第393話 攻略本
ここまで徹した対応は、魔族らにとって想定外だったらしい。淡々と処理され、すり減っていく人間の盾に、恨めしそうな目を向ける。
「御高説を垂れておいて、結局は死にたくないだけだろう!?」
同族殺しを責める言葉も、ルキウスの仲間たちには届かない。すでに腹を括った上で、この地に足を踏み入れているのだ。
「死ねない立場なんでな! そういうお前たちこそ、単に死にたくないだけじゃないのか?」
「打って出る機会を失ったかな~? このまま配下がいなくなれば、数の利がなくなるぞ?」
「その時は、おうちに帰っておねだりすればいいのでしょう? 安易で羨ましいお子ちゃまですこと」
相も変わらず辛辣な言葉を浴びせる仲間たち。少なからず、魔族への憤りを抱いているであろう彼らを前に、ルキウスは努めて冷静さを保って状況を注視していた。
実のところ、現状で想定できる悪いパターンは脱している。人間の盾を差し向けつつ、別方面から囲んで攻撃。可能性が高い中では、一番苦労するであろう流れだ。
しかし、現実には敵はそうしなかった。その理由は――
(配下を信じきれないのだろうな)
人間兵の裏切りを懸念してか、魔族たちは自身の配下の後方に着くことを優先しているように映る。
実際、ルキウスらの名乗りに、ヴィシオス兵の中で揺れ動くものがあったのなら……無視できない懸案だろう。
そうした裏切りの抑止に加え、人間同士の争いを高みから見物し、嘲笑して冷静さを奪おうという目論見もあったのかもしれない。
後は……自分以外の同胞に戦わせ、機に乗じて自分が手柄を上げる。そんな利己的な功名心が、魔族同士で牽制し合う様子見の構えを取らせたか。
だが、それももはや限界だった。
この場で人間兵をけしかけるも、結局は戦力を逸失しているだけ。加えて、戦略的に撤退した後の流れを見透かされて愚弄されては……
ある程度の兵を動かせる立場にあろうとも、結局は功名争いせざるをえない立場にあるのは変わりなく、逃げ帰るのを良しとはできないらしい。激憤したリーダー格の魔族が、手勢に鋭い大声で言い放った。
「殿は一人だけでいい! ディキソスに任せ、打って出るぞ!」
「配下を撃つのが殿とは! 参考になる用兵術だよ、いやはや!」
「その減らず口もこれまでだ!」
十分に人間兵を減らした上で、痺れを切らした魔族らが動き出す。
ここを勝負どころと見定め、ルキウスは仲間たちに念じた。
『まずは殿のディキソスとやらを殺したい』
『フリーにしたくはないからな。釣った四人を適当にあしらいつつ、二人がかりで攻めるか?』
『いや……接敵するまで支援してもらえれば、私が片付ける』
『了解』
これは、前もって定めておいた策通りの対応手だ。複数の魔法を融合させて撃つ、混成弾の名手だというディキソスを討つべく、これまで静観していたルキウスが動き出す。
無論、敵方としても、督戦要員を討たれるわけにはいかないだろう。釣り出しの意図もあったのかもしれない。突如として動き出したルキウスへ、一番距離の近い魔族がすかさず対応の構えを見せる。しかし……
「どこを見てるんだ?」
「……ッ! 煩わしい羽虫が!」
敵の動きに合わせ、すぐさま横槍が入る。少し勢いが弱まりつつある人間兵をあしらいながら、ルキウスを援護するように踊る《追操撃》。動きの癖を知っているかのような妨害に、魔族は顔を歪めた。
絶妙な援護の甲斐あり、割って入ろうとした敵から逃れ、ルキウスは空へと駆け上がる。
地にいるヴィシオスの兵が彼めがけて魔弾を放つも、申し訳程度の応戦といったところだ。かすりもしない弾を尻目に、彼は街路脇の建造物に沿って宙を駆けていく。
向かう先にいるのは、標的であるディキソス。戦場を高所から見下ろす彼は、何もせずに待つはずもなく、これ見よがしに魔法陣をいくつも展開して迎撃の構えを見せている。
そこでルキウスは、標的をまっすぐに見据えながらも、大声で敵兵へ呼びかけた。
「私がこいつを受け持ってやる! お前たちは好きに戦うがいい!」
この言葉が誰に向けたものかは明白だ。裏切りを促す煽動に対し、督戦担当のディキソスが即座に声を張り上げる。
「世迷い言に耳を傾けるな! 妙な動きをすれば、この愚か者と同じ運命をたどることになるぞ!」
脅し文句とともに、地を行く部下の最後尾に、彼らの背を焚きつけるような《火球》が何発も放たれる。
兵を戦わせるために、単騎で後方を任されるだけのことはある。着弾後に悲鳴が起きなかったことから、ルキウスはこの《火球》が実に絶妙な狙いで放たれた事を悟った。
それに、他の魔族らが挟撃しようと動く気配がない。仲間たちが抑え込んでくれているということもあるだろうが……戦闘力には信を置かれているのだろう。
実際――リズの"攻略本"には、とんでもない記述が載っていたものだ。油断ならない敵を前に、ふと、妹との会話が脳裏に浮かぶ。
『名乗り出るような魔族ともなると、さすがに一味違うということか……』
『ええ、まぁ』
『このディキソスとやらも……知っていなければ瞬殺されかねない強敵だろうが、どうやって勝ったんだ?』
『あ~……私ってホラ、魔法の撃ち合いなら負けないから。撃った本人より先に弾道が視えるくらいだし』
こともなげに言ってのけた妹の顔を思い浮かべ、ルキウスは思わず苦笑いした。
(まったく、とんでもないな……)
間合いに入るまで、まだ距離はある。
しかし、空を駆けて近寄る彼に対し、ディキソスの周囲に展開された魔法陣が動き出した。術者の手の元へ合わさり、威圧的な赤い光を放ち始める。
素材を視認したというリズ曰く、《貫徹の矢》と《追操撃》、それに《火球》まで重ねた、"頭の悪い"秘術だとか。
『つまり、貫通弾の弾速で踊る誘導弾が、貫通した内部に着火させてくるの。急所に当たらなくても致命的ね』
『……食らったのか?』
『まさか。魔導書に撃たせたってだけよ』
当時のリズは、魔導書を犠牲にしつつ弾を見切って切り抜け、自分が撃たれる前に術者を殺したという。彼女ほどの力量がなければ、生きたまま焼かれて灰になるしかなかろうが……
『兄さんなら勝てるでしょ』
(……まったく!)
リズがもたらした攻略本には、ディキソス以外にも、幾人もの魔族が名を連ねており……それぞれが修めている、恐るべき秘術が記されていた。
そして、その対処法も。
誰が戦えば有利か、どのように戦うべきか。リズが自ら流した血で書いた攻略本の中に、ルキウスとベルハルトの名は幾度も登場していた。このディキソスと、その秘奥義に関して言えば――
『例の旗で、なんとでもなるのでは?』と。
ルキウスからすれば、笑うしかなかった。
ただし、「実際に戦うならば、やはり自分だろう……」という、淡白な諦念と使命感もまた、確かにあった。
煌々と輝く、赤い魔法陣。そこから必殺の魔弾が放たれる前に、ルキウスは仲間の伏兵に念じた。
『《乱動》を』
『了解』
短いやり取りで、この戦場が外界から切り離されていく。
レガリアを使う以上、敵に情報を持ち帰られてはならない。転移も情報伝達も封じ――
接敵した敵魔族を、この場で皆殺しにする。




