第36話 騒動の後始末
会談を終えると、リズは立ち上がって背後に向き直り、「大変なご迷惑を」と深く頭を下げた。
事に臨む直前、急な話ではあるが竜に事情を説明し、この場を借りる許しは得ていた。
それでもやはり、彼女の中には確かな申し訳なさがある。巻き込まれるような事態には発展しないだろうが、その威を借る結果にはなった。
しかし、竜は寛容にも、話を持ち掛けた時と同様に笑い飛ばした。
「我が姿を見た途端、向こうの困惑が伝わってきたようでな。いやはや、何もする気はないというのに……それなりに面白い”見世物”ではあったのう」
「いえ、とんだお耳汚しを」
「ところで……収穫の頃合いまで待つと、向こうはあっさり認めたが、お主もずいぶんとあっさり信じたものだなァ」
竜は半目をリズに向け、まじまじと見つめながら問いかけた。
収穫まで待ってほしいという例のお願いは、ラヴェリア側からすればバカげた挑発のように聞こえたかもしれない。もとより、国賊であるリズの頼みを受け入れてやる道理もない。
しかし、長兄ルキウスは、その頼みを二つ返事で聞き入れた。
その時の事を思い出し、リズは竜に答えた。
「何かしら、長兄にも思うところはあるのかと。約定を反故にするような方ではないので、その点は安心しております。それに、あなた様が証人ですし」
「ウーム、抜け目ない娘よのう……」
ただそこにいるだけで、色々とリズに利用される形となった竜だが、彼女の機知と強かさには、感心と呆れ入り混じる反応を示した。
一方、そういう懐の深さを利用した自覚があるリズは、改めて深々と頭を下げた。
それから、彼女は亡骸の方へと目を向けた。
こちらも竜を仲立ちとする約定の対象であり、会談の後にすぐ解放されたようだ。
《幻視》を用いたリズの目に映るのは、今ではほんのかすかな魔法の痕跡だけ。
知覚共有と、発話操作を可能にする魔法、おそらく死霊術に属する何かは、すでに解除されている。
こうして、ラヴェリア側に感知されていないことを確認したリズは、とっておきの禁呪を用いた。
国の大図書館にこっそり忍び込み、覚えるためだけに数ヶ月。同じく数ヶ月かけて身に着けた、空間操作系の大魔法だ。
彼女の技量でも、瞬間的に記述というのは難しく、慎重に複雑な術式を書き上げて魔法陣が完成した。
すると、魔法陣を刻まれた地面が、そこだけ光差さない影のように暗くなり、そればかりか表面が波打ち始める。
そこへ彼女は、地から引き抜いた魔剣を突き刺した。
いや、地に突き立てられたように見えた魔剣は、実際には地面に刺さっていない。彼女が柄から手を離しても、あたかもそこが底なし沼であるかのように、魔剣はスルスルと魔法陣に呑み込まれていく。
これに抵抗できない魔剣は、『や、止めてくれぇ……」と、弱り切った声を上げて、最終的には魔法陣の中に消えてなくなった。
「消してしまったのか?」
「いえ、仕舞っただけです」
リズは宙に別の魔法陣を刻んだ。先よりも速くに書き終わったそれは、宙に浮かぶ、黒く波打つ奇妙な膜へと変じた。
そこに彼女が手を突き入れると、宙がグニャリと歪み、差し込んだ右手の先が見えなくなる。
すぐに歪みの先で何か掴み取った彼女は、腕を引き抜いた。すると、魔剣の柄から刀身の付け根程度までが現れる。
そこまでを竜に見せた後、彼女は再び魔剣を突き入れて、歪みの中へと仕舞い込んだ。
これに「ほう!」と感嘆の声を漏らす竜。
「便利な魔法もあったものよ」
「《超蔵》という禁呪です。習得には手を焼きましたし、内容物の維持管理に魔力を継続して奪われます。便利といえば便利ですが……」
「フム、貯蔵品は厳選する必要はあるわけか。あの魔剣は、負担に相応しい宝物と?」
「鞘がありませんので、仕方なくといったところですね」
魔剣の始末も終えたリズは、倒れ伏す遺骸に向き直った。《念動》で宙に浮かせ、これをふもとまで運んでいく算段である。
最後に暇を告げようと、再び竜に向き直るリズ。
すると、竜は問いかけた。
「その者、罪人であろう?」
「そのように思われますが……なぜ、それを?」
「単に、使われる傀儡でしかなかったようだからのう。先方に、その者を気遣う様子も感じられなんだ」
この言葉に、リズは恥じらいを見せた。死者に対してこういう扱いをする親族を、心底恥ずかしく思った。
――いや、自然死したのならまだしも……おそらくは、このため彼を殺めて、ちょうどいい操り人形としていたのだ。
血を分けた妹の凶行に、思わず顔が暗くなるリズ。
そんな彼女に、竜はどことなく優しい口調で言った。
「別に、お主が弔ってやることもないと思うがのう。意外と優しいではないか」
「いえ……罪人といえど、このような仕打ちを受ける謂れはないはずです。これは、明らかに法を逸脱しています……彼を赦す権利は、私にはありませんが、こういうことはきちんとしておきたいので」
「せめてもの慈悲か?」
「それもありますが……こうでもしないと、自分を保てないようにも思いまして……」
伏し目がちになって、リズは答えた。
今の彼女の思いは、よほど追い込まれなければ殺しに走らない理由と、相通ずる物がある。そして、その自覚が彼女にはあった。
一度、本当に下劣な何でもアリに手を染めてしまった時、歯止めが効かなくなるのではないかという危惧が、彼女にはある。
できるかぎり相手を殺さないのも、死者に対する最低限の礼節を保つのも、彼女にとっては同じようなことだ。
つまるところ、リズは――
「私は、自分のことが大好きですから。この自分を保って、笑って過ごせるようにしたいのです」
彼女は竜に向き直り、真顔で言ってのけた。
これを正面から受け止めた竜は、やや間をおいてから楽しそうに笑い、全身を少し震わせる。
その後、リズは改めて竜に別れを告げた。
「お騒がせいたしました」
「たまにはこういうのも良かろうて。お主も知っていようが、本当に客がおらんでな」
「私には、少し羨ましく思えます」
皮肉と捉えられかねない言葉だが、リズは素直に口にした。
一方、これを竜は笑い飛ばす。
「クァッカッカッカ! お主、おそらくは一人でも、充実した生を生きられようが……それでも、他人の存在を欲する時があるのではないか?」
「……否定できません」
「それでよい。若い内から、あまり乾いたことを言うでないぞ」
鷹揚な竜の在り方に、リズは表情をほころばせた。そして、竜が最後に念を押す。
「野菜、忘れぬようにな」
「はい。約束は守ります」
「長兄殿とも、な」
この言に、リズは思わず苦笑いした。
☆
埋葬等の後始末を終え、リズがメルバの町に戻ったのは、その日の夕方のことであった。
万一のためにと《遠話》を町に用意していた場合、彼女はむしろ、それを逆用される懸念を抱いていた。
そのため、街への連絡手段は特にない。
こうして報告なしでの帰還となり、門衛は大いに驚いた。
「ご、ご無事だったんですね! 今すぐ、みなさんをお呼びします!」と、若い門衛が口にした。
呼んでもらえるのなら、リズとしても都合がいい。このまま町には入りづらい事情もある。
「よろしくお願いします」と返すと、門衛の彼はさっそく動き出した。
彼と組んで当直に就く、もう少し年配の門衛も、リズの帰還には安堵の表情を浮かべた。
が、彼は何やら奇妙なものに気づいたようだ。目を細めながらリズに問いかけてくる。
「あれは、一体?」
「戦利品と申しますか……件の敵かどうか、検分していただきたく」
異空間に《インフェクター》を収納した彼女だが、男の埋葬の途中で思い直し、町の近くで取り出していた。
今では自身からだいぶ距離を置いて、《念動》で浮かせてある。男が着ていた、フード付きの上着も一緒だ。
事態の終息を確認・宣言しようにも、まさか例の男の亡骸を持ってくるわけにもいかない。
その代わりに魔剣と、特徴的な衣服を……というわけだ。洞察力や記憶力を求められる巡視隊員であれば、これでも十分に判別可能であろう。
また、魔剣に直接手に触れずに《念動》で操っているのは、町の者にあらぬ不安や懸念を抱かせないためだ。
程なくして、関係者一行が町の入り口へとやってきた。
巡視隊に、町長に、フィーネ……全員がリズの帰還にホッとしているようだが、細かな傷をいくつも負っている彼女に気遣わしい目を向ける者も少なくない。
とりあえず、念のためにと、フィーネはお得意の《呪毒相写法》をリズに用いた。
結果は安心を裏切るものではなく、特に呪いもなくキレイなものだ。
一方、ここまで自分にかけるのを忘れていたリズは、ややバツの悪い思いをした。
つい最近になってせっかく覚えたというのに、適切な機会を逃すようでは……と。
ともあれ、一行と帰還の安堵をひとしきり味わったところで、リズは話を切り出した。
「おそらく、一連の事件の首謀者と思われる者を始末しました。下手人はやむを得ず殺害し、その場に埋めましたが……彼の者の装いと武器だけでも、皆様に検めていただければと」
「わかりました」
当時のことを思い出したのか、巡視隊長は表情を引き締め、硬い声音で返した。彼に続き、緊張感を漂わせる隊員一同が、宙に浮いたままの魔剣へと近づいていく。
彼らにしてみれば、同僚を斬った恐ろしい魔剣だが……リズのなすがままというのが伝わったのか、落ち着きを保って確認に取りかかれている。
魔剣の側も、リズとの間の格付けが済んでいるおかげで、今はおとなしいものだ。
――何か下手な動きをすれば、即座に恐ろしい目に遭う。そういう恐怖が実際、本身に刻み込まれかけたということもある。
一通り魔剣を確認し終えた隊員たちは、少し言葉を交わした後、これが例の魔剣であることを認めた。「お疲れさまでした」と深く頭を下げる隊長。
しかし彼は、少し間を空けてリズに尋ねた。
「エリザベータさんにとっては、因縁のある敵かもしれないとのことでしたが……実際はいかがでしたか?」
顔や声音に含むところはない。事務的かつ、形式的なものに聞こえる言葉だが、リズは全身が少し強張りそうになる感じを覚えた。
「……思った通りで、前の仕事で恨みを買った悪党でした」
突拍子もない真実を伝えるよりは、信じてもらえるように嘘を混ぜることを、彼女は選んだ。
完全にはぐらかすことは良しとせず、なるべく真実に近い形で。
このメルバの町、そして実際に斬られた隊員にしてみれば、単なる巻き込まれ損である。そんな彼らから、どう思われることか――
リズにとっては、肉親より無辜の民の反応の方がよほど恐ろしい。彼女はただ黙して、町の裁断を待った。
片やこの場の町人たちは、互いに顔を見合わせ……町長か、巡視隊長、いずれかが話すという場の流れになっている。
やがて巡視隊長が口を開いた。
「我々があなたの仕事を手伝った……そう見るのが妥当でしょうか。あまりお役に立てたとも思えませんが」
苦笑いする彼から出てきたこの言葉に、リズは返答に窮し……昼間の会談よりもよほど間を空けて、やっと言葉を返した。
「ご理解、ご恩情賜り、ありがたく存じます」
「いえ、本当にお疲れさまでした」
そう言って隊長が軽く頭を下げると、他の隊員もそれに倣った。
彼らよりも深く頭を下げるリズは、体験したことのない感情の渦に打ち震えるばかりであった。
さて、今回の一件について、戦利品の正体を町は知らない。
リズとしては悩ましいところだが、この魔剣の刀身に呪いの力があると、明るみにすることを選んだ。
こうなると、どうやって魔剣を安全に封印するかが問題になる。
そこで彼女は頼み込んだ。
「余裕を持ってこの刃を覆える程度の板を2枚、それと釘と鎖と金槌をご用意いただけませんか?」
「その程度なら」
リズが何をするつもりでいるのか、皆にはすぐ伝わったようだ。
早速、若い隊員が動き出して物品を調達し始め、程なくして希望の物が一通りそろった。
リズはまず、板を合わせて鞘を作り始めた。見た目は適当である。刃を板で挟み、釘を適当に打ち付けていく。
木製の鞘ができ上がったところで、仕上げに鎖でさらなる固定を。鞘と柄、鍔に巻きつけ、容易には抜けないようにしていく。
結果、ものの十数分程度で、リズなりの封印が完成した。
王宮の宝物庫に封印された伝承の魔剣としては見る影もない、デザイン性の欠片もない封印だが、これで間違いが起こることはないだろう。
☆
こうして、魔剣が引き起こした一連の騒動は、完全な決着を迎えた。
メルバの町の公式発表としては、呪術と剣術を操る狂人が現れたとした。これを、どこからともなくやってきた旅人が始末したと。
不気味な一件ではあったが、人々の間で話題に上がることはすぐになくなっていった。
これは、被害に遭ったのが主に鳥獣だったということ、終息宣言の後、同様の現象が本当に起きなくなったことが原因だろう。
そして、騒動の主役である魔剣は、不格好な封印が施されたまま、リズの禁呪によって虚空の倉庫に漂う日々を送っている。




