第374話 決断
幾度となく生と死を繰り返してきたリズだが、《時の夢》にはその性質上の限界がある。
死んだ時点で時を巻き戻す以上、死んだ後のことはわからないのだ。
そして今回の提案は、彼女自身の死を前提とし、そこから策を積み上げていくものとなる。
初めて試す、繰り返しようがない、文字通りの最終手段である。
この、あまりに大それた提言は、当然のように大きな騒ぎをもたらした。
「し、しかし……次なるラヴェリア王でも、あの大魔王と戦える保証などないのでは……」
「仰る通りですが、それなりに考えはあります」
想定して然るべき指摘に、リズは騒然とした場内で一人、落ち着き払って答えを返した。
「まず、戦わせるのは王だけではありません。私も、不死者として一緒に戦います」
おそらく、これまた想定外に違いない回答に、より一層のざわめきが生じた。
素早く視線を向けると、ネファーレアが唖然とした顔で固まっている。色々と察してしまっているのだろう。
強い罪悪感を覚えつつ、場がどうにか少し落ち着くまで待ってから、リズは口を開いた。
「生前の死者が強ければ強いほど、不死者の力も増します。加えて、死霊術師を厳選すれば……時間制限こそありますが、生前の私以上の力を発揮することも可能でしょう。少なくとも、同行する王を殺させないための、盾と離脱要員の役は成し得るものと考えます」
そして、リズを操る死霊術師について、すでに見当はつけている。候補は二人、本命の説得はまだだが、もう一方はすでに了承を取り付けている。
自ら不死者となることを認める、この王族の娘を前に、いずれの権力者たちも当惑を抑えきれないでいる。
そんな中、リズはもう一つ、自身の提案のメリットについて言及した。
「仮に、私の提案を以ってしても、ロドキエルを打ち倒せなかったとして……それはそれで、と思うのです。一個人の武力では敵わないと思えば、残る道は長期戦一択。世界各国の意識統一が強く求められる現状においては、余計な道に無駄な想いを馳せることがなくなることは、無視できない利点のように思います」
人を束ねることの何たるかを知る権力者たちは、この提言に押し黙った。場が水を打ったように静まり返る。
その渦中にあって、この場だけで結論が出る案件ではないと、リズはよくわかっていた。
実際にそうすると決定したとしても、作戦を練り上げて準備し、実行するまでに多くの討議が必要となることだろう。今回はまだ発案段階に過ぎない。
「突然のご提案、申し訳ありませんでした。まずはお持ち帰りいただき、ご検討をと思うのですが……事を実現するにあたっては、水も漏らさぬ慎重さが必要になると考えます。然るべき時が来るまでは、何卒、ご内密にしていただきますよう」
結びの言葉を受け、会議はいまだ騒然としたまま閉会する流れに。ラヴェリア高官たちが我を取り戻したかのように動き出し、参席者たちを誘導していく。
しかし、出ていかないものもいる。リズの周りには血縁者らだけが残る形となった。
いずれもが、しばし無言で佇み……いたたまれない空気の中、最初にルキウスが口を開いた。
「エリザベータ。お前の考えでは、誰を次に立てる予定だ」
「色々と考えたけど、ベルハルト兄上が一番だと思う。求められるのは個としての戦闘力だし……ルキウス兄上には、敵幹部を引き寄せるための、指揮や司令に回っていただいた方が……」
「そうか」
すると、落ち着き保つ長兄に代わり、末弟のファルマーズが珍しく語気荒く口を開いた。
「ど、どうして二人とも、そんなに平気でいられるんだよ!」
「あなただって、そういう時があったでしょ。自分の命を捨てる覚悟で、私に挑んできたじゃない」
自分の事を持ち出されてハッとなった彼は、「そ、それは……」と言ったきり押し黙った。伏し目がちになり、体が震える。
リズは彼に「おいで」と柔しく声をかけ、そっと抱き寄せた。
それからリズは、他の親族に目を向けていった。
とりあえず、ルキウスは一番の理解者のように思われる。決して快く受け入れているわけではない。沈鬱な表情は他と変わりないが、それでも眼差しには確かな強さがある。
こちらの心情を汲み取った上で賛同してくれているのだと、信頼の念を抱くには十分であった。
一方、次代の王として白羽の矢が立ったベルハルトは、いつになく深刻そうな顔をしている。
そうなるのも無理はないことだと、リズは承知していた。この次兄と戦った時、戦わざるを得ない立場にありながら、彼自身は次の王位に就くことについて消極的――
いや、否定的と言ってもいい様子だったからだ。
普段は良い意味での軽さを見せる彼も、今では端正な顔に悲哀が滲むが……
アスタレーナの醸し出す雰囲気は、彼以上のものがある。両手で顔を覆う彼女を見るだけで、リズは胸の奥底が締め付けられるのを感じずにはいられなかった。
妹二人にしても、表情には深刻な悲嘆の感があり――
そして、国王も同様であった。
そうした血縁者らの今に強い罪悪感を覚えながらも、リズは本当のところを打ち明けた。
「今回の話が私たちの間のものだったなら、聞かなかったことにもできたでしょう。でも、私は、大勢に聞かせることを選んだ」
この意図をいち早く察したのであろうレリエルが、重い口調で言葉を継いでいく。
「他国の皆様方は……心情的にはともかくとして、為政者としてはお姉様のご提案に、否とは言えないでしょう。それだけの道筋を示されていもいます。となれば……たとえ消極的なものであっても、他国から寄せられる賛同を、為政者たる私たちが無視するわけには……」
つまり、最初から逃げ場のない議論だったのだ。
何もかもわかった上で、こうやって追い詰めている。
うつむき加減になった妹に、リズは心の痛みを感じた。
「ワガママな姉でごめんね。嫌いになったでしょ?」
「……本当はわかってるくせに、そうやって聞いてくるところは、改めた方がいいと思います」
声を震わせながらも説教しつつ、控えめに想いを仄めかすこの生真面目な妹を、リズは心底かわいらしく思った。末弟を抱き寄せたまま、末の妹にも手招きし……
レリエルはこれに応じた。リズはその頭に優しく手を置き、撫でさする。
そこへ声をかけてきたのは、大役を押し付けられようとする次兄であった。
「考え直す気はないんだな?」
「ええ、まあ……」
「前言撤回したとして、それを非難する声は挙がらないと思うぞ。それでも……心は決まっているのか?」
「ええ」
「……何がお前を、そうまでさせるんだ?」
問いかけに、リズは一瞬、迷いを覚えた。理由はいくつかある。それらが絡み合って、今の強い決意となっている。
今になって隠し事をしたくないという思いはあったが、兄弟を傷つけるであろう理由を伏せ、彼女は答えた。
「これでうまくいくなら、私一人の人生を賭けるだけで、後の世の犠牲を避けられるでしょ。『あの時ああすれば』なんて思いながら老いていくなんて、最悪だわ。それに……」
「何だ?」
「死にまくって、負け続けてきたから。死んでも勝ちたいのよ、私は」
この言葉を真剣な眼差しで受け止め、ベルハルトは口を開いた。
「そうまで言うってことは、お前なりに十分な勝ち目を見出しているんだな?」
「まあね。あなたたちを悲しませてまで、無駄死にするようなマヌケじゃないわ。私なりに、勝ち筋を見出した上で……こんなバカなことを提案してる」
「そうか……」
やはり、快諾というわけにはいかないだろうが、これでベルハルトも腹を括ったように見える。
勝ち筋の詳細については明かしていないが、それがなんであれ信頼されているのを、リズは感じた。
ただし……こういったことは、全員の同意が必要であろう。
リズ自身、十分に言葉を尽くしたつもりではある。
少なくとも、戦略という実務的な面については。
親族相手の心情面については、これ以上にかけるべき言葉を持たない。
半ば逃げのようにも感じながら、リズは言った。
「いきなり、こんな話してごめん。みんなで話し合って、結論を出して。出た結論が何だろうと、私は受け入れるから……」
それからリズは、決して思いつきのものではないが、気持ちの穴を埋める足しになればと言葉を継いだ。
「それに、死んだからってそれで終わりじゃないと思うし。死んだ人間を蘇らせる禁呪とか、もしかしたら……」
場を取り繕うよう、努めて明るく振る舞うリズ。
だが、失言だった。
虚を突かれた彼女は、気がつくとネファーレアに首根っこを捕まえられていた。軽く振りほどけそうなほどに、弱々しく痛ましい有り様が胸を打つ。
「人の気も知らないで……」
消え入りそうなか細い声が、心の中で反響し続ける。
体を小刻みに震わせ、かすかに嗚咽を漏らす妹に、リズはうなだれることしかできなかった。
☆
自分の命を賭けてでも勝ちに行くというリズの決断は、結局、兄弟たちも承認するところとなった。
会議の場で話を持ち掛けた、その翌朝のことである。
その報は、会議の参席者にも即日周知され、その日の内に世界各国で同意形成がなされた。
――ラヴェリア聖王国第七王女、エリザベータ・エル・ラヴェリアの死を引き金とする作戦行動を起こし、大魔王ロドキエル討伐に挑む、と。




