第379話 盗んだ船の片道航路
玉座の間を出た後、リズは適当な場所を見繕い、そこから目的地へと転移した。ラヴェリア王都最寄りの飛行場だ。
普段は民営のこの施設だが、今では完全に人払いがなされ、連合軍に協力する体制が敷かれている。
白雪にうっすら覆われた広い飛行場の中央に、今回の主役の一つである飛行船が鎮座していた。
かつて、飛行船墜落事件を解決していった折にリズたちが鹵獲した軍用飛行船を、ラヴェリアを中心とする連合国家の技術でさらに改修したものである。今回の奇襲のためにと、速力や耐久性を向上させた特別仕様だ。
作戦の性質を考えれば、世界最速の空飛ぶ棺桶というべきかもしれないが。
そのような飛行船に乗り合わせているのは、まずリズの仲間たちとして、マルク、ニコラ、アクセルにセリア。
加えて、ラヴェリア王族からは次王ベルハルトと、ネファーレアにファルマーズ。それと、飛行船を動かすための技師たちといったところである。
今作戦の主役が乗り込んだことで、飛行船が慌ただしくも離陸準備に入った。中核部の巨大魔導石に火が入り、飛行船全体へと魔力が駆け巡る。緊迫感のある静けさの中、かすかな低周波音が響き渡り……飛行船が地を離れていく。
この船が再び、この地に戻ることはないだろう。
リズが甲板の縁から地面を見下ろすと、飛行場の技師や武官らが大勢、見送りにと顔を上げているところであった。
やや遅れて他の皆も、少し身を乗り出すように下の様子をうかがうと、見送りの面々が張り裂けんばかりの大声で、口々に祈りと激励を叫んだ。
彼らの声が聞こえなくなるまで、リズたちは手を振り続けた。
やがて、周囲に静けさが戻り、一行は甲板の内側へと歩いて互いに向き直った。
この船は、まずはルブルスクへ向かうこととなる。そこで最後の調整を行った後、世界中で連動して奇襲を行うという流れだ。
同乗する面々は、今作戦においてそれぞれ別の役割を担っている。
次王ベルハルトは言うまでもなく、対ロドキエルの決戦における主戦力の一人として。
ネファーレアは、今のリズを支える術師としての使命感から、可能な限りの同行を申し出ている。
ファルマーズはというと、戦闘要員である兄姉二人が用いる魔道具の最終調整のため。
一方、かねてよりのリズの仲間たちは、ルブルスク入りしてから別行動することとなる。そのため、別に今の内からリズについて動く必要はないのだが……
作戦案提示から今に至るまで何かと多忙な日々であり、加えて各国の権力者やラヴェリアの親族らへの遠慮もあって、あまりリズとの時間を取ることができないでいた。
そのため、帰ってくる保証がないからこそ、最後の時間を少しでも長く――そういった配慮あっての同行である。
もっとも、先に作戦の全容を伝えられた上で、悩みぬいて結論を出していただけに、いずれにも迷いはもはやないのだが。
一行が外界から切り離された中、まずはベルハルトが口を開いた。
「リズ、ちょっといいか?」
「何か? あっ、具合はどう?」
問いを割り込ませた妹に対し、ベルハルトはなんとも微妙な笑みを浮かべた。
「普段よりも、力が増してしているような感じはあるんだが……どうだろうな。コンディションの振幅の範疇かもしれない。戦いに入ると、また違ってくるだろうけどな」
「そう……やってみないとわからないってことね」
「ああ。儀式の方はうまくいったから、そっちは安心していいぞ。後は私の……いや、我々の問題か」
少なくとも、今の彼は悩みを振り切っている様子。揺るぎない意志を感じ取り、リズは兄に微笑みを向けた。
「それで、私からも聞きたいことがあるんだが……この飛行船って、名前はないのか?」
「名前、ねえ」
「歴史に残る一隻になるかもしれないだろ?」
「う~ん……スクラップになって終わりでしょうし」
身も蓋もないことを言うリズを、ファルマーズが肘で小突いた。
「ま、名前があった方がいいと思ってな。作戦に関わる皆の士気のこともある。名前一つで高められるなら、だろ?」
「作戦が非公式なものとはいえ、各種書類に空欄が残り続けるのも、正直どうなのって思うしさ……」
「なるほどね……」
兄弟の言葉にリズは腕を組んだ後、マルクに顔を向けた。「どうなってたっけ?」と話の矛先を向けると、ベルハルトもまた彼に視線を向ける。
すっかりロックオンされたことを悟り、マルクがなんとも微妙な顔で口を開いた。
「いくつか候補は出ていまして……いえ、笑われるかもしれませんが」
「そう言われると、むしろ興味深いな。どういった候補が?」
身を乗り出してくるベルハルト。一方、リズは顔を横に向けて我関せずの姿勢を作った。他の仲間たちも視線が泳いでいる。
結局、貧乏くじを引いたマルクが、ためらいがちになりながらも、ラヴェリア次王の要請に答えていく。
「え~……エンプレス・エリザベータ号、《女神の船》、《征服者》、《至高天》、《創世機》……」
「……それって、妹のセンスか?」
仰々しい名前の連続に、思わず弟妹が苦笑いする中、ベルハルトは実に楽しそうに尋ねた。
「いえ、あくまで我々仲間内での案です。しかし……妹君の影響がないと言えば、嘘になるものと」
「ちょっと」
「いや、実際そうだろ? 大仰な名前の方が面白いって……」
包み隠さず打ち明ける親友に、リズは笑顔をひきつらせた。
仲間で大勢集まり、内々のテンションで盛り上がっていた件だけに、兄弟に聞かれて恥ずかしいものはある。
事実、ベルハルトは何とも温かな目を向けてきた。
「いや、面白いと思うぞ。そういうノリも、アリなんじゃないか」
「軍用艦としては微妙じゃない?」
至極まっとうな意見を返す末弟だが、兄は少し真面目になって答えた。
「ただの軍用艦じゃない。人々に語り継がれる……かもしれない船、だろ?」
「特別な船ってのはわかるけど……元は盗品だし」
「まぁ、そうよね……」
盗んだ飛行船に仰々しい名前を与え、これを敵の頭目に叩きつけにいく――こうした行いに、リズや仲間たちの多くは抵抗を覚えない。というよりも、むしろ胸踊らせさえする。
そんなイイ性格の彼女たちとは違い、ファルマーズやネファーレアはモラリストのようである。
このような状況では、あまりはしゃぐ気にならないという、気持ちの問題もあるだろうが。
とはいえ、名を与えることについては、確かに意味がある。名前一つで士気が高まるのなら、名付けの手間など安いもの。
「ルブルスクに着くまでに、それらしい名前を決めておいた方がいいな、やはり。センスは……リズたちに任せるか」
「いいの? 実質的な総大将はあなたでしょ?」
「勝ちにいくまでの図面を引いたのはお前だし、お前の船でもあるからな。名付けの権利はあるさ」
結果、「権利」という言葉でちょっとした仕事を押し付けられることとなったリズは、困ったような微笑で「仕方ないわね」と応じた。




