第388話 歴史の一夜
作戦全体を推し進める、さらなる一手。ルキウスが投げかけた言葉に各所から応諾が返り、事態が前進していく。
ルキウス率いる船団からは彼とアクセル、そしてフィルブレイスの三人が、当初の予定通り王都攻めに加わる。
まずは、王都へ攻め入る前の準備だ。残る面々に後事を託した後、三人はフィルブレイスの手で転移した。目的地は、ヴィシオス王都バーゼル付近の森だ。
ここは、《時の夢》によるループを繰り返す中、リズが何度も中継地点として用いた場所でもある。
地図を参照し、術者にとっては未踏の対象地点を繋ぐという、相応に難度の高い転移法ではあるのだが、ダンジョンマスターを煩わせるほどのものではなかった。
何事もなく鬱蒼とした森に到着した三人が、すぐに周囲へ注意を向けていく。
夜陰の中の森は、不気味なほどに静まり返っている。そんな中に、ポツンと灯る魔法らしき明かりが一つ。
先方も、この三人の到着には気づいたのだろう。遠方で揺れ動く明かりが、木々の間を縫って踊り始めた。目にしている者の気を惹くように。
実際、この明かりを動かしていたのは、すでにこちらへ転移を果たしていた同志のものであった。世界の強国から馳せ参じた勇士たち、その中には転移要員としての魔族に加え、ルキウスと面識のある王侯貴族が幾人も。
先に着いていた彼らに、ルキウスは軽く頭を下げた。
「お待たせして申し訳ない」
「いやいや。あなた方に課せられた負担を思えば、むしろ早かったというべきところでは?」
「まったくだ。想定では、もう少しかかるという見込みだっただろう?」
実のところ、他部隊の動きとの兼ね合いもあって、空戦の最中に抜け出すことも考慮の内ではあった。
(それを思えば、想定以上の流れと言えるが……)
親しい立場の、数年来にも思える同志たちの称賛に、ルキウスは苦笑いを浮かべた。
「お褒めに与り光栄だが……成果を出したのは、妹の戦友たちでな」
そう言って、彼は傍らにいるアクセルとフィルブレイスに、親しみを込めた微笑を向けた。
「実際、そういった働きを期待する戦いではあったが……期待通りだったか」
「いや、期待以上だな」
世界に名だたる血筋から口々に称えられ、二人の表情が少し柔らかくなる。
そうして、軽く戦功を労ったところで、場を取り仕切るルキウスが改まって口を開いた。
「他の地点も、準備は整ったか?」
「ああ、こちらが最後だ。後は号令さえ貰えれば」
「そうか……」
さらに一手、動かしにいく。世紀の大作戦を差配する大任を背に、ルキウスは数秒程度、静かに瞑目した。
「……よし、行こうか」
さっぱりした、あまり軍人らしかぬ号令だ。彼にしては珍しくもあるが、肩肘張らない感じが場にマッチしてもいる。運命を同じくするいずれもが、彼の言葉に意気のある眼差しを向けてうなずいた。
その後、フィルブレイスを始めとする魔族が動き出し、転移の準備を開始した。同時に、他部隊との通信を担う者が、魔道具で超遠隔の合図を飛ばしていく。別地点で待機する部隊も連動し――
人類の未来を賭けた大作戦は、さらなるステップを踏み込んだ。
ルキウス率いる王都奇襲本隊は、事前に定めておいたポイントへの転移を果たした。ヴィシオス側内通者の手を借りて確保した、倉庫群の一つである。
今となっては魔族が我が物顔で歩く、この王都だが、物流のようなつまらない仕事に関心を寄せる魔族は少数派だ。例外は王城に控える側近ぐらいのものだが、彼らの注意も街全体へは行き渡っていない。
そのため、食料・雑貨等のありふれた物品を置いておく倉庫などは、王都内の中継地点としてもってこいであった。
ルキウス一行が潜入した倉庫は、人類側が確保した倉庫群の中でも、王城や官庁街に近いポイントにある。
すなわち、最も危険度と重要度が高い要所だ。
息を潜める一行は、申し訳程度に開けられた壁の窓から外の様子をうかがった。星も見えない空の下だが、魔道具の街灯が寂しげな光を放ってくれている。幸いにして、外を出歩く人影は見当たらない。
さて、ここから仕掛けに行くのだが……不確定要素があまりに多い作戦だけに、細部までは詰めきれていない。
つまるところ、ほとんどアドリブである。意識統一ができているのは、大筋の流れや、作戦上の優先順位等程度だ。
さっそく、細かな判断が求められる状況に、ルキウスは素早く指示を出した。
『アクセル、フィルブレイス。二人は外へ。まずは徒歩で王城へ接近してくれ』
『了解しました。転移で直接、王城へ忍び込むのは、やめておいた方が?』
『釣り出しの状況次第だ。今すぐでは鉢合わせの恐れもある。こちらの陽動に対し、敵が反応を示してから、二人で判断してほしい』
今のところは破れかぶれになる必要もない。先手を打ち、敵の反応を誘ってから、そこに付け入る。
この指示を受け、王城潜入要員の二人が動き出した。これが今生の別れとなるかもしれない――互いにその点は重々承知の上、言葉もなく、ただ視線を交わして戦意を確かめ合う。
無言で別れの挨拶を済ませると、二人は静かに倉庫の外へと躍り出た。
この王都へは今のリズも、実際に足を踏み入れている。ヴィシオス側の、今でもそれなりに権限がある人物から協力を取り付けるための潜入だ。
その際、本作戦においてシビアな役どころを受け持つアクセルとフィルブレイスは、事前の観察ということでリズに同行し、王都の状況を直に体験していた。
もっとも、王都全体を把握できているわけではない。肝心の王城どころか官庁街へも、満足に忍び込めてはいなかったのだが……
それでも、完全な未経験ではない。一応はこの街を知っている。
そして、自分たちの潜入を、敵方は気づいていない。
心理的なアドバンテージが、夜陰を進む二人の歩を、迷わせることなく導いていく。
寂寥感満ちる王都の街路を、幽鬼のような衛兵が見回りするも、二人の影を捉えることはない。この街の衛兵の士気が低下していることなど、すでに知れたことである。
ふとした拍子に沈みがちになる見張りの目線を切り抜け、夜の街を進む二人は路地裏へ。そこから一気に宙を駆け上がっていく。
そうして二人は、事前に定めておいたポイントに到着した。王都中央の王城や官庁街に程近い、中央広場沿いの建物の屋上である。一応は老舗のホテルらしい。
事前の観察通り、なかなかの高さがあるこの建物からは、周囲の様子がよく見えた。
もっとも、さほど見て楽しい夜景でもないのだが。
日が沈んでから、そうは経っていない時間帯ながら、街を出歩く姿はほとんどない。冬期に入ったからということもあるだろうが、それにしても……である。
静まり返った街を歩くのは衛兵程度だ。彼らの消沈ぶりと言ったら、名だたる大国の、それも王都の秩序を守る官憲とは思えない。
街路に並ぶ魔道具の明かりもまた、物寂しい雰囲気を助長する。寝るにはまだ早い時間だろうが、屋内に灯る光は、どこか控えめで――
人目を憚るような、陰気な光が灯る王都。街路には生気を失ったような人影が蠢いている。
アクセルの目に、この街の有様は、この世ならざるもののように映った。
(それも、もうじき一変するだろうけど……)
配置について一呼吸し、アクセルは傍らのフィルブレイスにうなずいた。本作戦でバディとなる彼が、《念結》経由でルキウスたちへ一報を入れていく。
この連絡が済めば、アクセルたち二人は、味方から完全に切り離されて動くこととなる。
フィルブレイスからの、最後の通信が終わってから、さらに数分後。
状況が動き出した。
街の遠方から響く爆発音。燃え盛る炎が、夜闇を怪しく照らし出す。
突然の事態に、驚愕と困惑の波が広がっていくのを、アクセルたちは高みから見下ろしていた。
まさに半死半生の街に、火がついた。
人類側の立場として、この街の者をあまり巻き込みたくはないという想いはある。たとえ、かつての仮想敵国の民であっても。
だが、この街の民がどれだけ生き残れるかは、結局のところ、この国の人間次第である。
生きながらに死んでいたような、この死都の民草と兵に、生き抜くための力がどれほど残っているか――
いよいよ始まった、この王都での長い夜。
爆発騒ぎは一箇所に留まらず、他でも連鎖的に、示し合わせて生じていく。
喧騒の巷から向き直り、アクセルは王城へと視線を向けた。握った拳に力が入る。




