第390話 襲撃者たち
夜の帳に火の粉舞い、群衆が我も忘れて逃げ惑う……
燃え盛る建物を背に、混迷の極みを前に、ルキウスはいくらかの罪悪感を覚えていた。
一応、この襲撃において配慮がなかったわけではない。ヴィシオス側協力者とのやりとりを経て、威嚇用にと人の出入りがあまりない倉庫を標的としている。
加えて、彼率いる隊は、実行に移す直前に人がいないことを確認してもいる。他の場所で爆発させた同志たちも、その程度の配慮は当然のようにあることだろう。
しかし、客観視すれば、この街を脅かしている側には違いない。
いくら人類の味方と自負していても、何も知らされていないヴィシオスの民にまで、そのような理解を求めるのはお門違いであろう。
ルキウスたちにとって、この王都は紛れもない敵地であり、彼らはあくまで侵略者なのだ。
こうした状況には、一長一短があった。
救うべき人間にまで敵視されるのは避けられないのが難点。一方で好都合な点はと言うと……
本当の標的である連中にとっても、打って出るだけの、格好の大義名分を与えていることだ。
無人の建物を爆発させて少しすると、ルキウスたちが期待した通りに状況が動き出した。
この場から離れようとする群衆の波が、中央から割かれて左右に分かれていく。ただ佇むだけで群れを引き裂いた"それ"は、大通りの真ん中を悠々と歩き、ルキウスらの前へと歩を進めてきた。
かがり火のような猛火に照らされ、色白の肌が、夜闇の中に赤味を帯びて浮かび上がる。その表情には、人を食ったような不敵さがあった。
「ようこそ、我らが王都へ!」
距離を隔てて、まずは芝居じみた所作とともに、朗々とした声でのご挨拶。これを一笑に付したルキウスたちの前で、その魔族は続けた。
「実際に仕掛けてくるのは、もっと後になると踏んでいたのだが……いやあ、裏をかかれたよ、まったく!」
あくまで表面上はフレンドリーに振る舞う魔族は、ルキウスらから視線を注がれている中、不意に後方に振り向いた。
統制が取れていない群衆の逃げ足は遅く、遅々として進まない。押し合いへし合い、バランスを崩して倒れる者。足を動かせなくなり、物陰に隠れて様子をうかがう者も散見される。
そうした国民に、魔族は高らかに告げた。
「諸君! 恐れることはないぞ! 君たちの背は我らが守ってみせようではないか!」
この声掛けに、逃げ惑う民の少なくない割合が振り向き、複雑な表情を見せた。
民の反応を引き出した上で、魔族は改めてルキウスらに顔を向けた。彼の顔を見るに、この状況を楽しんでいるのは明らかだ。
群衆を背にされている以上、手を出しにくくはある。流れ弾で混乱を加速させれば……という懸念も。
しかし、まずは心理戦を仕掛けに来たのであれば、それはそれで好都合であった。あの妹に比べれば、なんのことがあろうか――と、ルキウスは鼻で笑う。
「お前たちが我々を始末したとして、それで民意がなびくとは思えないがな。逆に、我々がお前たちを根絶やしにしたのなら、話はまた違ってくるだろうよ」
「なんとまあ、無邪気な事よ! この国と、その他大勢との間にある巨大な亀裂が、君たちの目には入らないと?」
「なるほど。お前たちは、この国がこうなったのは、この国の民草全てにも責があるというのだな?」
「……早合点も甚だしいな。どこをどう繋げれば、そのような飛躍にたどり着くんだ?」
「いいだろう。お前だけでなく皆々に、わかりやすくかみ砕こうじゃないか。この国が魔族の手を脱したとしても、決して人類の輪に戻ることはない。それが、魔族であるお前の主張だろう?」
この指摘は言外に、人類としてはこの国のかつての凶行を許す……といった含みを仄めかしてもいる。
実際にそうしたニュアンスを感じたか、逃げていく民の多くが振り返った。
とはいえ、ルキウスは何も赦しを与えるつもりで口にしたわけではない。
彼の一存で決められるような問題ではないのだから。
ただ、この場においては、舌戦の武器として一定の効果を見込んでいた。彼の目論見通りに言葉が刺さり、敵は取り繕えない程度の時間、口ごもっている。
この国の統治者然としてやってきた助けの手を装っておきながら、実のところ、この国の民についてはさながら罪人のように見ていた。そのことが群衆の前で察せられる事態となったのだ。
余裕のある笑みは消え失せ、忌々しそうに睨みつけてくる魔族を前に、ルキウスはさらなる煽りを加えた。
「慣れないことはするものでもないな。実家へ帰って勉強でもしたらどうだ?」
「ハッ! ここまで出歩かせておいて、手土産も持たせないというのか?」
「我々を出歩かせたのは、むしろお前たちだろう? それに……なにか施そうにも、持ち合わせがなくてな。恵んでやれるのは教訓ぐらいのものだ。それを活かす機会が来るかどうかは、知ったことではないが」
自分でも驚くほどに、スラスラと挑発の言葉が流れ出ることに、ルキウスは内心で少し驚きを覚えた。あの妹たちに影響を受けたということもあるまいが。
口先でも一歩も引くことのない彼は、去っていく民の背を一瞥した。ただならぬ雰囲気の高まりを肌で感じたか、腰が抜けていた者も今では立ち上がり、今まさに始まらんとする闘争から距離を取っていく。
それだけ確かめた後、彼は敵に問いかけた。
「お前、名はあるのか?」
「名乗るなら、そちらから名乗ってはどうだ?」
「ルキウス・エル・ラヴェリアだ」
こともなげに名乗る彼に、敵は目を見開いた。逃けていく民でさえ、耳にその名が届けば、驚愕とともに一瞬立ち止まってしまう。
彼の名には、それほどの響きがあった。
「他の同志についても、私と似たようなものだ……それで、お前には名乗るほどの名はあるのか?」
「いいだろう、覚えておくがいい。我が名はエズフィデク!」
この名乗りに、ルキウスはわずかな困惑を顔に出した。周囲にいる仲間たちに顔を合わせるも、皆が揃って首を横に小さく振る。
「知らない名だ。不勉強で済まんな」
これも挑発の一部ではある。ロドキエルを除けば、魔族らの名を知っている方がおかしいのだから。
事実、エズフィデクもそういった認識だったのだろう。彼は不勉強を自認したルキウスを鼻で笑った。
「忘れられぬ名となるだろう……覚えておけるのも、残り僅かな間だがな!」
言い放つとともに、エズフィデクは突撃を敢行した。ルキウスとの間にあったそれなりの間合いが、ごく一瞬で詰められる。
もっとも、これぐらいの動きであれば、対応できない訳はない。ルキウスたちには、この敵とは別に警戒すべきことがあり、挑発の裏で気を張っていたのだ。
怪しげな魔力の光を湛える敵の貫手に対し、彼は素早く大ぶりなナイフを抜き放って応戦し、受け止めた。
すぐさま足を動かして敵の側方をうかがうルキウス、片や初撃を受け止められたエズフィデクは、大きく下がって距離を取った。
「運が良かったな! しかし、それがいつまで続くかな?」
自信満々に声を発した後、彼はその場で大きく飛び上がった。一飛びで大通り沿いの建物、屋上近くの壁面まで。欄干に手をかけ、壁面から跳躍する姿勢を見せる。
(なるほど。奴にとっては壁も地面のようなものか)
おそらくは、スピードを活かして攻め立てようというのだろう。《魔法の矢》などで牽制しても、あの突撃速度では避けられるに違いない。
すると、ルキウスに同行する他国の王子が、実に落ち着いた口調で話しかけた。
「囲んで殺すか?」
あまりに飾りのない提案を受け、ルキウスは苦笑いした。彼の代わりに、他の仲間から苦言が入る。
「いや、衆人環視下だろ? 解放者らしく振る舞うのであれば、やはりもう少しお上品に殺るべきと思う」
「ルキウス、代わりましょうか?」
「だったら、僕が……」
世界に名だたる俊英たちが、あまり緊張感なさそうに騒ぎ立てる。
この余裕ぶりは、敵の逆鱗に触れたようだ。
「だったら行儀よく順番でも決めておけ! 一人づつ殺してやろうじゃないか、クソガキ共!」
激昂とともに、建物側壁を蹴っての跳躍。強く踏み抜かれ、砕け散る壁材の破片を後に、弾丸の如き凶手がルキウスに迫る。




