第371話 あり得た未来の報告書②
幾度とない死を経た上で、この席に臨んでいる――リズが語った真実を耳に、親族の多くは、未だ衝撃や悲嘆から立ち直れないでいる様子だ。
だが、そんな中にあって長兄ルキウスは、見たところ冷静さを取り戻しているように映る。
この場で一番多くの視線を集めるのは、当然のことながらリズだが、彼女の兄弟へも少なからぬ気遣わしい目が向けられている。そうした現状を認識した上で、長兄としての責任感が前を向かせているのだろうか。
今や悲しみを見せない彼の様子を、リズは薄情とは思わなかった。むしろ、話を受け止めてもらえていることを好ましく覚えながら、彼女は兄に話を振った。
「よろしければ、ご懸念をお聞かせ願えますか?」
すると、彼は立ち上がって他の参席者たちに向き直り、自身の考察を列挙していった。
まず心配されるのが、兵站線の構築について。せっかく組織した大軍勢も、食糧供給がおぼつかなければ、規模が自分の首を絞めるだけである。それゆえ、世界的に食糧が制限されるとなれば、兵站の構築もよりシビアな問題となるのだが……
相手からすれば、わかりやすい弱点だ。これを突かない理由がない。
「もとより、敵は我々よりも転移に長けています。徒歩で地道に進軍せねばならない我々と違い、転移で機動的に行動できるとなれば、兵站線の寸断には強く警戒せねばならないところ」
「ですが、あまりにじっくりやりすぎれば、それはそれで戦闘の長期化を招く。兵や軍ばかりでなく、民草への負担も問題になるでしょうな」
現実的な指摘に、ルキウスはうなずいた。
実のところ、養わねばならない民草というのは、敵国にもいるのだ。
「占領した街の人間については、過去の遺恨はさておいて、保護せねばならないでしょう。人道上の理由もさることながら、戦略的にも重要です」
「……反乱の煽動の恐れがある、というわけですね」
「はい。根絶やしにすれば話は別ですが……それを押し通すわけにもいかないでしょう。現場の兵の士気のみならず、ヴィシオスの人間が、心理的にも敵魔族に味方するきっかけになりかねません」
「敵国における戦闘が激化する火種になりかねず、事がこちらの民草に知れれば、政治不安と厭戦感情にも結び付く恐れもありますね……」
そして、そうした諸々の不安定な要素が、兵站線の確立を阻む火種になりかねない。ヴィシオスの現地で乱れれば、現場の兵站線が。人類側の母国で乱れれば、現地へ繋がる供給網が。
さらにルキウスは、ヴィシオスという国の仕組みそのものからくる難題を指摘した。
「そもそもの話ですが、敵国には縦深による防御があります」
この縦深というものは、リズにとっては理解できる概念だったが、馴染みのない文官も参席している。
そこで、今回の場を招集したリズは、事前に用意しておいたヴィシオスの地図を宝珠に投影した。このトスを受け、ルキウスが解説を進めていく。
「縦深というのは、最前線から最後部までの距離です。ヴィシオス攻めという一大戦略においては、海岸線か、内陸の国境線から王都バーゼルまでの距離となります」
彼の言葉とともに、宝珠へ映し出されるヴィシオスの地図を目にすれば、この縦深というものがどのように機能しているかは明らかであった。
「御覧の通り、ヴィシオスへの侵攻の起点をどこに定めようと、最終的な攻略目標を王都と定めるのであれば、我々は相当歩かされることとなります」
大版図を誇るヴィシオスは、その中心地が内陸にある。アバンディ大陸のほぼ中央だ。
肥沃な土地に恵まれたこの国は、有り余る人的資源を武器に、近隣国を次々に併呑していった歴史がある。
そうして大陸の覇者となったが、この国が遷都した経験は一度としてない。外界との接続を求め、海岸沿いに寄せることなどはなかった。
まるで、いつの日か攻められることを意識していたのでは――
このような世界情勢の中では、ヴィシオスという国の成り立ちそのものが、今日のこの日を見越したようにも思えてしまう。
この縦深による防御という概念は、実際には一長一短である。本拠地を守るべく、前方が敵に攻め込まれるのを前提としているからだ。
だが、ヴィシオスにとっては、それもあまり問題にならないのではないかという。
「まず、かの国は中央集権の度合いが強く、後の時代になって征服した領地は力が弱い上、領地同士の結びつきも弱いと聞き及んでおります」
ルキウスの発言については、諜報力に長ける他国の有力者らも認めるところだった。
「おそらく、地方での反乱を懸念しての体制でしょうな」
「秘密主義の国として、国土全体における情報統制も、地方同士の分断に一役買っているのでしょう」
そうした国において、地方がいくらか切り取られたとしても、中央にはさほどの痛手ではない。指導層が別種族に成り代わっている今となっては、なおさらの事であった。
「そして、繰り返しになりますが……一度占領してしまったのならば、煽動等の工作を抑止し、兵站線を確固たるものにするため、占領地の面倒を見なければなりません。これは無視できない負担となり、戦争の長期化を招く原因となりましょう」
ルキウスの見立ては、実際に過去のリズたちも目にしたことがあるものであった。
「実際に連合軍が侵攻したところ、占領地の懐柔は慎重にならざるを得ず、進軍には確かな遅延が発生したとのことです。進軍を続ければ続けるほど、別方面からの攻撃への懸念も増します」
ここまで来ると、長期戦については問題が山積みである。それでもやらねばならぬという意識はあることだろうが……
場の空気がすっかり重いものになったところ、手が挙がった。
「短期決戦の目は、あり得るでしょうか?」
こうした問いが出ること自体、リズは想定していた。多くが息を呑む緊迫感の中、彼女もまた緊張を胸に口を開いた。
「結論から申し上げますと、現状のままでは厳しいものがあると思われます」
これに対し、さほどの落胆は感じられない。むしろ、然るべき言葉といったところか。静けさを保つ権力者たちを前に、リズは続けた。
「詳細を語らせていただく前に、意識統一が必要かと思われます。短期決戦となると、大軍の動員には無理があり、戦略的な目標は規模を限定せざるを得ません。となると、何を……いえ、誰を狙うべきか、という話になるのですが」
この話の運び方について、異論は上がらない。
問題は、短期決戦における標的だが……これも、そう多くの候補がある話ではない。
「戦略目標を限定すべきというのであれば、やはり大魔王ロドキエルでは」
「いや、戦果を確実にということで、まずは幹部を狙うのも手ではありませんか?」
「だが、我々人類が長期戦の構えを見せているからこそ、奇襲が有効になるという面もあるだろう? 一度きりしかない手と仮定すれば、標的を幹部程度に留めるのが妥当と言えるだろうか?」
「見送る選択肢もあり得る、と」
にわかに活発化した議論。場が再び静かになるのに時間はかからず、リズは先を続けた。
「まず、敵幹部を標的とする場合について。その手段は後述しますが……幹部狙いの攻撃は、最終的な効果が疑問視される部分が大きいかと」
その理由が、いずれ補充されるからというものだ。
もちろん、信頼できる実力者こそ、先に呼び寄せて戦力としている様子だが……替えが効く程度の幹部であれば、駒として運用してくる――というより、各自が駒として打って出てくる傾向があった。
また、比較的長期にわたって試行を続けたケースにおいては、最終的に敵幹部が釣り出しに反応することもなくなった。
「敵方の中にも、勲功争いというものはあるようですが……ある程度減らされると、警戒を始めて挑発に乗らなくなる傾向が見受けられました」
こうなると、人類側としても長期戦に切り替えざるを得ない。結局のところ、相応のリスクを代償に、敵幹部の首がいくらかすげ変わっただけということになる。
むしろ、奇襲や挑発への警戒心を抱かせたと思えば、後の展開の選択肢を狭めた分だけマイナスとさえ言えるかもしれない。
「ですので、敵幹部の頭数を減らすことを目的としても、戦略的に効いてくるかは疑問があります。敵幹部狙いの攻撃は、さらなる一手を目指した布石とすべきと思われますが……」
「というと……大魔王ロドキエル討伐のための、前段階にと?」
「はい」
場がざわつくが、すぐに張り詰めた空気で引き締まる。
リズはまず、先送りにしておいた、敵幹部への攻撃手段について言及した。
「それなりの規模の奇襲であれば、おそらくは勲功稼ぎのためでしょうが、敵幹部が釣り出される傾向があります。この奇襲を可能にするのが、飛行船もしくは転移です」
この二つの手段について、リズは所見を述べていった。
飛行船利用に関しては、戦争初期にこそ効果がある。
というのも、敵魔族の指導層に、飛行船等の運用を敬遠する意向があるからだ。自分たちは転移を使えるというのに、転移を使えない人間どもを少量動員するためだけに、飛行船を運用するのは煩わしいのだろう。
この戦乱が始まってごく最初期には飛行船が用いられたものの、それは兵力を輸送するためというよりは、挑発や嫌がらせのような面が大きかった。
それがうまくいかなかったことで、より飛行船の価値を疑問視する流れがあるのかもしれない。
「――ですが、こちらから奇襲するとなると、1回目で決めなければ短期~中期的に不利になるものと考えます」
リズがそのように考える理由は、運用ノウハウにある。
こうした場に集められる権力者であれば周知のことだが、近年は飛行船の墜落事件が発生していた。
その背後にあったのは、ヴィシオスの支配下にある小国だ。ラヴェリアを始めとし、飛行船を有するほぼすべての国が、後の世の平和を考えて飛行船の軍事利用を禁じてきた中、この小国は空の軍事面で一歩リードしているわけである。
では、宗主国たるヴィシオスはどうか?
空戦のためのノウハウをヴィシオスが握っていないと考えるのは、あまりにも楽観的に過ぎる。
「現状で保有する飛行船の量についても、相当なものがあります。おそらくは、こうした世の中を見込んで建造してきたのでしょうが……」
「だからこそ、指導層にその気がない今、空からの奇襲に好機がある。一方でこれを逃すと、後が厳しいということですな」
「はい。もっとも、飛行船は技術開発の目覚ましい分野です。また、魔族が主権を握ったあの国よりは、我々人類全体の方が開発力に優れているものと思います。相当に長い目で見れば、空の優位は逆転することでしょう」
現実的な楽観論を口にした後、リズは一息ついて別の奇襲方法について言及した。転移による奇襲である。
これはもちろん、リズの仲間である魔族らに協力してもらう。彼らの貢献については、この場に集まるほどの人物であれば、すでに把握しているところだ。今日ここで、拠点攻めの支援という形で目にしたばかりでもある。
この転移では、あまり大人数を運べるものでもない。しかし、隠れ潜む手段があるのなら、《門》を通して少しずつ戦力を送り込んでいくことは可能だ。
ただし、あまりに大勢では撤収時に問題が出るのだが……飛行船の奇襲にしても、往復できるという保証はない。
とりあえず、ごく少人数での奇襲であれば、転移で無理なく帰還できるのは大きなメリットである。実際、リズもこれに助けられている部分が大きい。
「――とはいえ、飛行船にも目立つというメリットはあります。圧をかけに行く陽動として、大きな意味はあるものと思います」
「実際には組み合わせて運用するのが妥当、でしょうか」
立派な装いの武官の指摘に、リズはうなずいた。
「実際、そういった多層的な手段で奇襲を仕掛け、多くの敵幹部を城外へ釣り出したケースもあります」
その後、リズは誰にも気づかれない程度に小さく息を吐いた。
「……これにより、過去の私たちは何度か、大魔王ロドキエルと交戦するに至りました」




