表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
382/429

第377話 私の首は王の玉璽

 庭の白雪を、陽の茜と長い陰が染める。冬の寒風が木々の枝を揺らし、寂しげな音が鳴る。

 寂寥(せきりょう)感が漂う中、リズは血縁者を順に見回した。


「陛下」


「……何だ」


「あなたのことは今でも嫌いだけど、許してやるわ」


「……そうか」


「ただ……コトが終わった後、私たち(・・・)の名誉回復なんて考えないでね」


 顔も知らない母のことも含めての釘刺しに、父王は神妙な顔で首肯した。

 続いて、話は長兄ルキウスへ。


「正直、次の王様としてはルキウス兄上……いえ、兄さんがベストなんじゃないかと思うけど」


「お言葉だな」


 横から割り込んだのは、これから王にさせられる(・・・・・)次兄ベルハルトだが、少し言ってみたというだけであろう。顔にはどこか自嘲の陰があった。

 もっとも、ルキウスもルキウスで、表情には隠せない陰があるのだが。


「肝心なのは、英雄としての才だろう。それが、私にはない」


 大魔王と直接対峙することになる弟妹二人に、彼は申し訳無さを(にじ)ませた。

 もっとも、彼は彼で欠くべからざる存在である。リズはうなだれた彼の後ろに手を回し、思いっきり尻を叩いた。


「陽動は兄さんの仕事でしょ? 各国の猛者を率いて敵幹部を釣り出し、可能な限り生還させる。兄さんだからこそ、そんなことを任せるんだから」


「ああ、その程度は(・・・・・)やってやらないとな」


 無茶振りには違いなかろうが、ラヴェリアが誇る将帥は、落ち着いた威厳でこれに応えた。

 長兄の戦意を新たにし、リズは今作戦最大の被害者の一人と言える、次兄ベルハルトに話を向けた。


「兄さん、ごめんね」


「……何が?」


「色々と」


 あまり遠慮が要らない兄に向けた、なんとも雑な謝罪。

 これに気を悪くした様子はないベルハルトは、リズの頬に指を伸ばし、痛くならない程度につねった。


「私の分まで、みんなに謝っておけよ」


「……うん」


 実際、ここまでは別に問題はない。

 強く打ちひしがれているのは、ここからである。かなりのためらいを覚えながら、リズは姉に声をかけた。


「姉さん……」


 ラヴェリア王家の中でも屈指の、しっかりとしたワーカホリックな姉は、流れ出す涙を今も止められないでいる。彼女はただ無言でリズに歩を寄せ、強く抱きしめた。

 ややあって、彼女は「リズ」と、若干声を震わせて呼びかけた。


「何?」


「頑張って」


 短い激励に、万感のものがある。人一倍家族思いの姉が絞り出した言葉に、リズは「うん」とだけ答えた。


 続いて、謝罪はネファーレアへ。この庭に来る前にも、多くの言葉を交わしたようには思うのだが……

 やはりというべきか、兄弟に感化されたように気持ちがぶり返してきたらしい。瞳を潤ませる彼女の肩に、リズは優しく手をおいた。


「我ながら、ひどいことを押し付けちゃうけど……頼りにしてるんだから」


 曲がりなりにもラヴェリア王族の一員を不死者(アンデッド)にしようなどというのは、狂気の沙汰といっても過言ではない。

 その主犯を押し付けられることとなるネファーレアだが……彼女は他の兄弟たちに潤む瞳を向けた後、しっかりとうなずいた。


「力をっ、尽くします……!」


「……ありがとう」


 気持ちを新たに固めてくれた妹に、リズは心からの感謝を(いだ)いた。二人でしばらく抱き合い、リズは妹の顔を何度も優しく撫でていく。


 やがて二人は身を離し、リズはアクセルに向き直った。

 弟妹の中でも一番落ち着いた様子の彼だが、思う所あるのは明らか。神妙な顔の彼に、リズは小さく頭を下げた。


「ごめんね。今回も危ない役回りを任せちゃうけど……」


「……そういうのは、正直、いつものことでは……」


 誰に似たのか、遠慮がなくなってきたアクセルだが……気兼ねない指摘の後、彼は顔を曇らせた。


「いつもと違うこともありますよ」


「何?」


「……姉さんのことですよ」


 言われてようやく思いが至るリズは、少なからず恥じ入った。


「ごめんね」


「いいですよ。僕らも腹は(くく)ってますし……絶対に、勝って帰りましょう」


 控えめな弟の、揺るぎない決心に、リズは力強くうなずいた。


 次いで、リズの視線はレリエルへ。

 ある意味で彼女は、今回の企ての共犯者かもしれない。祭祀・法務に携わる彼女の知見を元に、相談を重ねた上で、リズはこの挙行に実現可能性を見出している。

 そして……レリエルには、自身の立場を活かしてこの蛮行を止めるタイミングが、何度かあったはずだ。

 そうした「罪の意識」が、実際、彼女にはあった。


「その気になれば、私は……もっともらしいことを言って、辞めさせることができました」


 この、「もっともらしいこと」という言質に、リズは後押しの示唆を感じた。

 思い留めさせる言葉が、結局のところは出任せでしかないのなら……彼女の見識は、この作戦に対して肯定的である。

 彼女の立場としても、これは認めざるをえないものだっただろう。

 だが、彼女の中に、この作戦を認められない部分もある。リズはよくわかっていた。

 高位の法務官にありながら、神聖なる継承競争を「悪法も法」と表現した妹の気持ちを。


 普段は、兄弟中でも一際(ひときわ)、感情が表に出てこない自制的な妹は、一度切れた言葉を継ぐことができないでいた。ただ、口を真一門に結んで、体を震わせている。

 そんな妹に、リズは抱擁の手を伸ばした。


「本当にごめんね。最初に『判断』なんて任せてしまって」


「わ、私は……ただの卑怯者ですっ! 自分の気持ちも、ついには明らかにせず、お姉様の決断に乗ることだけしか……!」


「口を挟むだけが責任じゃないでしょ。信じることも、認めることも……私のことを汲み取って、耐えてくれたんでしょ」


 妹を抱きしめた胸元から、堰を切った感情が(あふ)れ出す。声を上げて泣く妹を、リズはずっと受け止め続けた。


 やがて、抱え込んできたものを吐き出したらしい妹は、自らそっと身を離した。


「これから大事に取り掛かるというのに、本当にご迷惑を……」


 この、何とも折り目正しく生真面目な妹を、リズは愛おしく思って微笑んだ。


「いいのよ……さて、最後はファルね」


 残った末弟は――リズが視線を向けるや、きまり悪そうにそっぽを向いた。


「何だよ、まるで流れ作業みたいにさ……」


 まぁ、順番ではあったのだが――

 義務的に処理しているように思われたというよりは、”こんなこと”をしてくれた姉に対する、彼なりの反抗であろう。

 だが、リズには彼に対して謝るべき、特段の事情があった。


「ごめんね。今まで無理難題押し付けちゃって」


 今作戦を世界各国の権力者に投げかけた、あの11月20日から、今日までで二ヶ月あまり。ファルマーズは、過去のリズたちが代々引き継いできた情報を元に、新型の魔道具をこしらえる作業にかかりきりであった。

 大魔王ロドキエルを打ち倒すという大目標において、こちら側の戦力を充実させる彼の存在は、かなり大きなものである。

 そして……その立場を、彼自身は決して誇らしく思っていないことなど、リズは先刻承知していた。その上で、責任ある仕事を押し付けていたのだ。


「ごめんね」


 改めて、心からの謝罪を口にするリズに、ファルマーズはうなだれたまま応じた。


「……そういうの、帰ってから改めて言ってよ」


「うん、約束する。きっと、勝って帰るわ……あなたの手を借りておいて、負けるような私じゃない……でしょ?」


「そうだぞ。私もいるからな」


 横から割って入る、一応は(・・・)今回の主役のベルハルト。彼は兄弟内でも特に仲のいい末弟の背を、遠慮なしに何度も叩いた。


「痛いって、このバカ」


「そりゃ、お前と比べればバカだろうけどさぁ……」


「そういうこと言ってんじゃないんだよ、バカッ!」


 これから王になる兄も、こうなっては形無しである。

 叩かれた分を叩き返した後……ファルマーズは恥じらう様子を見せ、うつむき加減になって言った。


「僕も……」


 消え入りそうな声は、そこで途切れて聞こえなくなったが、何を求めているのかは言われるまでもなかった。


「うん」


 リズは最後に、末弟を優しく抱き寄せた。


 これで一通り、最期の挨拶が終わった。

 ネファーレアのことは――死霊術師(ネクロマンサー)としての手腕については、疑う余地のない信頼がある。大魔王と戦えるだけの駒にしてくれる、そういった確信がある。

 だが、ここに帰って来られる保証はない。ファルマーズに約束したばかりのリズではあったが、内心はリアリストであった。約束は士気を高めるため。成らないかもしれない帰還の可能性を、少しでも高めるため――

 それに……少なくとも、人としての生は、この場で終えることになる。


 それも、間もなく。


 リズは無言で死場に歩を進め、静かに腰を落とした。

 継承の儀の諸々は、彼女の死後に執り行われる。

 その儀式の前段――競争の標的を、正統な継承権者が討ち倒す。

 いよいよその時が近づき、兄弟は声を出すのを(こら)えて、じっと見守る構えを取った。


 後ろにベルハルトが回り込み、魔力の流れを感じ取ったリズは、最悪の仕事を押し付けてしまった兄に声をかけた。


「ミスらないでね」


「……まったく!」


 これから用いるのは、《貫徹の矢(ペネトレイター)》。死後も戦うリズの体に損傷を与えず、ただ命だけを奪うための攻撃選択である。

 狙いを誤れば、妹を無為に苦しませるだけとなる。無論、国内外に武名を轟かせるベルハルトの才腕を持ってすれば、動かない的など……


――いや、無抵抗だからこそ、彼には――


「指が震える……こんな形で人を殺めるなんて、初めてだからかな……」


 場が静まり返り、冬の風が物寂しい庭を撫でていく。

「寒いからじゃない?」と、少し冗談っぽく返すリズだが、ベルハルトは鼻で笑った。


「温まるような何かがあればいいんだがなぁ」


「……仕方ないひとね、指貸して」


 兄の人間らしさを、心の内では好ましく、さらには申し訳なくも思いつつ、リズは言った。すぐに、肩の上からニュッと伸びてきた指に、彼女は手を伸ばして包み込む。


「温まった?」


「……まぁ、少しはな」


「……私だって、死ぬのは怖いわ」


 赤裸々な気持ちを打ち明けるリズに対し、返ってくる言葉はない。

 しかし、彼女にはもっと大切な想いがあった。


「でも、このまま(・・・・)が続いて、親しい人がなくなるかもしれない。そう思う方が、ずっと怖い」


「……私たちは、今まさに、その一人を失おうとしているんだぞ」


 つい、口をついて出た本音であろう。彼はすぐに、発言を改めた。


「いや、すまない。今になって、こんな弱音を……」


「いえ、いいの」


 それから、リズは空を見上げた。

 暮れた空は、茜から紫へ。紫は黒へ。移り変わるグラデーションの中、綺羅星が瞬いている。

 名を与えられた星も、そうでない星も。


「死ぬのは、私一人で十分だわ」


 今では親愛の念を抱く兄弟の背を、無情にも蹴飛ばすような言葉。

 この王室の根本を表す、端的で冷たい言葉に、ベルハルトは強く瞑目した。


「わかった。私は自分の責を果たそう」


 これで、兄が――いや、次なる王が意を決した。その確信が、リズにはあった。

 同時に、心無い言葉を投げかけた罪悪感も。

 そして、変わらない死の恐怖も。


 これまでに幾度となく、彼女は死の経験を乗り越えてきた。

 しかし、いずれも仮初(かりそ)めの死ではあった。自分の全存在が消えてなくなるというものではない。時として精神の拷問のように感じることはあっても、彼女は全てを乗り越えてきた。

 尋常ではない闘争心と使命感、ふてぶてしいまでの自負心によって。


 だが、今日は本当に死ぬ日だ。

 もしかしたら、死者を蘇らせる禁呪が存在するかも――そういった希望自体、リズも胸に抱いているものの、決して期待できるものではない。

 現実的に考えれば、ここで死に、ネファーレアの手で不死者になっている延長線の先が本物の最後であろう。


 胸の内で高鳴るものはあった。

 だが……逃げ出そうという気持ちが湧くことは、ついに無かった。今、目を閉じて思い出すのは、あり得た未来の中で心に刻まれた光景――


 守るべき者、親しい人たちの死。


(死ぬのは、私だけで十分だわ)


 自分の根底にあるものを再認識し、これから死ぬばかりのリズは心を燃やした。

 やがて、後方で静かな魔力の高まりを感じ取り……どこか安堵を覚え、心が落ち着いていく。


 死ぬのは自分ひとりでも、戦うのは一人だけではない。


 最後の最後、闘志を保ちつつも、安らかな思いを胸に――

 彼女の意識は、そこで途絶えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ