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第365話 果てのない円環の中で

――汗だくになりながら、寝床から身を起こしたリズは、心配そうに自分を見つめる魔族らに尋ねた。


「今日は、聖王歴613年11月5日で、あっていますか?」


「ああ、そうだが……」


 そんなやりとりは、記憶の(かすみ)の中で、どことなく既視感があった。

 かすかに見える線を頼りに、薄い絵の具を何度も塗り付けていったような。


 《時の夢(クロノメア)》の魔法陣が鎮座する虚空を後にして、今回もリズはダンジョンの入り口へと向かった。テーブルで待つのはニコラとルーリリラ。

 彼女らにとって、今回のリズが実質的に何度目の起床になるかはわかっていない。

 実のところ、起きたばかりのリズもまた、それを知らない。

 全てを知ることになるのは、前回の試行で心に刻んだものを取り出す時だ。


 前回の記憶は、やはり思い出そうにも思い出せない。ただおぼろげに浮かぶだけのイメージとの格闘を諦め、リズは本命の手段を試みた。

 精神を深く潜航させ、自分だけの大図書館、《叡智の間(ウィザリウム)》へ。


 そこで自身を待ち受けていたものに、彼女は面食らった。

 《時の夢》影響下における試行に次ぐ試行。血みどろの過程で書き連ねた日記や報告書、戦術・戦略の考察は、今や複数の書架を満載するに至っている。

 心の中で書架の間を歩いてみると、「なるほど」とうなずけるものはあった。素のままの自分が残した、編集前の随筆はそのまま保存した上で、これらをベースに編集・編纂した書物も並んでいるのだ。

 全体の数量も膨れ上がろうというものである。


 では、一体誰がここまで読み込んで清書してきたか。少し考えれば、すぐにわかることであった。書架の横に姿見が置いてあり、ご丁寧にも張り付けられたメモには「編集要員」との記載まで。

 夢の中、姿見から出てくる分身たちに手伝わせていたのだ。分身たちに未知の本を読ませても、それで得たものが現実の自分の知識に反映されるわけではないのだが……

 《叡智の間》の中で分身が本から本をせっせと作り出す分には、何ら問題ないというわけである。


 それにしても、随分な働きぶりである。過去の自分たちの精勤に、思わず感心と圧倒されるものを覚えつつ、今のリズはとりあえず複数の書物を手に取った。直近の試行で得た情報である。

 それから彼女は、図書館中央にあるテーブルに目を向けた。卓上に広げられた紙に、魔力で何か記されている。それを見てみると――


「最初に起きたら書き換えること。現在、ループ98回目」


 これを初めて目にしているということは、今回の試行は99回目だ。


(キリがいいような、悪いような……)


 そんなことを考える自分に苦笑いしながら、リズは今までの自分たちに倣って、数字を書き換えた。

 とりあえずの用事を一通り済ませ、彼女の意識は現実世界へ。心の中に潜っていた時間はそれなりにあり、静かにしていた二人は少し心配そうであった。

「ゴメン、待たせたわね」と柔らかな笑みを向け、リズは心の中で手にした本の転写を始めた。テーブルに置かれた白本へ、魔力がリズの中の記録を刻み込んでいく。


 心の書架に書き留められた大量の書物から、これまでの道のりは察することができる。

 だが、その実感はほとんどない。どこか他人事のようにも思える感覚も、過去の自分が残したものを目にすれば、少しは変わってくるだろうか?

 期待と不安を胸に、リズは一冊目の日記を書き終え、さっそく開いてみた。日記には最初に注意事項の記載がある。これらの箇条書きは、過去の自分たちがそれぞれのタイミングで書き足していったのだろう。

 そうした注意事項の最初の方に、このような記述が。


・なるべく、絵を多く残すこと。目にしたものを心に焼き付けること。そうすれば、後で思い出せるから


 確かに、ページをいくらか(めく)ってみたところ、その方針が活きている。日記には普段の自分が書き記すよりもずっと多く、絵や図が用いられている。

 心に焼き付けた光景を、そっくりそのまま魔力の筆に任せて描いたものも。

 世界各地、特にヴィシオスを訪れて目にしたもの。出会った人々、その生活。

 そして、出くわした敵たちと、その戦いの一幕。


 目にしたありのままが、薄れていた記憶を揺さぶり、微睡(まどろ)みの奥底から呼び起こしていく。

 全てを完全に思い出したわけではない。

 だとしても一一自分自身が積み重ねてきたことだと感じられる。



 自身の死を前提に、幾度となく人生のパターンを試しては情報収集に励んだリズ。

 情報を重ねてもなお、手探りの部分はかなり多い。自身の機転で柔軟に動かなければならない戦いであったが、一つ心に定めた黄金律があった。


 一言で言えば、「捨てない」ということである。


 自分が死んでも、亡き後の世界は自分抜きで普通に回っていく。彼女はそれを良くわかっていた。

 だからこそ、それまでの試行で得た情報を遺書として残し、次の戦いへと向かった。

 それぞれの世界で、よりよい未来を、人々が可能な限り早期に(つか)み取るために。


 その回のパターンで最良の結果を出せるなどと、楽観的に考えることはない。

 だからといって彼女は、決してそれぞれの世界を捨て石にはしなかった。


 そして……幾度となく繰り返す、11月5日からの旅路の中、彼女は人々との出会いの全てを大切にした。いずれの出会いにしても、結局は一過性のものに終わる可能性を重々承知しつつも。

 生と死を繰り返す果てのないループの中、愛すべき人々という重荷の存在が、彼女の闘志を燃やし続けた。死でさえ奪うことのできない熱となって。だが――


 誰にでも限度というものはある。



 127回目のループにて。《叡智の間》に集う自分たちの前で、リズ本体は気怠そうな口調で言った。


「では、えーと……第533回目、自分内会議を始めま~す」


 これにまばらな拍手で応じる分身たち。

 彼女らの装いは様々だ。本体の意識は現実を反映して町娘然としたものだが、娼婦を装った煌びやかなリズもいれば、軍服に身を包むリズも。


 ニコラの協力もあって様々な潜入ルートを模索した結果、彼女は実に様々な形で成りすましてきた。

 そうした中、自分内会議を重ねるうちに、せっかくだからという気晴らしで分身たちがこうしたコスプレを行うのが通例になっていった。


……このような気晴らしが必要になる程に、今のリズは行き詰まりの時を迎えているのだ。大きなため息を一つついて、リズ本体が口を開く。


「何か妙案ある私は?」


 自分たちを見回しても、これといった考えが沸いてこない。

 今、ヴィシオス潜入は大詰めの段階に差し掛かっている。連合軍を用いた連携が奏功し、ヴィシオス王城内から幹部クラスが相当数、外に出払っているのは確認済みだ。

 こうして城を出た幹部の始末については、潜入による内部情報の入手という体裁で、今までに知り得た情報と策を連合軍に提示してある。そちらもうまくいくことだろうが……

 大局的に大きな有利があるかというと、微妙なところだ。


『どうせ補充されるしね』


『補充されたヤツの分まで、調査するってのも……キリがないんじゃない?』


『とはいえ、こういうのって上澄みからやってくるものでしょ? 徐々に弱くなっていくと思えば、あまり苦にならないんじゃない?』


 一度火がつけば、議論は活発になる。

 それでも、状況に対する閉塞感はあった。


 リズが念頭に置いている、戦略の最大目標は、この戦乱の早期解決。

 そのために果たすべきは、大魔王ロドキエルの始末。

 だが……


また(・・)挑んでみる?」


 誰にとは言わずとも、自分たちには知れた話である。


『勝つための材料がないんじゃ、ちょっとね』


『このままじゃ、新しい何かを引き出せるとも思えないし』


 最終目標に手が届く状況まで、盤面を詰めるルートは模索できている。

 だが、最後のその一手が成るという感じがしない。


『時間をかけ過ぎたかも』と、分身の一人が言った。

 今は聖王歴616年の夏。《時の夢》を用いたまま、3年近くが経過したところだ。

 長引かせれば、大魔王までの道を開く状況は整えやすい。しかし、長引かせることそれ自体、最後の戦いを大きく不利にすることもわかっている(・・・・・・)

 だからといって、どのタイミングで仕掛けようと、埋めがたい力の差があるのではないか。いつ仕掛けるべきかのジレンマに加えて、根本の問題に、場の空気が重いものに。

 そんな中、一人のリズが手を挙げた。


『ねえ、すっごく、その……』


「何?」


『バカげたアイデアを考えたんだけど』


 この発言に、他の全てのリズが口を閉ざし、一斉に居住まいを正して耳を傾けた。結局のところ、本体も分身も、出どころは一人の人間であり……

 全員、常軌を逸したところがあるのだ。

 潜在的な意識の一部が形を成した、その一人のリズが、静まり返った中で口を開いていく。


『たぶん、今まで以上にみんなに迷惑かけてしまうと思うけど――』

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