同様に、どことなく緊迫感のある空気を漂わせているが。
「こんにちは。ご用件は何でしょうか?」と尋ねる彼女に、リズは言った。
「マルシエル行きの船に乗りたいのですが……」
「マルシエルですか……」
復唱の後、受付の女性は後ろを振り向いた。
視線を追ったリズの目に入ったのは、巨大な掲示板だ。所狭しと書類が貼り付けられ、暗号文にしか見えない何かが書き殴られ……しかし、専門家には見るべきところがはっきりわかるのだろう。
すぐ、必要な情報を抜き出したとみえる受付は、机に広げた地図に指を這わせながら言った。
「おそらく、明後日の昼頃には、マルシエルとの往復便が帰港する見込みです。出航は4日後になるかと」
「わかりました、ありがとうございます」
その後、積み荷や乗員数からなる料金計算式と、早見表が提示された。ロディアン近辺での稼ぎがあれば、問題なく払える値段だ。
受付は、自分より若い少女が十分な船賃を持っていることにやや驚いた風だが、さすがにそれを口にすることはない。
説明を受けた後、リズは彼女への礼を述べて、管理事務所を後にした。
次に向かう先は、町の中央広場だ。港からは一番大きな通りで直行できる、わかりやすい場所にある。
しかし、町の大動脈であろうこの目抜き通りも、あまり良い雰囲気とは言えない。活気とは違う急き立てられる感じに煽られ、人々が右往左往しているようだ。
大広場も、普段は憩いの場として使われるであろうベンチが、この昼間から誰にも使われていない。それが無情な寂寥感を演出している。
行き交う人の波だけは、それなりにあるのだが。
そんな中でリズが向かった先は、新聞屋だ。町や近隣の情報を少しでも……と考えてのことだ。
しかし、貼り出されている見本紙を見て、彼女は目を疑った。取り扱いが一紙だけしかない。
さらに、リズが見たところ、紙面は手書きのように思われる。文章量も目に見えて少ない。
――これは明らかに異常である。
そんな彼女の戸惑いを察したのか、他に客もなく暇そうなのか、店主らしき中年男性は彼女に声をかけた。
「お客さん、この辺りの人じゃなさそうだね。旅人かい?」
「はい、船で遠出しようかと」
「なるほどねえ」
「少々よろしいでしょうか。こちらの新聞、いずれも手書きに見えるのですが」
すると、待ってましたとばかりに、彼は現状についての説明を始めた。
もっとも、話は単純で、町から印刷業者が揃って逃げ出したという。インクを使う活版印刷業者も、魔力を用いる複写魔法業者も、いずれもであると。
「何か、トラブルでも?」
「それがねえ……町の行政と何かあったんだろうって話だけど、ブン屋が首を突っ込むのも危なっかしくてね」
人と物、そして情報が行き交う港町において、印刷業者がまるでいないというのは尋常の事態ではない。これを報道の機会と見るより、記者たちは安全策を取ったようだ。
もっとも、より切迫した問題もある。
「売るもんがないんじゃ困るってんで、ブン屋側が手書きしてんだけど、紙面を充実させようにも手が追い付かないんでね。今じゃ各紙合同で一紙作って、それでどうにかってとこさ」
「なるほど……」
手書きの一紙しか取り扱いがないこの状況について、リズは合点がいった。それでも、印刷屋がいないというのは、常軌を逸しているが。
ただ、こんな状況下でも出される一紙だからこそ、重要な情報が凝集されているかもしれない。
話してくれた店主への感謝と、苦境にあるであろう記者たちへの支援も込め、リズは一部手に取った。
「毎度あり~!」
その後、ほぼ使い放題とも言えるべンチの一つに腰かけ、彼女はさっそく新聞を広げた。
どことなく情感がこもっているような、スピード感ある筆遣いの掲題が、近隣の状況をまざまざと伝えてくる。
領内西端――もっと言えば国境沿い――に兵が集まっていること。軍備増強のため、課税が取りざたされていること。物資の調達や備蓄、買い占めを巡る、行政と商工会の交渉模様などなど……
そして、このように緊張が高まっている理由は、ラヴェリアの覇権主義にあるのだ。




