第370話 あり得た未来の報告書①
過去の自分たちが幾度となくリハーサルを繰り返した拠点攻めを、攻略チャート通りに無事終わらせたリズ。
捕虜の引き渡し等の事後処理は仲間に引き継ぎ、自分自身は事前の予定通り、転移によってラヴェリアへ。さすがに、今回の会議の場へは直接飛ばず、転移門を用いての移動だ。
王城近くの転移門へと飛ぶと、そこから役人の案内で城内へ。冷静さを保ちつつも緊張した様子の案内係は、リズを中心として、いま何が起きているのかまではわかっていない。ただ、前もって命じられたままにリズを導くだけである。
一方、リズはリズで心穏やかならぬものがあった。
デモンストレーションはうまくいった、確かな手ごたえはある。
しかし、ぶっつけ本番の実戦の後にも、多くがかかった戦いが待ち受けている。休まらない心を胸に、時の流れはいつもよりも早く感じられ――
いつの間にか講堂前に。
どうにか心を落ち着けようと深呼吸するリズを前に、案内係の若い官吏が口を開いた。
「その……ご武運を」
事の背景を知らないはずの彼だが、その口から出た「ご武運を」という表現は、今の状況にしっくりくるように思われる。
この気遣いに表情を綻ばせ、リズは小さく頭を下げた。
「ありがとうございます」と。
意を決してドアを開けると、薄暗い室内に外の光が割って入っていく。代わりに中から漏れ出すのはざわつきの声。
今回の仕掛け人と観客、いずれも心騒がされるものがあったということだ。
しかし、この場にリズが現れたことが知れるや、ざわつきが波のように引いて遠ざかる。
張り詰めた空気の中、リズはラヴェリアの役人に促されて講堂の中央へと歩を進めていった。ここまで司会進行を兼ねていた読み上げ係に代わって、講堂中心の宝珠傍らへ。
持ち場についたリズは、多くの視線が集う中、息を整えて声を発した。
「今回ご覧いただきました戦闘において、私があたかも物事を先読みしているという印象を抱かれたかもしれません」
サラリと口にした言葉は、多くにとって図星であったのだろう。静まり返っていた室内に、小さなどよめきが生じる。
「実のところ、その通りです」
続く言葉に、どよめきはより一層勢いを増した。
とはいえ、大勢の前で話す機会が多い立場の人物が集まるだけあって、すぐに場は抑制の効いたものに。再び話す状況が整い、リズは続けた。
「今回お集まりいただきましたのは、普段私がどのように敵拠点を攻め落としているか。その様子を共有するためということでしたが、それは口実に過ぎず、本旨はまた別にあります。皆様方を騙してしまった事につきましては、この場でお詫び申し上げます」
とはいえ、それを責め立てようという空気は感じられない。今や、場に集う面々にとっての関心は、リズが語ろうとする本当の主旨に注がれている。
静けさの中にも、やや浮足立つような雰囲気がある中、リズは呼吸を落ち着けて本題に入った。
「先を見通すような戦いぶりは、とある禁呪によるものです。詳細まではお伝えしかねますが……《時の夢》と言えば、ご存じの方もおられるかもしれません」
この《時の夢》という名を出したことで、場内の数か所に小さな動揺が走った。
できる限りの有力者をこの場に集める理由の一つが、まさにこれである。《時の夢》を知る者の素の反応を引き出すことで、この禁呪を知らない者たちに、これからの話が荒唐無稽な妄言ではないと察してもらおうというのだ。
そういった”証人”としての役割が期待できそうな人物が、少なくとも二人いた。実父の国王バルメシュと、妹の第四王女ネファーレアだ。
この二人の抑えきれない驚きに、他の兄弟たちも顔を見合わせている。
信じがたいであろう話に、信じさせるための土台を用意したリズは……いくばくかの抵抗感を覚えつつ、話を先に進めていく決意を固めた。
書見台に置いた本に触れると、宝珠に図解が映し出される。
「《時の夢》の効果は、禁呪が機能している間に対象者が死亡した場合、禁呪を機能させた開始時点に対象者の精神を帰還させるというもの。これにより私は、去る9月5日を起点に、幾度となく試行錯誤を繰り返してまいりました」
衝撃的な発言に、場が強くざわつく中、一人の中年男性が手を挙げた。
「では、先ほどの攻略は……何度も繰り返して模索した、一つの最適解であると?」
硬い表情で問いかけるこの人物の理解に、リズはいたく感服した。
「ご賢察、恐れ入ります。こうした場を設け、私の話に説得力を持たせるべく、過去の私たちが準備を整えて参りました」
この発言通り、ここまでの諸々は確かな説得力として機能している様子である。困惑の中で大勢の心が揺れ動く雰囲気を感じながらも、リズは先んじて冷や水を浴びせにかかった。
「先に申し上げねばならないことがありまして、この《時の夢》という禁呪ですが、決して万能なものではありません」
そこでリズは、問題点を端的に指摘した。
すなわち、実用に至るまでには死の経験を精神が耐えなければならず、通常のやり方では未来の情報を持ち帰ることも至難ということを。
この持ち帰りに関し、《叡智の間》という確固たる手段を持ち合わせているリズだが、この場の説明ではそれを伏せておいた。
単に、運が味方して、どうにか成功させることができている、と。
この禁呪の問題点については、ラヴェリア以上に魔法への理解が深い大国から、援護が入った。
「記録に残る限りでは、まともに機能したことはないと認識しています。おそらく、エリザベータ王女が、史実における唯一の成功者でしょう」
魔法大国の王子が、驚きと敬意を表しながら口にした。
これを大変に名誉に思うリズではあったが……心に差す陰はある。
血を分けた兄弟の方を見るだけの勇気が、沸いてこないのだ。
心揺らげば、この場に大勢を集めた意味がなくなってしまう――そんな、立場が強いる責任感でさえ、いたたまれない想いからの逃避のように思えてしまう。
ただ、そういった意味での逃げ場は、実際にはどこにもなかったと言える。幸か不幸か、この場に集まった大人物のいずれもが、物事をよくわかっていた。
――つまり、魔法大国ですら忌避する禁呪を用い、幾度とない死を乗り越えてまで、人の世に尽くそうという娘がここにいるのだということを。
向けられる視線に、少なからず心揺さぶられるリズだが……厚かましくさえある、彼女ならではの合理性が、気持ちを切り替えさせた。
信じられないような話を信じてもらうのには、ちょうどいい空気だと。
気を取り直したリズは、司会進行役の青年に渡しておいた、別の解説本を受け取った。それを書見台に置き、記述を投影させながら話を切り出していく。
「こちらに記されておりますのは、過去の自分たちが残した情報を編集し、人類の現状とこれからをまとめあげたものです」
この言葉で、空気が一気に引き締まった。
感傷に浸るばかりではない。成すべきを分かっている要人たちの存在を心強く思いながら、リズは重い話題を口にした。
「結論から申し上げます。現状、我々人類が志していると思われる、腰を据えた長期戦略は、相手にとっても想定の範疇と思われ、不利な状況にあります」
そこでリズは、これまでの検証から明らかになった各事項について触れていった。
まず大きいのが、世界各国で見受けられる天候不順。ラヴェリア等の大列強を除けば、世界中で曇り空が広がっており、日照時間が明らかに減っている。
これは、敵方が魔導石で生成した《門》経由で展開しされたものと思われる。
長いパターンでは数年の経過を観察したリズだが、一度暗雲の勢力下に置かれた地域は、ほぼそのままだったと報告した。おそらく、魔族側が維持していたものと思われるとも。
幸いにして、秋の刈り入れが済んでからの事であり、現状においては差し迫った問題ではないのだが……
短期的な幸いが、長期的な不幸に切り替わり得ることを、リズは指摘した。
「差し迫った問題ではない、他に目を向けるべきものがある。そういった認識があるからこそ、我々の警戒をすり抜け得ると言えます。実際のところ、暗雲の影響により、来季からの収穫高には明らかな悪影響が出ます」
「となると、軍事行動に響くのでは……」
「いや、しかし、大軍を組織する大列強においては、天候不順の影響も小さいはず……」
そこまで言った発言者ばかりでなく、大勢にハッとした顔が広がるのを認め、リズはうなずいた。
「大列強に対しては、戦術的な事情から仕掛けられなかったことと思いますが……大列強が無事だからこそ、この件への考慮が先送りになっている面はあるかと思われます。実際、予見と警戒の不足で、対応が遅れるケースもありました」
事の先を見てきたリズからの報告に、渋い顔で小さい唸り声を漏らす要人たち。
リズは続けて、この先に待ち受ける現実について、自分たちが見てきたものを語っていった。
「大列強が無事だからこそ、他国を養うだけの収量は確保できています。無論、配分計画から実際の流通に至るまで、諸々を整備する必要に迫られますが」
「それを事前に知っている我々であれば、事が深刻化する前に対処できるか」
「いや……それも敵の思惑を脱するものではないのでは? 軍に拠出する食料を制限しようというのが真の目的ではないか?」
「しかし……中小国での不足を知っておきながら、軍事的勝利のために犠牲を強いろと?」
さすがに権限と責任ある者たちだけあって、実際的な問題を前にすると意見がすぐに出てくる。
もっとも、この件に関してはリズが数百歩先に行っているのは明らか。つい熱が入ってしまった有力者たちは、話の流れを妨げたことを詫びた。
情報提供者としては、むしろこれぐらい熱を持ってくれていることが、喜ばしくはあるのだが。
「先ほどもご指摘いだきましたように、軍への供給量は当初の想定を下回るものになるでしょう。それでも、世界中で緊密に連携すれば、侵攻は不可能ではないのですが……」
「とはいえ、問題は多いか」
応じてきた声の方に振り向き、リズは驚いた。
沈んだ様子の兄弟を横に、長兄ルキウスが一人、他の権力者同様に平静を保って議論に臨んでいるのだ。




