第376話 等身大の勇者
ネファーレアが落ち着いてから、二人はいよいよ部屋を出た。
城内はひっそりと静まり返っており、使用人等とすれ違うことはない。二人はただ無言で歩を進めていった。向かう先は、後宮の中庭である。
後宮は継承競争とは縁浅からぬ場所であり、王家の儀式においても枢要な地位を閉占めている。衆人の目に触れることなく、それでいて十分な広さがあるため、今回の儀式の場として選ばれた。
というのも、ラヴェリア聖王国次王継承の儀を見届けるにあたり、世界各国から要人が集まっているからだ。
ところどころを白雪が覆う庭園。ここに集まったのは要人ばかりというわけでもなく、リズに振り回されてきた仲間たちも、主だった面々が待っていた。
中には、フィルブレイスやルーリリラを始め、最近になって手を結ぶようになった魔族らの姿も。
本来であれば、後宮の庭に足を踏み入れることなどできない面々だが、誰も咎めはしない。
一行は紛うことなき賓客であった。
神聖な儀式の場に、姉妹二人が立ち入った。意を汲み取ってくれた仲間たちに目配せしてから、リズは場の中央へとゆっくり歩いていく。
庭の中心には、即座に継承の議を行うべく魔法陣が刻まれている。リズが死んでから時間をかけられるわけではなく、不死者となってもタイムリミットはあるためだ。
自身の死に場を前に、穏やかな顔で視線を落としたリズは……決然として顔を上げ、場に集う大勢に良く通る声で言った。
「まずは、お集まりの皆様方へ。暴挙と言うべき提案にもかかわらず、ご理解を賜り、これまで策にお付き合いいただきましたこと、深甚に存じます」
これに、世界各国の権力者たちは押し黙ったままだが……そこで一人、ゆったりとした所作で手を挙げた。マルシエル議長、マリア・アルヴァレス。
――リズが《時の夢》を用いることについて、事前に知らされていた、数少ない人物の一人である。
わずかにざわつく中、多くの視線を集め、彼女は穏やかな口調で答えた。
「殿下のご覚悟のほど、大変に見事なものと存じます。これに異論を差し挟もうなどとは、露ひとつ思いませんわ。ですが……」
彼女は、これから死ぬ、相応に付き合いに長かった娘を前にして、微笑を浮かべた。穏やかでありながら、どこか切なさも感じられる。
そんな顔から発する声は、彼女の執務室でリズが耳にしてきたような、あまり気兼ねのない響きがあった。
「私共は殿下と持ちつ持たれつの関係にあり、そのことについては満足のいく関係でしたし、光栄にも思います。ですが……何かと気を揉まされることもあったのも事実です。これきりということですから、私は殿下に対し、心情面での対価を要求したいと存じますが、いかがでしょうか?」
「……何なりと」
まさか、こういったところで、積もり積もったツケの支払いを請求されるとは。
不思議な圧を感じて身構えるリズに、この鷹揚な大人物はにこやかに言った。
「では……権力者相手の、他所行きなご挨拶や所信表明ではなく……一個人としての素直なお気持ちや叫びを、お聞かせ願いましょうか」
この請願を耳にしたリズに、「こういう場で……」といった思いはあったが、同時に「こういう場だからこそ」とも思った。
父も、兄弟も、仲間たちも、他国の理解者も、そう関わりのない権力者も――
いずれも、立場だけの存在ではない。
一人一つ、心ある者たちに向けて、リズは……少しためらいながらも、口を開いた。
「実際、私は今まであまり正直になれなかったと思います……きっと、私の根っこが意地っ張りにできていて……同情なんてされたくなかったからですね。なにしろ、こんな生まれですし」
言うまでもなく、継承競争という制度下にある王室を指しての言だが、リズは親族らに優しい笑みを向けた。
「今になって、そのことを責めようとは思いません。私に色々とあったのは、それぞれに事情あっての事ですし……私は、人に優しくて寛容な自分が大好きですから、許します」
恩着せがましく、冗談めかして笑い、リズは続けていく。
「それに……国としても、長年の慣習を止めるわけにはいかなかったことでしょう。そんな中、ただ一人の標的が私だったからこそ、誰一人欠けることなく、私たちの王室の今がある」
そこで彼女は……若干のやっかみも込めて、「正しい判断だったと思いますよ?」と、この場に参加する一団に笑顔を向けた。
相手は王直属の諮問機関、枢密院の重鎮たちである。
彼らの事も許すとは言え、気に入らない部分が払拭されたわけではない。依然として、父王のこともキライなままである。
他国の権力者が集う中、積年の鬱憤を少なからず解消し、リズは小さくため息をついた。
「……とはいえ、今では許せるとしても、昔はそうではありませんでした。『死んでたまるか』という思いは、常にありました。その一方で、『私が死んだ方が、世の中うまく回るんじゃないか』……そんな、諦めと物分かりのいい自分も」
一度視線を落とした彼女は、目を閉じて今までを思い返した。ややあって顔を上げ、言葉を続けていく。
「だから、私には私なりの、気持ちの折り合いが必要でした。生き延びるためだとしても、あまり誰かを犠牲にはしない。私が殺されるのは、私が悪いからじゃない。そのために、人に求められるような人物でありたい。ラヴェリアという国を追われた私だからこそ――私は、苦難に立ち向かってきた、あの大英雄の末裔らしくありたい」
「……今でも、それは変わらないのですね」
かすかに声を震わせる議長に、リズはうなずいた。
「国を出てからは、ずっと不安でした。まあ、私ってこんな性格ですから……余計なことを言わなければ、友達ぐらいはできるとは思ってました。でも、私の背景を知った上で、手を差し伸べてくれる人なんて……そういう諦めは、最初からあったんです」
だが、現実はだいぶ違っていた。双方に利があるビジネスライクな関係だとしても、心情的に想われていなかったわけではないのだ。
国を出てから手を結んだ人々に、それぞれとの縁を確かめるように、リズは視線を巡らせていった。
「今まで支えてくれた皆さんのことは、本当に……愛しています。こんなことで先立つのは心苦しいですが……手をこまねいては、皆さんに先立たれるかも知れません。だって私……自分一人で生き延びるのは、大の得意なもので」
実際、ラヴェリア王族からの攻撃を、彼女は何度も切り抜けてここにいる。
そして、この先の未来を皆々に伝えるべく、人知れず数知れず死に続け――それでもなお、ここにいる。
そんな彼女を思ってか、権力者たちも幾人かが瞳を潤ませた。
弟妹が耐えきれなくなってすすり泣く中、アスタレーナは口元を押さえ、内なる声を噛み殺して涙を流し続けている。
身を切られるような想いは、リズにもあった。
だが……腹はすでに括っている。
幾度とない生と死の円環の中、何度も何度も。
「かいつまんで言えば、私はものすごく負けず嫌いで……愛する人々のために戦って、きっと勝ちます」
長い思いの丈を、簡素な言葉で結んだリズ。
彼女にここまで語らせたマルシエルの大恩人は、無言で人の輪から一歩歩み出た。リズもこれに応じ、二人は抱き合った。
「英雄というものに、年甲斐もなく憧れの念を抱いていましたが……」
「知ってます」
「そんなに良いものでもありませんわね」
「まったくです」
やがて、ユーモアを忘れないこの大人物は、リズから身を離して振り向いた。その視線の先に、マルクら親友たちの姿が。
このアイコンタクトに察するものがあったリズだが、そのものズバリを議長が先んじて白状した。
「ご友人から、こういったご提案が」
「そうでしたか」
仲間たち――最初の相談相手――にも、もちろん、心の内は吐露していたのだが……
聞き足りないものがあったのではなく、聴かせたかったのだろう。
あるいは、もっと多くの前で言わせたかったか。
「必要なことでしたでしょう?」
議長の言葉に、リズは素直にうなずいた。
本当の所信表明は終わった。後は儀式を――
その、いよいよという段になって、リズは自分にもう少し正直になることを選んだ。
「あの……お集まりいただいておいて、本当に勝手とは思うのですが、最期は身内だけで過ごさせていただけませんか?」
これに異を唱える声はなかった。
もっとも、身内という言葉の解釈は分かれることだろうが……先手を打つように、マルクが平素と変わらない口調で「またな」と言った。
しかし、一団に混ざって立ち去ろうとするアクセルを、ニコラとセリアが苦笑いで掴んで引き止める。
「アクセルくんはあっちでしょ~?」
「えっ、いや、しかし……」
「遠慮なさる必要はありませんよ、ほら」
セリアが言う通り、リズは近寄って、アクセルの腕を軽く掴んだ。「まったく、手間がかかる弟なんだから」と呆れたように言うも……
「……姉さんほどじゃないのでは?」
見事なカウンターが入る。ただし、その声には沈んだものがあり、かすかな震えも。
やがて、場に残るのはラヴェリアの血を引く者だけとなった。
リズと、嫡子庶子問わず、兄弟が7人。
そして現君主の父王。




