第384話 天空の戦線
ヴィシオス侵攻の先鋒たる空戦部隊、彼らが身を置く戦場は苛烈極まるものであった。顔も見えない敵に対し、互いが殺意を込めて攻撃を放ち続ける。攻城戦と見まがうような、《火球》や砲火の嵐である。
そうした激戦の最中にあって、人類連合軍の旗艦は、実に落ち着いたものであった。
旗艦指揮室は他よりも大きな作りとなっているが、それでもスペースは限られている。若干手狭な空間に、各国より集結した高位の武官たちが顔を揃えている。
彼らを束ねる作戦指揮官は、ラヴェリア王室の長兄ルキウス。旗艦の艦長にして移乗攻撃の指揮官を務めるのは、ラヴェリア王の隠し子アクセル。
見る者をすっかり怖気させるような空戦の熾烈さも、結局のところ見せかけでしかないことを、二人は早くも看破していた。ルキウスは、軍人としての経験と洞察力から。アクセルは、空戦への慣れと、元諜報員としての対人把握力によって。
両軍、ともに精兵を乗せた上で、この機に向けて準備を整えてきたことだろうが……
それでも、未体験の戦いには違いないのだ。
やらねばならぬという戦意と、ここでは死ねないという思い。両方が絡み合ったことで、敵の接近を拒むべく有効射程外にあることを承知の上、互いに示し合わせたような撃ち合いに発展している。
この膠着は、人類側にとって……
「まずいな」
「はい」
攻める側としては、ここで終わるわけにはいかない。まだまだ作戦全体の、指先程度でしかないのだ。ここで何か一手を打つ必要がある。
そのための手立てが、こちら側にはある。空戦の要諦を担うアクセルに、ルキウスは顔を向けて言った。
「すまない。やはり、君の力が必要だ」
一族からつまはじきにしていた罪悪感によるものか、ルキウスの態度には控えめな遠慮の感があった。彼に非がある問題でもなかろうが。
片やアクセルも、自分のような者が王家の一員に紛れ込むことに、いくらか気後れするような想いを抱いている。
しかし、そういった心理的距離間はともかくとして、互いの力量への確かな信頼もあった。
停滞を打ち崩すための一手を打診され、アクセルはしっかりとうなずいた。
「船団の指揮はお任せします」
「了解した」
両軍の飛行船の簡易的な配置図に視線を落とし、すぐにルキウスが細長い指揮棒で一点を指し示す。
「まずは端から攻め落とそう。右翼端を一度後退させ、敵の行動を促す」
「承知しました。では」
アクセルは居並ぶ武官たちに目を向けた。彼らから無言の信望を受けると、後ろで話を聞いていたフィルブレイスに振り向き、口を開く。
「フィル様、お願いします」
「了解、行こうか」
フィルブレイスは今日一日、アクセル専属で動くことになる転移要員だ。相方が無理しすぎないようにと気を配る、一種のお目付けでもある。
状況を変える一手打ちに行く突撃要員の二人は、作戦総司令のルキウスに頭を下げ……さほど間を置かず、転移魔法が二人の姿を消した。
次いで二人が現れたのは、船団右翼端にある一隻の甲板上。船同士の間を転移で行き来しやすいよう、それぞれの甲板にはわかりやすく簡易な装飾が施されている。これを活かした転移のトレーニングも実施済みだ。
こうした備えの助けもあって、互いに空で動き合う飛行船の間ながら、難なく転移を済ませることができた。
だが、問題はここからである。
ルキウスの指令を受け、乗り込んだ船がさっそく後退していく。これに敵船が釣り出され、空で孤立するようならば思惑通り。しかし……
「動きませんね」
「予想通りではあるかな。敵としては、このままが好ましいのだろうし」
射程外での撃ち合いは、こちらが明らかに距離を取り始めたことで、完全に火勢が止んだ。開けた視界の向こうには、これまで撃ち合っていた敵船が静かに佇んでいる。
まずはこの端から、順当に攻め落としていきたい。
無論、敵中枢を叩いて、それで戦闘が終われば万々歳なのだが、そうもいかないだろう。敵の統制が取れなくなって乱戦になれば、こちらの被害が跳ね上がる恐れもある。
人類側諸国からかき集めた航空勢力だが、作戦の都合上、数で平押しできるほどの余裕はない。できる限り兵力の逸失無く、戦闘を進めていかなければ。
他の戦場との兼ね合いもあり、焦燥と緊張に包まれる中、甲板に現れた通信係より次なる動きが示される。
「本艦は敵集団側部をうかがうように移動、後詰に余剰の一隻をあてがいます。この二隻で、端の敵船を攻め立てる動きを見せよとのこと!」
早口だがはっきりとした伝令に、場の空気が一層引き締まる。
この指示において重要なのは、「動きを見せる」という一点。別に、この船で成果を上げる必要はない。相手側には、単なる揺さぶり程度に思ってもらえれば良い。
そこで、新手への応戦に気を向けさせれば――
指示を受け、さっそく船が動いていく。隊列の穴を埋めるべく、すぐに後釜が配置につき、アクセルらの船が距離を開けて回り込む。
一方、敵船団は端が二方向から撃たれるのを嫌ったと見える。回り込もうというこちらの動きに対し、これに応じる構えを見せつつ、端の船が船団からは少しずつ離れていく。
結果、後詰の一隻からは手が届かず、アクセルらの船と一対一で撃ち合う位置関係となった。
釣り出しがうまくいった格好である。
いかにルキウスといえと、空戦の経験はこれが初めてだろうが……空の戦場をさらなる高みから見下ろすかのような、無駄のない手筋に、アクセルは感服の念を抱いた。
同時に、自分もやってみせなければという、前向きなプレッシャーが体を熱くする。
今や、両軍の集団から少し離れ、向き合って撃ち合う二隻。
実を結ばない、射程外ギリギリの砲戦を行っている今こそが、アクセルの出番である。
「フィル様、行きましょう」
「……了解。ちょっと待って」
期待と不安入り混じる視線寄せられる中、二人はあくまで冷静さを保っている。フィルブレイスは双眼鏡で一点を見つめながら、転移魔法陣を操っていき……
次に二人が現れたのは、敵船の船底であった。
《空中歩行》はあるが、これに頼り切るというわけではない。まずは腰のロープを敵船の係留器具に巻き付けていく。
当座の最低限の安全を確保したところで、アクセルは仕事にかかった。敵船の外側を伝って移動し、窓の一つに手をかける。
過去に敵船を鹵獲したことから、敵船の規格がある程度は統一されていること。そして、その内部構造などは把握済みである。
アクセルが今取り付いたのは、クルー向けの寝室の一つだ。やや窮屈な空間に二段ベッドを押し込んだような作りとなっている。この状況下で寝ている兵がいるはずもなく、無人である。
彼は仕事道具を取り出し、窓に穴を開け始めた。若干の音がする行程だが、戦場に耐えることのない砲火の爆音が、作業音をかき消してくれる。
首尾よく窓に穴を開けると、彼は身を滑り込ませて悠々と侵入を果たした。想定したいたのと同じ、さらに言えば、訓練で幾度となく見た通り。既視感のある部屋だ。
『入り込めました。外から援護を』
『了解』
アクセルからの指示を受け、フィルブレイスは身構えた。
常人に比べればずっと魔法の深淵に近い、彼らダンジョンマスターだが、直接戦闘は不得手とするところである。
ただし、そんな彼らでも、陽動ぐらいの事は難なくできる。
取りついた船の外側で、彼はいくつかの《火球》を放った。かなり弾速遅く調整したそれらに、今度は《魔法の矢》を撃ち付け、誘爆。
取りつく場所を変えて何度か同様の作業を繰り返すと、敵船内で動きが生じるのをアクセルは感じ取った。すぐに、敵方の動揺が耳に届く。
「着弾か!?」
「わからん、飛行には支障がないようだが……」
「クソッ、どうなってやがる……?」
慌ただしく飛び交う声の様子から、敵は砲火がこちらにまで迫っているものと、勘違いしてくれているのかもしれない。
重要なのは、揺さぶりをかけること、船内における配置を乱すことにあった。
かく乱のダメ押しにと、アクセルは忍び込んだ部屋でごく小さな《火球》を放ち、爆発させた。ドアが吹き飛び、二段べッドの一部がくりぬかれる。
「な、何だ!?」
攻撃そのものの威力は、砲火に比べればごく些細なものだが……何分、船内における爆発である。これ見よがしに廊下へ吹き飛ばされたドアの存在も手伝い、見過ごせるはずもあるまい。
爆発から数秒後、被害箇所の確認にと敵兵がやってきた。廊下に一人残し、二人が中へ。
その様子を、アクセルは無事な二段べッドの上で、部屋の隅に貼り付きながらうかがっていた。
勝負は一瞬。まずは、廊下で身構えて待つ一人を、《貫徹の矢》で一射。
撃ち込むや否や、べッドからひらりと身を翻し、部屋へ入り込んだ敵兵の後頭部へ投げナイフを一閃。
残る一人には背後から手を回して口を封じ、後ろからナイフを突き立てた。
最後の一人が殺されてから、ごくわずか後に、最初に射抜かれた兵が崩れ落ちる音が静かに響く。
今殺したのは、主たる戦闘要員ではないだろう。予備か、あるいは操縦・通信等の要員か。ともあれ、船内における敵はいくらか取り除けた。
ただし、敵兵を殺したことで、カウントダウンが生じてもいる。
『他も連れて来ようか?』
状況が一段落したと見たようで、外のフィルブレイスから提案が。良いタイミングではあったが……アクセルはこれを断った。
『最初の一隻は、できるだけ事を荒立てずに処理できれば……と思います』
『ああ、なるほどね』
人類の命運をかけた一大決戦だが、どの段階を切り取っても博打要素は大きい。作戦全体の青写真を描いたリズも、それに具体的な形を持たせたルキウスも、呼応した各国の大人物たちも……いずれも、その点は重々承知していた。
結局のところ、現場に立つ者たちの力を信じるしかない、アドリブの連続になるだろう、と。
敵船奪取などは、そのわかりやすい例と言えた。
『傍目には敵味方が入れ変わっていないように見せかけたまま、乗っ取ろうと思います』
この後を考えて、よりチャレンジングな道を提示するアクセル。
欲をかいている、油断しているというよりは、むしろ逆であった。余裕のあるところで攻めていかなければ、大業は成し得ない。
普段の彼の控えめさ、温厚さが、考えなしではないという説得力になったのだろう。果敢な提案を、フィルブレイスはすぐに認めた。
『了解。通信室の外から《乱動》を使うよ』
『お願いします』
まずは一時的に通信を遮断。指揮命令系統から切り離し、敵兵の動揺を誘って強襲。通信士たちを始末した後に、敵船中枢部へ奇襲をかける。
幾度となく模擬戦を繰り返してきた、いくつもある奇襲パターンの一つである。
いざ実戦を迎え……それでも心は、毛ほども騒がされるものがないことを、アクセルは自覚していた。
意識が完全に仕事モードに入ったからか。
それとも、もっと重責を負う親しい人がいるからか。
あるいは、敬愛すべき人々に影響されたか。
この落ち着きの正体が何であれ、心強いことはこの上なかった。




