第37話 また会いましょう
ロディアンの町で作られる農作物は多岐にわたる。
その中には、年がら年中収穫を見込める、育てやすい葉野菜もある。温暖な時期に種を撒けば、だいたい1ヶ月程度で収穫できるというものだ。
そして今日は、リズが撒いた種を収穫する日だ。
黒くしっとりした土が連なる畝の中、みずみずしい緑色の葉がこれでもかとばかりに生い茂っている。
付近の農民にとっては、どうということもない光景ではあるが、リズにとっては違った。自分で一から育て始めた野菜の収穫を前に、手が少し震える。
「リズさんってば、大げさじゃない?」と、一人の少女が話しかけた。隣町スファウトに行く時はだいたい同行する仲の友人、ユリアである。
彼女は流れるような手付きで収穫していく。葉の根本から優しく的確に握ってまとめ、スッと畝から引き抜いて土を払い、背負った編みカゴへと軽く放り入れる。
そのままスッスッスッと収穫を進める先輩に倣って、リズも葉野菜の収穫を始めた。
パルビーと呼ばれるこの野菜は、細長いうちわ状の葉が、1株あたり8枚程度まとまっている。
葉の一枚一枚、その葉同士のつながりにも生き生きとした弾性を感じつつ、丁寧に作業を進めていくリズ。
片や、ユリアはみるみるうちに畝を進んでいくが、リズの進みの遅さを嗜めることはない。
むしろ、こういう初々しさを好ましく感じたのか、彼女は表情を綻ばせた。
「わたしたちにしてみれば、ほんっっとうにしょっちゅう食べてる野菜なんで、いまさら何の感慨もないんですけどね~……なんか、小さい頃を思い出します」
「その時は、どうでした?」
「……おおげさですけど、世界が変わって見えたっていうか。みんな、こうやって食べて、生きてるんだなぁ~って」
ユリアは、照れくさそうにはにかんだ。当時の彼女の気持ちが、今のリズにはわかる気がした。
それからも、ユリアは静かに佇んで、リズの作業を温かな目で見守った。たどたどしくはないが、手慣れた者に比べれば、やはり少し遅い。ややまったり気味の作業を見つめ続け……
「そろそろ、出ていっちゃうんですよね」と、ユリアは言った。土と野菜に向き合い続けたリズは、その時になって顔を上げ、ユリアに向き直った。
少し大きめの帽子をかぶる彼女は、帽子の影の中で寂しそうに微笑んでいる。
「いつまでも、お邪魔するわけにもいきませんので」
「わたしたちは、別に気にしないんですけどね~」
「いえ、色々とやることが……すみません」
リズ自身、この町――いや、付近一帯の町含め、この地に絆される感じはあった。相手も、そう想っていてくれるのかもしれない。
そう感じたリズは、一度顔を伏せた。
受け入れられていることが嬉しくあり、しかし、身分を偽る現状を心苦しくも思う。
それに、3週間待てという長兄との約束は、自分自身に対する改めての宣誓でもあった。
これ以上、この地に何か仕掛けられることがないよう、ケジメを付けなければ。
リズは顔を上げ、笑顔を作った。
「また来ますよ」
「ほんとですか?」
「いつになるかわかりませんが……約束は守る方ですので」
「んじゃ……その時は、もう少しめんどくさい野菜を育てましょうよ!」
どこまで本気かわからない先輩の提案に、リズはとりあえず困ったような微笑で応じた。
☆
収穫の翌日、リズは単独で竜のもとへと馬を走らせた。ある程度は馬術のカンを取り戻したということで、フィーネの助けは借りていない。
それに、何か込み入った話になるかもという直感もあって、彼女は一人で向かうことを選んだ。
山の頂上まで着くと、竜は「最近はよく会うのう」と半目を開けて言った。
対してリズは、「度々お騒がせしております」と応じ、カゴから収穫物を取り出した。
「お納めください」
「もう少し時間がかかるものと思ったが、早くできる野菜もあるのだなァ……いや、含むところはないぞ?」
どこか関心を示すようにつぶやいた竜は、慌てたように言葉を付け足した。
その様がなんとも取り繕ったように感じられ、思わず含み笑いを漏らすリズ。
その後すぐに、無礼な態度かと感じた彼女は「失礼しました」と頭を下げた。
ただ、竜はまるで気にする素振りを見せず、口を開く。
「不調法で済まんがのう、野菜を放り込んでくれんか」
「かしこまりました」
大きく口を開ける竜の口内は、他の生き物同様に見えるが、見た目と違う点もある。
開けた口から、獣臭どころか匂いがまったく出てこないのだ。
これは、竜が魔力そのものを取り込んでいることに由来するとされている。
食物連鎖からはみ出した竜は、生物らしき匂いとは無縁というわけだ。
こういうところにも、俗世から隔絶された存在としての性質を感じ、リズは思わず全身に力が入るのを感じた。
しかし、やることは単なる給仕である。気を取り直した彼女は……放り込むのも無作法かと思い、竜に申し出た。
「舌をお出しいただけませんか? 野菜を投げ込むのは、いささか抵抗が……」
「ああ、済まなんだ。気が利かんで申し訳ない」
竜はピンク色の舌をニュッと伸ばした。図体に比べれば薄く、爬虫類的に感じられる舌だ。
その上に、リズは恭しく奉納物を献じていく。
やがて全ての野菜を並べ終えると、竜は舌を口中へと戻して食し始めた。その巨体を思えば、取るに足らないツマミにもならない分量であろうが。
短い食事が終わったところで、リズは少し緊張する自分を感じながら、竜に感想を求めた。
「いかがでしたでしょうか?」
「味はようわからんが、瑞々しさは上等だったのう」
これは、おそらくは褒め言葉であろう。そう考えたリズは、「ありがとうございます」と頭を下げた。
それから、彼女は約束を果たしたということで、最後に留別の言葉を切り出していく。
「この身に受けた御恩、決して忘れません。では……」
「忙しない娘っ子だのう……久々に面白い客人で、こちらも中々楽しめたわ。また来るのだぞ」
「次がいつになるかわかりませんが、是非」
「では、次があるよう、祈っておくとするか……」
前の会談において、リズとラヴェリア王家の因縁を知った竜は、目を閉じて静かに言った。
☆
竜との謁見の明後日、朝。
ロディアンの町入り口には、出発するリズを見送ろうと、多くの町人が詰めかけていた。
しばしば流れの旅人などが訪れるこの町だが、リズほどインパクトのある来訪者はない。
それに、彼女は町人に魔法の手ほどきをしたこともあって、これまでの旅人よりも多くの実りを町にもたらしていた。短い間の教え子たちが、名残惜しそうにリズを見つめている。
そんな視線を受けとめつつ、リズは町長に切り出した。
「基礎は十分ですので……一度、スファウトの組合に声をかけるのも良いでしょう。下地ができあがっていれば、先方の負担も軽いはず。出向いての教導も、話は通しやすいかと」
「なるほど。近い内に、向こうに持ちかけてみましょう」
この町の魔法教育の今後について話した後、リズは教え子たちに向き直り……まだ幼い部類の少年が口を開いた。
「リズ先生、何かない?」
「何かって、何よ」
「最後のありがたいお言葉的なやつー!」
湿っぽさもありがたさもないノリだが、リズにはこれぐらいがちょうどいいように感じられた。
相手の少年を始めとする若年層の教え子たちに微笑みかけ、言葉を選んだ彼女は、先生としての最後の言葉を口にしていく。
「人に向かって撃たないように」
「ええ~」
「地味な魔法ばっかり覚えて使えってこと~?」
「人に向かって撃つような魔法はね、それを使わされてる時点で負けてるの。平和が一番よ」
それでも、幼い子たちはあまり合点がいっていないようだ。
一方で、リズと同世代ぐらいになると、世の中のことがある程度はわかっている。仕事を一緒にこなすこともあった面々は、リズの言葉を汲み取ってしっかりとうなずいた。
魔法についての訓示の後、今度は勇者ごっこに付き合っていた子どもが、リズに声をかけてきた。
「じゃーな、魔王姉ちゃん!」
「そっちも元気でね。もう少し大きくなったら、ちゃんと魔王役やってやるのよ?」
「いや……ねーちゃんみたいに高笑いすんのは、チョット……」
演技はノリノリの勇者少年も、リズの魔王テンションは模倣できないらしく、たじろぐ様子をみせた。
このお遊戯を見慣れた観衆からは笑い声が上がる。そんな笑いの中、リズはふんぞり返ってそれらしいポーズを決め、さらに場を盛り上げた。
ただ、笑い声が収まると、場の空気がどことなく湿り気を帯びてくる。
最後の最後、締めくくりに、町人代表としてフィーネが前に出た。
「この後は、どちらへ?」
「偽金の始末ですね。こんなのを作った連中は、どうにかしてとっちめないと」
町人がイメージするリズは、偽金関係の官憲ないし調査員といったもの。そのイメージ像と相違ない発言だが、リズ自身の本当の所信表明としても遠いものではない。
ただ、とっちめる対象が、町人のイメージと現実とで凄まじくかけ離れているのだが。
この町に流れ着いても、ちょっとしたトラブルに見舞われていたこともあり、一番近くで付き合う形となったフィーネだが……あまり不安の色は見られない。彼女は、困ったような笑みを浮かべて言った。
「リズさんなら、本当になんとかしちゃうんだろうなぁって思ってますけど……あまり、無茶はしないでくださいね? 健康一番ですよ」
「そうですね、本当に……体調には気をつけます」
「では、また来てくださいね」
「ええ、きっと。また会いましょう」
リズが言葉で応じると、フィーネはスッと手を差し出した。
それに間をおかずリズが応えると、次は町長、さらには短い間の仕事仲間や勇者パーティーに教え子、場の流れでついでとばかりに他の面々まで……
結局、その場にいた大半と握手を交わしたリズは、大勢に見送られながらロディアンを後にした。
行く先の道は長く、見慣れた田園風景が続いている。地図片手に、彼女は一人歩いていく。
不思議と、後ろ髪引かれる感覚はない。心を決めたというのもあるし、意外とあっさり別れが済んだということもあるだろう。
あの町に長くは留まれないという認識もある。
ただ……町人や竜と交わした、「また」という約束を、彼女は心の底から信じている。また来て、また会う。その日が来ることを疑いもしない。
そんな自身の有り様が、センチメンタルな惜別の気分を切って捨てた。
考えるべきは、これからどこに行って何を目指し、またここに来られる状況や方法をどうやって準備するかだ。
――母国の異母兄弟に命を付け狙われながら、これをこなす。
(先は長いわ……)
青々とした空を眺めて、彼女は思った。
しかし、遠大な前途に途方も無い感覚を抱いても、気後れはまるで生じない。
彼女は足取り確かに、ずっと歩き続けていく。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
これにて第1章完結となります。




