第368話 エリザベータ劇場
11月20日、正午少し前、ラヴェリア聖王国にて。
王城内の一角にある薄暗い大講堂に、今は大勢の有力者らが詰めかけている。ラヴェリアの者に限らず、世界各国から集められた文武の高官たち、中には各国の王家に連なる者も。ラヴェリア王家も、国王と王子王女らが参席している。
いずれも多忙な中、時間を捻出しての参席だ。そうしてでも集まるだけの価値を認められているわけでもある。わずかな時間を惜しむように、互いに控えめな声で言葉を交わし合う姿も多い。
そうした小さなざわめきが、サッと引いていく。大講堂中央に鎮座する巨大な宝珠に光が灯ったのだ。
精確に言えば、これは実体を持つものではなく、魔道具によって投影された球体である。
講堂中央でラヴェリアの技官が静かに最終確認を進め、やがて魔力の宝珠の中で像が結ばれた。青の濃淡だけで描かれる世界、映し出されるのは荒涼とした丘陵地帯と、遠くに臨む一つの城砦。
次いで、宝珠から響く若い娘の声。
『もう、繋がってる? ええ、そう……ありがとね』
技官たちとやり取りしている様子だ。現場に立つリズの視覚と聴覚が、遠く離れたこの地の宝珠に共有されている。
諸々の準備が整った後、宝珠の中の視界が下を向いた。
腰の小物入れから彼女が取り出したのは、手鏡である。鏡に映し出される、今回の仕掛け人の顔が、会議室に集まる要人たちに微笑みかけた。
『本日は大変にお忙しいところ、お集まりいただきまして光栄の至りに存じます』
――とは言ったものの、このエリザベータ嬢がどれほど精力的に世界中を駆け回っては、魔族らに落とされた拠点を取り返しているか。場に集う一同にとっては知れた事である。「来てやっている」といった顔はどこにもない。
それだけの重要さを帯びている今回の集まりについて、リズがさっそく本題を切り出していく。
『私が手掛けております拠点奪還について、その手段を不思議に思われる声を耳にしておりましたので、今回は実演という形で披露させていただきたく存じます。何かしら得るものがございましたら幸いです』
拠点奪還において、リズは第一人者というよりは、無二の存在と言っていい。
しかしながら、その活躍の秘訣さえ共有されたのなら、彼女以外にもこうした仕事を成し得る猛者はいるかもしれない。どうにか彼女に続く者を――
そういった意図があってこの席に臨む者は、相当数いる。
いよいよという空気を各々が感じ取ったようで、大講堂の中はひっそりと静まり返った。リズが現場で聞き取っているらしい、かすかな風の鳴き声が聞き取れるほどに。
すると、宝珠に映る光景が一気に薄く暗いものになった。何かトラブルかと、ざわつきかけるが、すぐに当事者から一言入る。
『少し集中するため、目を閉じます。そちらに映らなくなっても、故障ではありませんから……ですよね?』
「ご安心を!」
ラヴェリアの技官が、映像の向こうだけでなく、こちら側にも請け合うようにハリのある声を上げた。
『ああ、良かった。こちらの方もご安心くださいな』
今から一人、戦場に臨む立場ながら、どこか余裕を見せるリズ。場の空気が少し解れたものに。
しかし、彼女が口を閉じて集中を始めると、空気が再び引き締まったものになっていく。
と、その時、宝珠の傍らに一人の青年が歩み出た。ラヴェリアの高官だという彼は、手にした本を書見台に置き、緊張した面持ちで言った。
「敵地へ踏み込んだ後は、ご当人からの解説に無理があるとのことで……事前に解説書を託されております。以降は代理として、私の読み上げをお聞きいただきますよう。書の内容が宝珠に映し出されますので、そちらもご覧いただければ」
そこで訝しむ顔をした初老の男性が手を挙げた。
「……少々よろしいか? 解説を事前に託されたと?」
「は、はい」
「ふむ。目にしているものと、そぐわない記述も出てくるのではないかと思うが……いや、失敬。貴殿の一存でどうこうするものでもあるまいか」
実際、彼の指摘は的確なものであったのだが、司会進行兼読み上げ担当は恐縮した様子で続けた。
「ご指摘はごもっともなものと、私も考えておりますが……『深くは考えず、目にしたとおりに読み上げればよい』と、命ぜられております」
そこへ助け船を出したのは、ラヴェリア王家の長兄、ルキウスであった。手を挙げ、場が静まったのを確認してから彼は言った。
「こうしたことに考えが至らない彼女でもないでしょう。私自身、腑に落ちないところはありますが……彼女なりに考えがあってのことと、まずはご理解いただければ」
この言葉に、場の視線が宝珠へ向いた。
完全に目を閉じず、一応は薄目を開けているのだろう。かすかに覗く視界には、地に刻まれた魔力の高まりを感じられる。
どういった魔法を使うつもりでいるのか、判然としないところではあるが……一人戦場に向かおうという策士に、有力者たちは不安と期待が相半ばする目を向けた。
すると、宝珠から一際強い風の音が響いた。あたかもそれを合図に宝珠が光を放ち、光が去ると光景が一変。屋外にいたはずが、今は石に囲まれた一室にいる。
見たところ、ちょっとした物置といったところだ。
目にしたものが何であるか、察しのつく観客ではある。
だが、どのようにしてこれを成したというのか。
信じがたいものを見ているという困惑と驚愕が広がる中、リズの解説書の記述が、書見台を通じて宝珠の方にも映し出されていく。
そちらばかりに任せるわけにもいかず、読み上げ係は大いに驚かされながらも、自身の務めを果たそうと声を上げた。
「まずは独力の転移で、敵拠点の一室へ潜り込みます。構造は事前に把握しており、ここなら安全だと判明しています」
リズに続く誰かの参考に――そんな想いで参席した面々は、突然の事態と解説に面食らった。
行動に移ったと思えば、初手からまったく参考にならない。
だが一方で、一気に関心を引き寄せられてもいる。
これから攻め込もうという拠点について、構造を把握しているというのは良い。下調べあってこその攻略ということであれば腹落ちする。
だが、『目的地現在の安全が判明している』というのは、事前調査にしては行き過ぎているように思われる。単なる言葉の綾だろうか?
――大勢を集めるという前提の下、事前に用意しておく解説に、あえて誤解を招くような表現を? あのエリザベータ女史が?
それとも、何か秘密があるのだろうか。
少しざわつき始めた室内に、今度は遠方から響く爆発音らしきものが。
「拠点付近数か所に仕込んでおいた、遅発性の《爆発》ですね」
緊張した面持ちの青年が、書かれているものを口にした。
「これにより、主に人間兵が偵察に駆り出されます。いくつかの小部隊が外へ、残りも外壁の上や物見に差し向けられます」
彼の読み上げの最中、リズが目にしているものが変化した。魔力透視によって、室外でどのように魔力が――すなわち、人や魔族が動いているかを監視しているのだ。
こうした要塞において、外で何かがあれば、人間が偵察に駆り出される。そういった傾向があるのは、彼女だけでなく他の面々も承知している。これまでの拠点攻めで、すでに明らかになっていることだ。
だが、今回の攻略に際して、事前に用意しておいたという解説の口ぶりは、さながら予言じみたものがある。
それは、幾度となく拠点奪還を敢行してきたという自負によるものだろうか。それとも……
多くが思っていたものとは、何となく違う事の流れ。見守る側としての緊張とはまた違う雰囲気が、観戦者たちを包み込む。
そこへ、場の空気に追い打ちかけるような記述と声。
「今回も敵の指揮官含め、魔族だけを標的にします。経路上に障害が減るまで、しばらく待機します」
言葉とともに映し出される透視した視界は、敵の指揮官がどこにいるか、確信をもって見つめているようにも思われる。
多くが固唾を呑んで待つ中、いくらか時間が流れ……「そろそろ動きます」という言葉とともに、視界も動き出した。
透視できているとはいえ、なんとも迷いなく敵拠点の中を動いていくリズ。素早く物置を出た後、廊下を窓際へ。
「ここで監視が切れます」
廊下の窓から外に躍り出るや、外壁上にいる人間兵の視線の切れ目を縫って、空を駆け上がって上の階へ。
思い切りが良すぎる手際に皆が呆然とする中、映像は動いていく。入り込んだ廊下、内側の壁沿いに素早く進んでいき――
透視した視界が、いくつか部屋を挟んだ向こう側に居る、大柄な魔力の影を捉えた。
そして、視界に合わせて映し出される記述に、皆皆が絶句した。リズとの関わり合いの有無や長短にかかわらず。血の繋がりがある父も兄弟も。
そんな中、自身の仕事を果たさんと、読み上げ係が強く戸惑いながらも口を開く。
「下から10段目、左から7個目のブロック、模様の中の黒点から地面に平行に《貫徹の矢》を撃てば、向こうの敵が死にます。これで後続を釣ります」




