第383話 放たれた運命の矢
人類の最前線、ルブルスクの飛行場から飛行船が飛び立つのに合わせ、世界各所に配しておいた戦力も連動して行動を開始。
しばらくすると、リズたちも動き出す時がやってきた。飛行場にやってきた伝令が、息荒くも大声で叫ぶ。
「第一波、交戦に入りました!」
「了解……そろそろ行くか」
「ええ」
真剣さの中にも余裕を保つべルハルトに、リズは不敵な微笑でうなずいた。
今も場に残っているのは、飛行船の最終確認に務めていた技師たちと、戦地に向かうリズとベルハルト。
そこへ、お見送りとしてエリシアとネファーレアがやってきた。他の皆が、それぞれ務めを帯びて動き出す中、この二人はどうにか飛行場に留まることができていたのだ。
「行ってくるわね」
あくまで、気負いなく口にするリズだが……兵たちを送り出した時とは違い、二人の硬い表情には思いつめたような暗い陰があった。背を押さねばならないとわかっていても、それを邪魔する気持ちがあるのだろう。
ややあって、ネファーレアが口を開いた。
「やはり、私も……」
「ダメだぞ、レア。いくらお前だって、死霊術を維持しつつ、魔族連中と戦えるわけじゃないだろ?」
実に現実的な兄の指摘に、彼女はうなだれた。
相当の距離を隔ててなお、リズに用いられた死霊術は揺らぐことなく、その効力を発揮し続ける。
その場にいなくとも、ネファーレアはリズの力になれる。
だとしても――
合理をそのまま受け入れられないでいる彼女に、リズは微笑みかけた。
「私が戦闘に入ったら、視覚や聴覚を共有するんでしょ?」
「……はい」
死霊術を通じ、ネファーレアはリズ最後の戦いを感じ取ろうというのだ。
「面白いものでもないと思うけどね」と、呆れたような笑みを浮かべるリズだが……彼女は妹の頭に、優しく手を置いた。
「あなたに見られてるって思ったら、情けない戦いなんてできないわね」
「お姉さま……」
「私がカッコいいところ、見届けてくれるだけで十分よ。それだけできっと、あなたを感じられるから」
優しくかけた声に、ネファーレアは黙して顔を伏せ、小さく体を震わせた。エリシアもまた、沈鬱な顔でうなだれたまま。静寂の中、線の細い二人に小雪が降りかかっていく。
しばらくしてエリシアが、少し遅れてネファーレアが顔を上げた。
「お姉さま……頑張って!」
「無事のご帰還、ルブルスクの皆さまとともに、お待ち申し上げます!」
「ええ。行ってくるわね!」
最後の別れを、ハツラツとした顔で済ませ……そこへ、蚊帳の外にいたベルハルトが一言。
「私には、特に何か……いや、別にいいんだけどさ」
「特に心配されてないんでしょ……王様らしさ以外はね」
「お前が立てたんだろ~?」
生還すれば、ラヴェリア次王の座が定まっている王子と、その妹とは思えない言葉の応酬。
呆気に取られた二人が、瞳潤ませながらも顔を綻ばせた。
改めて、この二人に向き直って手を振り……戦場に向かう勇者二人は、飛行船へと乗り込んだ。
そして、離陸。人類の未来を賭けた一隻が、片道の行軍を開始した。
見送りの二人が見えなくなるまで、リズとベルハルトは甲板から身を乗り出して手を振り続け……二人の人影が白雪に塗れて見えなくなると、息を合わせたように二人でため息をついた。
思わず顔を合わせ、互いに苦笑い。縁から離れて甲板の内へ。
戦場まではまだ遠く、両者ともにまだまだ寛いだ様子でいる。離陸から続けて高度を上げていく船の上で、リズは空を見上げた。
風を防ぐ、魔力の防風膜によって、甲板には雪すら入り込むことはない。やがて飛行船は、空を覆う暗雲の中に突入し……
少し経つと、視界が澄み渡った。下には黒い雲海、上には暮れていく空。気が滅入るような雲の帳さえなければ、ラヴェリアと同じ一つの天空がそこにある。
「絶景だな……」としみじみした様子でつぶやくべルハルトに、リズはうなずいた。
「これがただの観光なら、もっと良かったかもだけど」
「まあ……ヴィシオス王都へ行くのも、観光みたいなもんか?」
「とんだお客様ね」
「まったくだ」
そうして軽口を交わし合った後、ベルハルトは飛行船全体に視線を巡らせ始めた。
「どうかしたの?」
「いや、これが勝手に動いているっていうのが、どうも不思議に思えてな~」
本作戦においては、いくつかの革新的技術が用いられている。《時の夢》によるループの中、それぞれの世界で知り得た技術的知見を繋ぎ合わせた成果である。
飛行船の自動操縦は、そのうちの一つだ。人が操縦するのに比べれば、ごく単純な操船しかできないのだが……
これと定まった目的地がある上、敵船との交戦を避ける運用のため、リズたちが乗る飛行船においては問題にならない。道中の安全確保のため、梅雨払いも動き出しているところであり、敵との遭遇を避けるために他よりも高高度を飛行してもいる。
仮に、この自動操縦がなければ、操縦士を犠牲にすることとなっていただろう。それは大変に心苦しくもある上、実際的な問題もあった。
いざ敵国王都に攻め込んだとして、飛行中の船に魔族が万一乗り込んできたら――ということである。
余計な道連れがなく、二人きりということもあってか、死地に向かうにしては砕けた雰囲気があった。
とはいえ……外部からの連絡で、すぐに空気が引き締まるのだが。甲板に据え付けられた魔道具が発光し、二人は身構えた。超遠隔での通信で声が響く。
『こちら旗艦。ただいまヴィシオス領空で交戦に入りました。エリザベータ号の針路上に敵は見当たらず。このまま針路確保を維持します』
落ち着いた声で連絡するのは、アクセルであった。「大したもんだ」とポツリ零すべルハルト。
実のところ、本作戦におけるアクセルの役回りは、非常に大きなものがある。現時点においては、まず空戦部隊の指揮を執り――
場合によっては彼自身が敵船に殴り込みをかける。
リズは懐から地図や作戦のまとめ書きを取り出し、同じ時を生きる同志たちに思いを馳せた。
第1波は空から。ルブルスク国境付近を他より厚くした上で、ヴィシオスの全方位より飛行船団を侵攻させる。これに、敵も反応することだろうが……
実のところ、反応させるのが目的でもある。
戦力の全容を把握されないようにと細心の注意を払った上で、世界中から飛行船を集結させていく準備そのものについては、自然とヴィシオス側も察する程度の秘匿性で準備を進めてきた。
この件に関しては、ヴィシオスの将官が対空防備を整えるよう、同国指導層に進言したとのこと。
そして、国土防衛と人間高官らの失地回復という名目で、空戦については人間側が指揮するという話も。
ただし、”内応”を気取らせないため、空戦において得られる協力は情報までだ。
ヴィクトリクスの存在を踏まえれば、抱き込んで懐柔する協力者を増やすことが、自分たちの首を絞めかねない。
よって、実際に動いて対峙する将官までは、手を伸ばすのが困難であった。
空に注意を引き寄せて航空戦力を釣り、防空網を突破してから、作戦は第2段階に。人類側に立つ魔族らの協力の元、各国の精兵をヴィシオス各地の要地――魔導石鉱山等へ投入していく。
敵からすれは、空を攻めたのは陽動、本命はこれかと思わせるために。
実のところ、ロドキエルを倒せなかった時のことも考慮した戦略目標であり、単なる陽動に留まるものではない。現場の兵もそのつもりである。
だからこそ、敵もこちらの本気度に釣られてくれるのでは……そんな見込みも。
転移による少数精鋭の奇襲を仕掛けた後、攻勢はいよいよ大詰めに。
すなわち、ヴィシオス王都への奇襲である。
事がどこまでうまく運ぶかは、誰にもわからない。
しかし、後戻りできない戦いが、すでに動き出している。
遥かな高みに座す二人にできることは、皆がうまくやり遂げること、それぞれが無事に帰還することを祈ることだけだった。
ちょうど、この二人にも、皆々の願いと祈りが向けられているように。




