第382話 切り拓く一矢に
別れに向けた心の準備に加え、最後の戦いに向けての準備も進めると、時間はあっという間に過ぎていく。
ラヴェリアから出発して、その日の内に、一行の飛行船は予定通りにルブルスクへ到着した。
相変わらず暗雲に覆われたこの国の大地は、今ではすっかり雪に覆われている。白雪に染まる殺風景な飛行場に並ぶ、数多くの飛行船。
そこへ少し遅れてやってきた主役が、様々な思い宿す視線が注がれる中、ゆったりと地へ降り立っていく。
情報漏洩を懸念し、飛行中の連絡は最小限に抑えていた。不測の事態が起きてはいないかと、作戦に関わる者同士でいくらか懸念はあったのだが……
この飛行場の外でも、実際には何事もなく、総員がそれぞれの配置につくことができたという話だった。
一気呵成に攻めたてる今回の奇襲作戦において、本命の戦力となるべルハルトとリズの二人は、最終局面で投下する戦力だ。出発までは若干の待機時間があり、それまでルブルスクで時を過ごすことになる。
ラヴェリアを発って連れ添ってきた仲間たちとは、ここでお別れだ。
飛行船が完全に着陸し、リズたちは航空技官らの案内を受けて飛行船を出た。
辺り一面白色に染まり、空には小雪舞う物寂しい空気が、別れの雰囲気を助長させる。
その一方で、酷寒でも冷ますことのできない、確かな熱情が場を満たしてもいる。
リズの働きかけに兄弟が応え、世界中の権力者たちに伝播し、兵を始めとする関係者が動き出した。使命感と戦意の潮流が、ここに結実しているのだ。
人類の未来を賭けた一大作戦、その主役の降臨とあって、今にもはちきれんばかりの高揚の渦をリズは感じ取った。
その渦中に、見知った顔が幾人か。
まずは、この国の元首、国王エルネスト。傍らには、かねてより脱ヴィシオス派の旗手であった、第二王子ヴァレリー。
そして、ヴァレリーとラヴェリアの架け橋であった、ラヴェリア貴族令嬢エリシア。
安全な自国へ逃げ出すのを良しとせず、この国の民心の鎮撫のため、そしてラヴェリアの士気を焚きつけるべく、人類最前線の国に留まることを選んだエリシアだが……
毅然とした決意の程を身に着けたように思えた彼女も、この場にあっては若干の場違い感を覚えているらしい。久々の再会になるが、若干落ち着いていない感じを、リズは見て取った。
「お久しぶりね。変わらない様子で何よりだわ」
気兼ねない態度で声をかけてくるリズに、微笑みかけるエリシアだが……ちょっとした間に、彼女の表情には微妙な変化があった。朗らかな感じが、思い詰めた陰に取って代わられ――
すぐに、彼女は決然とした表情を作ってみせた。
彼女も彼女で、今のリズがどのようになっているかは知らされている。
その上で、これから死地に向かう戦士たちが集う中、公人足るべく自身を律したのだろう。
短い間の友人ではあったが、あのエリシアがこうも立派になったことに、リズは確かな敬意とともに、ほのかな切なさも覚えた。
加えて、彼女とアスタレーナの間にある絆も。
人々の範であろうと振る舞うエリシアもまた、範とする人物像がその中にあるのだ。
彼女の意を汲むべく、リズは多くを語るを良しとしなかった。代わりに、ありったけの信頼と感謝を込めた視線を贈り、しばしの間、無言で見つめ合った。
それから、彼女はルブルスク王家の二人に歩を寄せていく。
大半のルブルスク国民にとっても、本作戦は極秘である。よって、王族総出で見送りや訓示を行うわけにはいかない。
ここにこの二人がいるのは、せめてもの最低限、といったところである。
リズが動き出すと、ベルハルトも彼女に合わせて動き出した。並んで歩く二人を、意気に溢れる兵たちが固唾を呑んで見守る。
この作戦に関わる兵たち、それもここから出撃する半ば決死隊の勇士たちは、作戦のほぼ全容を伝えられている。
ベルハルトがいかなる存在であるかということも。
だが、生還すれば世界最強の大列強を継ぐことになる、この次男坊は、あまり威厳らしい威厳を見せず、なんとも穏やかなものであった。
国王エルネストと王子ヴァレリーの前で、ラヴェリア王家の二人が止まり、場の緊張は最高潮に。張り詰めた空気の中、リズとベルハルトは顔を合わせ……
二人で微笑を向け合い、同じ動きを示した。他国の王の前で膝をつこうとしたのだ。
これには、国王自身が大いに驚き戸惑った。
「あなた方に、そこまでの礼を示されるわけには」
しかし……二人は途中でやめず、完全に片膝つく格好に。国王が見下ろす前で、再び顔を合わせ……
「どっちが言う?」
「もちろん、総大将でしょ?」
「いやいや、実質的な発起人だろ?」
この場での役割をなすり付けあった。
結局、ベルハルトが折れる形に。彼は居住まいを改め、異国の王に顔を上げて言った。
「人類が本作線にこぎつけることができたのは、貴国の弛まざる忍耐あってこそ。今日この日に至るまで、血を流してきた同朋と、今まさに死地へ向かわんとする同志への感謝。エルネスト陛下を通じて、この通り、貴国臣民の皆々に申し上げます」
他国に向けた気持ちのすり合わせなどは、特にやっていなかったのだが、その必要もなかった。リズもまた、彼と同じ気持ちである。
寒々しい空気の中、しんみりと言葉が染み入る静寂。だが、高まり続けた熱意には、さらに燃え上がらんとする炎のような揺らぎがあった。
感謝そのものには打算なく、しかし口にすることには心算あり。総大将が煽り立てた戦意の渦の中――
ルブルスクの父子もまた、ラヴェリアの二人の前に膝をついた。
「この作戦が、世界人類のためを想ってのものと承知はしている。それでも……最も救われるのは我が国であろう。身を挺して挑む、あなた方の勇気と才知には……本当に、感謝の言葉もない」
そういって、かすかに声を震わせる異国の王に、ベルハルトは微笑を浮かべて応じた。
「陛下にそう言っていただけると……私も、良い王になれそうで安心です。兄に比べると、私はどうも……軽薄な部分もありまして」
「……こういう緊張が、長続きしませんし」
「そこは言わぬが花だろ?」
しんみりしすぎた空気を、どこか照れ隠し気味に茶化すような、ラヴェリア王家二人の応酬。
これに、ルブルスクの父子は、少し呆気に取られた後……含み笑いを漏らした。様子をうかがっていた周囲の兵たちも、許しを得たとばかりに、砕けた空気を共有していく。
やがて、場の中央にいる四人が立ち上がり、固い握手を交わした。兵たちの万雷の拍手、張り裂けんばかりの歓声が四人を包み込む。
ひとしきり、感情を吐き出させた後、ヴァレリーが「清聴!」とよく通る声を響かせた。毅然とした彼に、すべての兵が一糸乱れぬ動きで構える。
統制と教育が行き届いた、この精兵たちに、ヴァレリーが最終確認も兼ねてこの後の流れを告げていく。
もっとも、こうした事はいずれも頭に叩き込んでいるであろう。確認にはさほどの時間を要さず……
彼はふと、リズたち二人に振り向いた。
「ところで、旗艦――いや、主力船の名前は?」
作戦を総指揮するための、空の司令艦は別にある。リズたちが乗る特別な飛行船――それも、使い捨て――を主力船という婉曲な呼び方で言い換えたのは、そういうわけである。
敵の首魁へ叩きつけに行く、人類の未来を託した船の名。ここ一番、士気を燃え上がらせる勝負どころの到来に、ベルハルトが妹へ信頼の笑みを向けた。
これを受け、リズはにこやかな面持ちで言った。
「色々と考えましたが……結局、”エリザベータ”の名を与えることにしました。連中の居城へ、私がアポもノックもなしにおジャマするわけですね」
その後、彼女は「私物化するようで恐縮ですが」と、にこやかに付け足した。
この命名に異論を唱える者は、誰一人としていない。仰々しい響きこそないが、人類の未来を切り拓く嚆矢の名に、彼女の名は誰よりも相応しかった。
今を生きる皆々にとっては、きっと、あのラヴェリアよりも。
敵勢力から鹵獲した飛行船を勝手に改良し、あまつさえ自分の名前をつけて殴り込み、叩きつけて全ての清算を迫る――
悪辣とも言えるユーモアの利いた、この船名の発表に、士気の高まりは最高潮になり……
絶好の機と見たヴァレリーの声が高らかに響き渡る。
「総員、出撃! 我らの手で勝利を!」
これに応じる雄叫びが、大気を震わせた。
戦意を互いに確かめ合った後、兵が自身の務めを果たすべく、粛々と動いていく。
帰還が叶わないかもしれない、各々の戦場へ。
後から出撃するリズとベルハルトは、先にいく兵たちをじっと見守り……
「リズ」と、ヴァレリーが短く呼びかけてきた。
「何?」
もはや、互いの立場も生まれも関係のない、同志相手の無礼講。気兼ねない返事に、ヴァレリーは微笑みを返した。
「今更、湿っぽいことを言う気はない。君たちに申し訳ないからね。ただ……」
一度言葉を区切った彼は、神妙な顔になった後、再び穏やかに笑ってみせた。
「いくら君でも、こんな戦いの後に茶の一席という余裕は、やはり持ち得ないだろうか?」
別れを惜しむ親愛の情を、挑戦心焚きつけるような言葉に忍ばせている。
彼の意を汲み、リズもまた朗らかに返した。
「お互いの土産話で、自慢合戦でもしましょうか。きっと楽しいわ」
これにヴァレリーは含み笑いを漏らし……彼が差し出した手にリズが応じると、繋いだ手をそっと引き、彼女を軽く抱き寄せた。
「さよならは、次まで取っておこう」
「ええ」




