第378話 いってきます
リズが目を覚ますと、ネファーレアとファルマーズの二人が心配そうに見つめているところであった。
おそらく、継承の儀の最中か直後に運び込まれたのだろう。今はゆったりとしたベッドに寝かされている。
そして……この眠りに就くまでの経緯を、リズはしっかり覚えていた。
本物の死を経て、今は不死者として、仮初めの生を受けているのだ。
「死霊術は、うまくいってるみたい。さすがね」
一度殺されたのは確かながら、それでも自分の肉体に意識が留まり、自分の口から言葉を発することができる。
作戦の今後を占う、一つのハードルを越えることができたのは幸いであった。
もっとも、弟妹二人にとっては、手放しに喜べる話でもあるまいが。
沈んだ顔の二人が見守る中、リズはゆっくりと上肢を起こした。
ファルマーズが手を貸そうとするも、彼女は柔らかな笑みでそれを断った。
「大丈夫、ちゃんと動けるわ」
実際、自分が不死者になったとは思えないほどに、体はいつも通りに感じられる。
体を起こしたリズは、室内をサッと見回した。後宮内の一室であろうこの部屋には、自分たち三人だけがいるようだ。おそらく、他の兄弟はすでに動き出しているのだろう。
こうしている間にもタイムリミットが近づいているのだから。
「ネファーレア」と、リズは真剣な表情で呼びかけた。
いつまでも塞いでいられる状況ではないと、わかってくれたようだ。呼びかけに対し、ネファーレアは悲壮な決意ある顔を向けた。
「どれぐらい持ちそう?」
「……初めてのケースですから、確証はありません。ですが……あくまで、私の直感としては、三日が限度かと」
「それだけあれば十分だわ」
これから出撃して、諸々の移動込みで考えても、ほぼ一日で事が決する見込みだ。
もともと、あまり時間をかけるつもりのない奇襲作戦ということもある。
余りの時間の見込みがあるというのは、願ってもないことだ。
ベッドから立ち上がったリズは、弟妹に顔を向けて「じゃあ」と口にするも、そこではたと思い直した。
「お姉さま?」
「あなたたちは先に行っていて。陛下に一言、挨拶したいから。玉座にいらっしゃる?」
あくまで、今作戦は極秘のものであり、世間一般には知られていない。城内においても、知らない者の方が多いほどだ。
各種準備に携わった一般人にしても、事の真相までは伏せられている。事が終わった後になっても、どこまで明かすべきかを各国で協議する必要がある――そんな作戦だ。
となると、王は変わらず王としての振る舞いを続けなければならない。
儀式的には次なる王が立っているとしても、公的・政治的には代替わりしていないのだ。
実際、リズの予想通り、父王は玉座に戻って残り少ない公務を全うしているところだという。
そこで彼女は、今の自分を試してみることにした。目を閉じ、精神を集中させ、足元に一つの魔法陣を展開していく。何度か立ち入ったことのある、あの玉座へ繋ぐためのものだ。
普段とは違う体ながら、魔法はいつも通りに使える――
いや、そればかりか、魔力が内から溢れんばかりであった。
これが、ネファーレアのレガリア、《冥府の橋》の力であろう。
余り喜ばしい話でもないのだが……兄弟や親しい人々を泣かせただけの事はある。
ネファーレアとの間にある、見えない架け橋を強く感じながら、リズは普段よりも速く空間を接続し、玉座の間へと跳躍を果たした。
突然の転移で、王の御前へと現れる。そんな狼藉を働いたリズだが、これを咎める声はない。
玉座の間にいるのは、リズ以外にただ二人。父王と、年配の側近である。
ノックもしない来訪に、父王は若干の驚きを示した後、困ったように苦笑いをした。傍らの側近はというと、ただただ驚きの余り唖然とするばかりだ。
この側近に対してリズはだいぶ申し訳なく思ったものの、あまり皆を待たせるわけにもいかず、さっそく要求を述べた。
「突然で不躾極まるとは存じますが、陛下と二人だけにしていただけませんか?」
無論、この側近は、継承競争の事から今回の作戦まで十分に理解している。
突然の来訪目的は最後のご挨拶だと認識してくれたようで、彼は深々と頭を下げた後、「ご武運を」と、しわがれた声をかすかに震わせた。
彼が去って二人きりになり、リズは本題に入った。
「陛下。《死端の眼》で、今も何かが見えていらっしゃるんでしょ?」
これに、若干目を見開く父王だが、すぐに淡々とした落ち着きを取り戻した。
「そうか……私がお前に教えることもあったのだな」
「ご理解が早くて何より」
《時の夢》による試行錯誤の中、別の自分が明かしたということを、この父王はすぐに察したということだ。
そして、おそらくは……今になって、この話題を持ち出した真意までも。
尊顔に、隠し切れない悲哀と苦渋が浮かぶのを感じながらも、リズはあえて踏み込んでいった。
「私の選択で、何か変わって見えた?」
他者の影の中に、その者がたどり着き得る最期の光景を見出すという、父王のレガリア《死端の眼》。
リズの提言によって世界各国が動き出し、未来の姿は大きく変わっていてもおかしくはない。
しかし、父王は即座の返答を拒んだ。
「どうしても、聞きたいというのか?」
彼が答えを渋る理由など、リズにはいくらでも思いついた。
この父王は、自身が見た未来の影を伝えたことで、親しい兄を失うという悲劇に見舞われている。
未来を告げることで、見えていたはずの未来が大きく歪んでしまう。レガリアの性質か、はたまた呪いか。大いなる力は他者に明かせない秘密となって、彼を束縛している。
それに……自身に向けられた悲しげな眼差しに、リズは別の理由も感じ取った。
これでうまくいく、未来が好転する様子が見えたと口にしたのなら……
リズに対し、「お前の死には価値があった」「お前を生ませた私に誤りはなかった」と言うようなものである。
実際、それはそうなのだろうが……正論であっても、口にするには憚られるものがあるのだろう。
太平の世の名君ながら、近年は冷淡に振る舞い続けてきたこの父王も、心を閉ざした仮面の奥には、繊細な人間味がある。
それを認めた上で、リズは言った。
「私もあなたも、数えきれないくらい大勢を巻き込んで、今があるんでしょ。共犯みたいなものじゃない」
「……共犯、か」
現状、巻き込まれた側というべきであろう父王は、なんとも困ったような微笑を浮かべ……ついに観念した。
「お前の宣言以降、人の影に見える未来に、明るい兆しが増すのを感じた」
「何割ぐらい?」
「五分五分――いや、若干だが、まだ悪い部分が勝る程度か」
つまるところ、未来に明らかな好転の兆しを見出しておきながら、それでもこの王は誰にもそれを漏らさなかったという。
それどころか、他者に気取られることなく、今の今まで平静を貫き通したということでもある。
ここまで来ると、筋金入りであった。思わず呆れてしまうような、あるいは感服してしまうような、言いしれない思いがリズの胸中にふと湧き上がる。
とりあえず、自分が正しい道に乗っていることはわかった。気休めでついた嘘ということもないだろう。
「無理に言わせてごめんなさいね」
世界最強の大列強の君主に向けたものとは思えない、なんとも軽い謝辞を口にしたリズ。
用件を済ませ、玉座の間を去ろうとする彼女を、「待て」と父王が呼び止めた。二人の間に静かな時間が流れていき――
「済まなかった」と、王は胸の内から絞り出すように、深い謝意を示した。
(前にも、こんなことがあったかも……)
既視感を覚えつつ、リズは……打ちひしがれた様子の父王に対し、人の悪い笑みを向けた。
「繰り返しになるけど、あなたの事は今でもキライだわ」
「……ああ、当然だろうな」
「でも……もののついでに、あなたの事も救ってあげる。今度こそ、あなたに明るい未来を見せてあげる」
なんとも恩着せがましい言葉に、父王は深くうなだれた。
顔も合わせられなくなり、かすかに体を震わせる彼を前に、リズの憎まれ口が滑らかに動く。
「今まで何人も泣かせてきて、そのたびに心苦しい思いをしてきたけど……あなただけは話が別だわ。人を泣かせることが、こうも喜ばしく感じられるだなんて」
「……そうか」
「……あなたにも泣いてもらえることが、今はただ嬉しいの」
これに顔を上げた父に、リズは無言で優しいまなざしを向けた。
父は、声をあげて泣いていたわけではない。だが、涙は流れていた。他の皆と比べて控えめな感情の発露だが、それで十分だった。
「お前だけを想ってのことではない。私はただ、自分の事が可愛いだけだ……」
「私だってそうだわ。自分の事がかわいくて……そのくせ、素直になれなくて、意地張って強情で……一人で勝手に、色々と抱え込む」
――ああ、このひとの血を引いているんだ――と、リズは改めて思った。
交わすべき言葉はすでに口にし、彼女は改めて父に背を向けた。
「いってきます」
あくまで、気負いのない別れの言葉を短く告げ、リズは歩を進めていく。その背に、ややあって父が声をかけた。
「必ず、勝って、帰ってこい」
途切れ途切れな、どうにか絞り出せた言葉に、リズの表情が柔らかくなる。
「またね」
それだけ言い残し、リズは玉座の間を去った。




