第386話 新技術
アクセルたちの手で奪取した飛行船は、首尾よく敵船団後方へと下がっていった。敵の後背から切っ先突きつける形勢だ。
飛行船の旋回性能や砲の配置から考えると、後方につかれた敵への対処は難しい。ましてや、挟撃されるとなると相当の不利となる。
しかしながら、意図的とはいえ損傷させた船が、敵陣に孤立しているという状況でもある。戦いの流れ次第では、危険に晒されるのは疑いのないところ。
そして、戦場はここだけではない。この一戦を片付けた後にも、まだまだ任務はいくらでもある。
この戦いに臨むそれぞれが、そうした現状を重々承知した上――
ルキウスの旗艦に連絡が届いた。盗んだ船が"配置"につき、程なくしてのことである。
『敵船の背面に目立った武装は見受けられず。指示を待つとのことです』
「了解した」
さて、次なる手を促されている。おそらくは、世界中で最も果敢な飛行船の勇士たちから。
挟撃に持ちこみ、一気に瓦解させる。勢いそのままに敵旗艦を攻め落とし、統制の乱れを突いて各個撃破――シンプルでわかりやすい攻めは、やはり効果的と思われる。
(しかし……)
「彼らへの負担は、可能な限り軽減したくもありますな」
「確かに」
卓を囲む武官たちは、この状況を作った面々に、さらなる危険を負わすことを避ける意向だ。ルキウスとしても、避けられるリスクまでは負わせたくはない。
そんな彼の決断は早かった。
「新装備を用いて敵側の通信を切り離す。その上で降服勧告を行おうと思うが、各々方はそれでよろしいか?」
これに異論なく、次の動きが定まった。さっそく伝令の兵が動き出し、連合軍各船へと通達が飛ぶ。
すると、絶え間ない砲火で爆炎に塗れた空に、それぞれの飛行船から金属片のような"新装備"が飛んでいった。爆風に煽られ、あるいは消し飛ばされるものも少なくない。
これら金属片の行き先を、各船の観測手が双眼鏡で追いかけ……
『敵船全艦に取り付きました!』
司令から少ししてもたらされた吉報に、司令室が緊張と興奮に包まれる。
試験では良好な性能を示した新装備だが、実戦投入は初めてである。果たして、うまくいくかどうか――
張り詰めた空気の中、ルキウスは立ち上がって司令室を出た。向かうは旗艦の甲板前方部である。
彼の司令により、戦況は小康状態にあった。砲火が止み、空には一時の平穏が訪れている。
そこへ、魔道具によって拡声されたルキウスの声が響き渡る。
「人類連合軍より、ヴィシオス空軍へ。降服勧告を申し上げる」
これに返ってくる言葉はない。聞こえていないというわけはないのだが。敵側に潜り込んだ例の一隻からも、聞こえているという旨の合図が出ている。
無視されているか、あるいは他と相談しているか……
「起動せよ」
「はっ!」
配下に短く指示を飛ばしてから少し間を置き、ルキウスは敵に向けて口を開いた。
「もう一度言おう。我々は貴軍に対し、降服勧告を申し上げる」
これでも返答はない。
だが、こちらの目には届かないだけで、向こうには明白で大きな変化があるはずだ。
――何しろ、全ての転移と通信が効かなくなっているはずなのだから。
リズ一行と、ファルマーズを筆頭とする人類側の技術者たちの手で作られた新装備、《乱動発生器》。
この魔道具は、その名の通り周囲の一定範囲に《乱動》を展開する。手動に比べると魔力のかく乱効果は弱く、効果範囲は限定的。時間制限も存在し、間に合わせ感ある新装備だが……
こと空戦においては、敵の通信室を封じこめることができれば、それで充分である。
双眼鏡で前方をうかがう限り、狼狽は敵陣全体に浸透しつつあるようだ。内部から染み出した動揺の波が、甲板の上までも。
これに乗じ、ルキウスは冷静さを保って畳みかけていく。その口から放たれるのは人名。ヴィシオス空軍の軍高官――現場には立たない面々――の名である。
思わせぶりな名前の羅列の後、彼は高らかにフィンガースナップを響かせた。意図的な芝居じみた演出に続き、敵陣に響く砲火の音。
後背につけておいた、あの一隻からのものである。
これにより直接的な被害は生じていない。アクセルらの安全を考慮して、十分な距離を開けてもいるのだが……敵方はそれどころではないだろう。
より一層の混迷に揺れる敵船団を前に、ルキウスは詰めにかかった。
「諸君らの上の、少なくない将官が、すでに我々人類の側についている。この場にいない者が、だ。それでも諸君は戦おうというのか? 何も知らず宛てがわれた不良品に、その命を託してまで?」
効かない通信をそれとなく指し、こちらは最初から承知しているものと仄めかす。
事が始まる前からの、"裏切り"があったようにも。
通信が切り離された今となっては、確かめようのないことだが。
戦列後方へ逃がした船も、結局は仕込みがあった――敵方ではそのように認識されていることだろう。
だが、挟撃に対して向こうが動き出す様子はない。通信を遮断された今、それぞれが勝手に打って出るわけにはいかない。
まともな空戦は、敵方にとっても初めてのものなのだ。
しかし、指揮命令系統を維持するため、それぞれが自制するという当たり前の合理性さえも、実際には心に浮かぶ諦念と絶望が形を変えただけのようで――
心理的に追い込まれつつある敵兵たちに、ルキウスは続けた。
「諸君らに、今でも従うべき命と君主があるなら、それに殉じるもいいだろう。耐えかねる恥を胸に玉砕し、我々を煩わせるもいいだろう。その時は、どこへ還ることもない空の塵と化すがいい。だが……」
距離を隔てて相対する、運命に踊らされるばかりの兵たち。彼らに向けた確かな憐憫を胸に、彼は告げた。
「お前たちが今も人だと言い張ろうというのなら、我々に降れ。我々はただ、ロドキエルを殺すためにやってきたのだ」
言葉が途切れ、静寂が空を満たす。
そんな中、ルキウスは近くの武官たちに、拡声器には乗らない声で淡々と命じた。
「後詰を敵陣側方へ。包囲を狭め、締め上げよ」
「はっ!」
敵に対する慈悲の念はある。
だが、それは味方に対してのものには及ばない。降伏勧告は、あくまで無用な摩擦を避けるため。よりよい勝利を得るための手段に過ぎないのだ。
降服勧告から少しすると、敵船の間で大声が交わされるようになった。狭まってくる包囲を認識してもいるのだろう。
ややあって、ヴィシオス側から魔道具の声が響き渡った。
「本船団指揮官より、貴軍の申し入れを受諾する」
努めて感情を排したように聞こえる、降伏の言質。自分の船にも、自分の内にも安堵がじわりと広がるのを感じながら、それでもルキウスは冷徹さを保ってこれに応じた。
「貴官らの判断に感謝する。まずは貴軍から先に降下せよ。我々は追って降下を開始する」
「……承知した」
ほぼ包囲された状態の敵船団が、ゆっくりと降下を始め、それに少し遅れてルキウスらの船も降りていく。
交渉はうまくいったとはいえ……向こうが着陸後に反攻しないとも限らない。それに、《ランダマイザ》の持続時間の懸念もある。
まだまだ気を揉むところの多いルキウスだが、懸念の一つはすぐに解消された。乗り合わせている技官によれば、時間は十分に持つとのことだ。
「双方の降下速度を考慮しても、問題ないものと存じます」
「そうか、了解した」
実際、敵船団が下りていく速度は、ルキウスが思っていたよりも速い。せめてもの抵抗にと、従順さを装いながら時間をかけてくるのでは。そんな懸念もあったのだが……
(この調子ならば、尻を叩く必要もないか)
人知れずため息をついた彼は、先んじて降りていく静かな船団に視線を向けた。鬱屈とした暗雲の下、吸い込まれるような闇へと飛行船が沈んでいく。
――もしかすると、地に着いて事の決着をつけてもらうのを、彼らは望んでいるのかもしれない。




