第366話 詰めへの一手
「――今日は、聖王歴613年11月5日で、あっていますか?」
「ああ、そうだが……」
幾度となく繰り返したやり取り。直近に経験したばかりの死は思い出せずとも、このやり取りには既視感がある。
目覚めたばかりの頭ではあったが、リズは相当数の繰り返しをしてきた、自身の道のりの遠大さをなんとなく直感した。
それからは、心身の奥底に染み付いた流れのようにいつもどおり。ふらつきながらも起き上がって、二人が待つテーブルへ。イスに腰かけ、白本へと過去を転写すべく、手をかざして目を閉じる。
精神を深く集中して、自分自身の最奥。数多の死にも時の巻き戻しにも左右されない、不壊の中軸――《叡智の間》へ。
起きてからここまでの動きに、うっすらとした既視感が付きまとうリズであったが、ここからは違っていた。自分の内面の世界が、実に目新しく映るのだ。
試行のたびに、この図書館の様相が変わっていったからだろう。《叡智の間》の見慣れなさそれ自体が、過去の自分たちの存在と活動の証明である。
まず目につく変化は、大図書館の一角。分身用か、はたまた自分本体用か、衣装が集められた区画がある。よほど様々なパターンで潜入を繰り返していたらしい。
衣装の群れの他には、いつの間にか生じた書架の群れ。これまでに書き留め続けてきたものであろう。
そして、視線を引き戻すと、足元に一枚の紙。拾い上げてみたそれは、前回の自分の書置きであった。
「まずはテーブルへ」
遺書通りに動いてみると、大きな紙がテーブルに広げられている。『現在、257回目の試行』とある。
これを書いた覚えがないということは、前回の自分は257人目ということだ。今回が258回目となる。
過去が今と並列するような奇妙な感じを覚えつつ、自分の番という意識を新たに、リズは数字を書き換えた。
ついで、視線はテーブルに置かれた本に。メモには「起きたら、まず三人で読むこと」とある。内訳は、前回試行における諸々の報告としての日記数冊。そして、より大局的な戦略に関しての一冊。
この「大局」という表現に、彼女は思わず息を呑んだ。
一つの時間軸におけるものを意味する大局ではなく、いくつもの試行ループにまたがっての大局――
すなわち、この世で自分にしか持ち得ない視座ということか。
現実の方では、親友二人を待たせてしまっている。
しかし、はやる気持ちを抑えられない。高鳴るものを胸に、リズは目次だけでもと思い、その戦略書を開いた。
幸い、本好きの自分が記した書物だけあって、期待通りに目次があった。
度重なる試行の中、枝分かれした世界のそれぞれにリズがいたわけだが、各自が面と向かって語り合えたわけではない。そんな中、試行ループで一貫性のある挑戦と検証を可能にしようと試みていたのだろう。
そうした努力が、目次からうかがい知れる。目次は私たちの現状から始まり、現状を形作る各事項の簡潔な詳説、戦略考察。各種挑戦・検証の抜粋とその結果。それらをまとめた結論。そして末尾――
『最終手段』
☆
10月1日、ラヴェリア王都外務省、第三王女執務室にて。
部屋の主アスタレーナは多忙極まる人物だが、事前のアポの甲斐あってか、リズは問題なく面会の時間を取ることができた。
もっとも、アスタレーナ自身も、こういった時間を取りたいという気持ちはあったのかもしれない。部屋へ入ってきた妹を見るなり、彼女はどこか嬉しそうに立ち上がって談話用のテーブルを勧めた。
「長くなるでしょ?」
「お望みであれば」
リズとしては、あまり時間を取るのも悪いかと思っていたものの、姉がそういうつもりであれば快く応じる腹積もりであった。
実際、それなりに時間を取る気があるようで、アスタレーナはいそいそと茶の準備を始めた。すでに沸かしてあった湯で茶を淹れていく。
事前にアポを取っておいたおかげだろう。心待ちにしていたようにもうかがえ、リズは思わず顔を綻ばせた。
やがて二人分の茶の用意を終え、アスタレーナがテーブルに着いた。同席するなり、「こんなことしてられる状況じゃないとは、思っているけど」と、やや沈んだ顔で言う姉だが……
「根を詰めすぎちゃダメでしょ。たまにはリラックスしないと」
リズはにこやかに応じ、少し皮肉っぽく笑って続けた。
「話し相手が私でリラックスできるか、疑問ではあるけどね」
「何言ってるの? 目が届くところに居てくれるだけで安心だわ」
さすがの切り返しに、リズはぐうの音も出ない。
実のところ、この姉の与り知らないところで、幾度となく死にまくっている。死ぬたびに、その世界のアスタレーナを泣かせ続けてきた。おそらく、リズに最も泣かされた人物であろう。
根を詰めるななどと、どの口で言うか――といったところだ。
それに、いま腹に抱えている戦略も、いつかは打ち明けなければならないが……その話に至る前段からして、この姉を悲しませることになる可能性は、ほぼ確実。
すでに腹は決まっているものの、心苦しい思いは変わらない。リズはふと、テーブルの上のティーカップに視線を落とした。透き通った琥珀色の水面が、ごくわずかに波立っている。そこに移りこむ自分の顔を見つめ――
「また、何か重い相談?」と、アスタレーナが問いかけてきた。
「ま、ちょっとね」
「そう。落ち着いたら話して」
そういってティーカップを傾ける姉を前に、リズは用件を切り出していく。
「蒸し返すようで悪いんだけど……去年の春、ネファーレアが私に攻撃を仕掛けてきたでしょ?」
「あなたがロディアンにいた頃の話ね」
さすがに話が早い。にわかに真剣身を帯びて返した姉に、リズはうなずいた。
「その時……ネファーレアが操っていたであろう下手人と私が交戦して、その様子をそれなりの人数で観戦していたと考えているんだけど」
「ええ。当時のあなたも推定してたけど……あの子の手駒に視覚と聴覚を共有させ、大きな宝珠に投影させていたわ」
「なるほどね……物は相談なんだけど、それって私でも使える?」
「ん……」
一度ティーカップを置き、アスタレーナは考え込んだ。
「何に使うの?」
「ちょっと長くなるんだけど」
もっとも、それは望むところといったところか。にこやかにうなずく姉を前に、リズは話を続けていく。
「自慢じゃないけど、最近、私一人でいくつも拠点を取り返してるじゃない」
「ええ。正直、働き過ぎじゃないかと思うし……心配ではあるんだけど」
素直な感情が、つい漏れてしまったのだろう。話の腰を折った自覚に、アスタレーナは少し申し訳なそうな顔に。ただ無言で、手のひらを向けて続きを促してくる。
そんな姉に好ましさを覚えつつ、リズは口を開いた。
「世界各国の有力者の方々からも、お褒めの言葉をいただけているんだけど……それはそれとして、『どうやっているのか』と興味関心を寄せられてもいるでしょ?」
「ええ、まぁ。それはそうだけど……あなたがやることだからと、納得されてもいる様子ね」
身もふたもない話である。
ただ、聡明な姉は話の流れを察し、先の話題と結び付けてくれた。
「あなたが攻め落としていく様子を、実際に御覧に入れて共有できればっていうこと?」
「そういうこと。ちょっと難しいかもしれないけど」
「……そうね」
そう言って、アスタレーナは考え込んだ。
「当時の観察に用いていた部屋を、そのまま使うのは問題があるわ。ご招待する人数次第ではあるけども。それよりは、もっと広い講堂に、必要な設備一式を用意する方が適切ね。もちろん、各所への確認と申請は必要だけど……意義ある提案だと思うし、まず通せるでしょう」
この「通せる」という表現に、乗り気になってくれている姉の意志のほどを感じ、リズはなんとも頼もしく思った。
「問題は、集められるかってことなんだけど……」
地位や権限のある人物を、できるだけ多く、様々な国から集めたいところ。だが何分、このような世界情勢である。かなり難しいのではないかと考えながらの提案ではあったのだが……
リズの予想とは違い、アスタレーナは中々楽観視しているようだ。
「あなたの名前で私が呼べば、まぁ、来るでしょ」
「……そういうもんなの?」
「あなた、こういうことにかけては謙虚なんだから……」
やや呆れ気味のような、優しい笑みを向けるアスタレーナであった。
「それで、日取りなんだけど……私が決めていい?」
「実際に攻めに行くのはあなただし、あなたの都合に合わせるべきでしょうね。さすがに、今日明日とかだと無理だけど……」
「まさか。ある程度は日を置いた方が調整しやすいでしょ?」
そこでリズは、第一候補として同月20日を提示した。
アスタレーナにとっても都合の悪い日ではないとのこと。後は他の客次第で、どれだけ集められるかといったところ。
その日に合わせて”調整”を進めてきただけに、まずはこれが通って何よりであった。




