第392話 兵たちの死地
剣を振り上げ、魔法を放ちながら迫る敵集団。対するルキウスの仲間たちの狙いは、あくまで精密無比であった。
不自然なほど防御への気遣いがないヴィシオスの人間兵が、次々と《貫徹の矢》で射抜かれ、その場で倒れ伏して動かなくなる。
この応戦ぶりに、やや目を見開く魔族たち。若干の迷いぐらいは期待していたのだろうか。
が、彼らはすぐに、さながら愉快な演劇を目にした観覧者のように囃し立てた。
「ははは! まさか、真っ向から迎え撃ってくるとは!」
「同族意識に訴えかけるのは、最初から諦めているのかな?」
「見ての通りだ人間諸君、あれこそ"我ら"がヴィシオスの敵だぞ!」
口々に煽る言葉の響きには、互いに剣を向け合う人間たちを嘲笑う下劣さがあった。
しかし、一方で敵には用心深さもあることを、ルキウスは見抜いていた。この挑発には、互いの立場と状況を活かそうという、戦術的な意図があろう。
それがたまたま、あの連中にとっては心底楽しめるものでもあるというだけの話だ。
ただ、ルキウスの仲間たちは、これで黙っていられるほど大人しくはなかった。依然として迫りくる人間兵を撃ち抜きながらも、仲間の一人が朗々と声を上げた。
「語るべき名も無き下郎が、身の程も弁えずに抜け抜けと! どこの馬の骨とも知れんお前たちなんぞに背を撃たれるより、真っ向から立ち向かう我らに撃たれる方が、よほど名誉というものだろうが!」
「語るべき名だと? 結局はおうちの御威光を笠に着るだけの青二才めが!」
指揮官気取りの魔族が、上品ぶった態度を捨てて噛みつくも、ルキウスの仲間たちはこれを一笑に付した。
そして……迫り来る敵兵から距離を取りつつ、互いの間合いの真ん中に《火球》を一発。さすがに攻め寄せる勢いも弱まり、敵兵が歩を止める。
「ルキウス! 彼らの墓標代わりだ、今の内に名乗っておこう!」
戦場に爆炎が舞う中、呼びかける仲間の声に応じ、ルキウスは相対する敵に名乗りを上げた。
「人類連合軍総司令官、ルキウス・エル・ラヴェリアだ」
威圧感を持たせたような大声ではない。しかし、彼の名の響きに加え、炎の向こうに揺らぐ堂々たる勇姿に、敵兵らが自ずと後退りする。
――いや、人間ばかりでなく、彼らを駆る側の魔族までも。ラヴェリア姓に対する、本能的な畏怖の念が、敵陣をかすかに揺るがしている。
この機に乗じ「それだけではないぞ!」と、仲間たちが順繰りに、世に響く英名を告げていった。大列強の王子、大公国公女、大将軍の長子、大魔導師の息子――
国際社会に多少なりとも覚えがあれば、当然のように知っているであろうビッグネームの連続に、ヴィシオスの人間兵は固唾を飲んで固まった。
一方で魔族らも、これだけの大物が来ているとは思いもしなかったのだろう。余裕たっぷりだった顔に、今は困惑の色が浮かび上がる。
と、そこへ挑発的な一言。
「そちらも名乗ったらどうだ? きっと知らん名前だろうが……戦いぶり次第では、覚えてやらんこともないぞ」
「ま、見聞きして帰るのも仕事だからな……」
あくまで"おつとめ"だからとばかりに、さほど興味を示さず名を問う一行に、魔族らは激昂した。
「ならば教えてやろうではないか! 我が名はグラスハイム!」
一人の名乗りを皮切りに、ルキウスらよりももっと高らかに、その名を名乗っていく魔族たち。
こうした流れをもたらした仲間たちに感謝しつつ、ルキウスは敵の名乗りに耳を傾けていた。
頭数だけで言えば、多勢に無勢だが……個々の戦力差を考えれば、一般兵はほとんど無視できる。彼らの戦意は形ばかりのものであり――
死ぬ覚悟はあっても、こちらを殺し得るだけの闘志はない。
となると、結局は将官クラスでのぶつかり合いが焦点だ。
(今のところ、戦場は5対5か……いや、私を抜けば4対5だが)
敵側の最後の名乗りを聞きながら、彼は後の算段に思考を巡らせた。
そんな彼をよそに、名乗り合いから始まった舌戦がエスカレートしていく。その契機となった《火球》の炎が消え、双方の間を分かつ障害がなくなっても、お構いなしであった。
「知らん名前ばかりだな。どこの田舎からやってきたんだ?」
「ほざけ! ホコリを被った名前にしがみつくばかりのガキどもが!」
「まぁ、そう言うな。甘やかされて育った若造を踏み台に、我らの名を成すだけのこと」
「そうとも。むしろ、幼さゆえの向こう見ずぶりには、感謝せねばなるまい」
「ハハハ! 物見遊山のつもりが、とんだ火遊びになったな!」
ノッてくれている敵に冷ややかな目を向けつつ、ルキウスはこの場にいない仲間に向けて念じた。相手は近くの建造物に身を潜める、サポート要員の魔族だ。
『私が合図をしたら、《乱動》を。ここを切り離そう』
『承知した。加勢は必要か?』
『必要になれば、その時伝える。心の準備だけはしておいてくれ。できれば、そうならないように務める』
『了解』
水面下で音もなくやり取りを進めるルキウスとは裏腹に、彼の仲間たちは、口喧嘩を喜んで買って敵の逆鱗を撫で回していく。
「田舎の大将のケツに乗って威張り散らし、他人の軍兵を駆ってふんぞり返る。自らの名を成すにも他人任せ……なるほど、甘えることの何たるかは、お前たちの方がよくよくご存知と見える。センパイとでも言っておこうかな?」
「おいおい、その辺りにしておけよ。連中にはその自覚すらないだろうに。指摘するにしても、もう少し手心を加えるべきだろ?」
「そうね。幼い内は、甘えることこそが仕事ですもの」
一体全体、どこでこういったやり取りを覚えたというのか。似たような生まれ育ちのはずながら、なんとも板についた挑発を繰り出す仲間たちを、ルキウスは内心、心強く感じながらも空恐ろしく思った。
実際、ガキ扱いしていた相手に、自ら口にした言葉をうまく使われ返された事実は、魔族らのプライドを完全に逆撫でしたらしい。
「お遊びはここまでだ」と、リーダー格らしき魔族が静かに言い放つ。
一方、ルキウス側は口が減らない。
「口論ではこちらが勝ったな。次は何で勝負する? 支持率か?」
「黙れッ!」
苛立ちもあらわに、魔族らが自らの兵へと矛先を向ける。放たれた魔法の矢が人を撃つことはなかったが、その意図するところは明らかである。
口論の中、ただ黙して立ちすくむしかなかった兵たちが、強大な督戦隊を背に再び動き出す。
「支持率勝負でしたかしら?」
「いや、悪い。比べるまでもないな、うん」
あくまで軽妙さを崩さない、ルキウスの仲間たちだが……軽いのは口先だけ。表情は冷徹そのものであった。
尻に火をつけられた人間兵に向け、彼らは淡々と貫通弾をお見舞いした。満足に回避行動も取れず――そうするだけの意志すらも見せず、次々と倒れていくヴィシオス兵。
この地を死に場と定めているかのように。
同族だからといって手をこまねく理由は、ルキウスたちには皆無であった。
敵国の兵とはいえ、同情できる要素は多分にある。
その上で、彼ら程度のために犠牲になってやるという感傷的な贅沢は、ルキウスたちには決して許されていない。
彼らひとりひとりに課せられた存在の重みとその自覚は、天秤の向こうに敵兵が何千何万集まろうと、決して微動だにしないのだ。




