第364話 想いは時空を超えて
否応なしに引き締まる空気の中、リズは該当ページを捲って文字を追っていく。
当時は戦闘中ながら、思考加速の力を借りて、戦闘中の心の流れを胸の内に刻んで書き留める事ができていた。無論、倒されてしまった身において、当時の心の流れを改めて清書する余裕などはなかったのだが……
ややまとまりに欠く思考の流れの記述においても、特筆すべき事項は明らかであった。
「まず、そいつと交戦したのは王都官庁街の街路だったんだけど、最初の応酬の後、すぐに異空間へと連れ込まれてる」
「異空間というと、このダンジョンみたいな?」
「ダンジョンが出来上がる前の、あの虚空ね」
彼女らにとって虚空は、決して馴染みない空間というわけではない。
しかし、攻防の最中ではないとはいえ、戦闘の一時的な切れ目に連れ込めるとなると――相当の術者というのが、それだけでうかがい知れる。
さらに緊張が増す中、ルーリリラが何やら訝しむ様子を見せた。
「しかし……リズ様が連れ込まれた後、その空間で普通に戦闘が再開したのですか?」
「……そのようね。私を置き去りにするって選択もあったでしょうけど」
そのあたりの疑問は、当時の自分にもあったらしい。
ただ、戦闘の経過とそれに伴う思考の流れを読み進めるにつれて、謎が少しずつ明るみになっていく。
「――あまり認めたくはないけど、そいつは私よりも上手みたいで、いくら攻めても当たらなかったみたいね」
「リズさんが本気でやっても?」
「手を抜ける状況でもなかったでしょうし……あ~、それで、相手がこっちの思考を読めるんじゃないかって考えたみたい」
「思考を、ですか」
異空間への連れ込みだけでも恐るべき相手だが、さらに思考まで読み取れるのではないかという。
三人にとって、にわかには信じがたい話ではあったが、そのような推定に至るだけの材料があった。当時の敵にも読まれていたであろう、もう一人の自分の思考について、リズは二人に読み上げていく。
思考を読まれていると判断できる理由はいくつかあった。まず、戦闘そのものにおける、異常な手際の良さ。フェイントや時間差での連撃を巧みに織り込んだ四次元的包囲に対しても、相手は何一つミスすることなく切り抜けて見せたという。
単に運がいい、あるいは見てから反応した、というのでは片付けられない状況であった。
となると、攻撃側であるリズの思考を読んで、攻撃の流れの先を見抜くか、あるいは未来予知でもできるか。そういった超常の力を持つ敵だと仮定する方が妥当と思われる。
また、そもそも異空間へ連れ込まれた時点で、相手にその選択をさせた理由に思い当たるものがある。
というのも、現実世界における最初の応酬の後、戦闘の切れ目に逃げの算段を思い巡らせたところ、突如として異空間へと招待されたのだ。これは逃げの一手を封じるための選択と思われる。
当時の自分も、先読みについては察するところがあったようだ。
加えて、今のリズたちは落ち着いた環境下で、当時の状況を客観視できる。当時のリズが残した、自身の思考の流れと、実際に起きた出来事。双方の記録を比較検討すれば――
逃げの意向を読まれた上で、異空間へ連れ込まれたのではという疑念は、より妥当性が増すように思われた。
それからもう一つ。
「さっき、ルゥさんが指摘してくれた件ですが、異空間へ連れ込んでおいて置き去りにしなかったのも、私が転移を使えることを読めたからこそ、ではないかと」
「ああ、なるほど……置き去りにするはずが、実際には見逃す形になっちゃいますもんね」
「そういうこと」
「……とはいえ、これらの思考も、当時のリズ様にとっては状況証拠による推定だと思われるのですが……何か、確たる証拠は掴めたのでしょうか」
「それなんですが……」
当時の自分は、相手を攻め立てる分にはあまり言語化された思考を持っていなかったらしい。その代わりに、相手の力を探るための思考の方に、多くの言葉を費やされている。書き連ねられた推察の流れを目で追い……
リズの目が留まった。
「ま、マジで?」
思わず口から出る、砕けた表現。息を呑む二人。ややあって、リズは日記から視線を上げ……実に言い出しづらそうに、読んだままの事を告げた。
「え~っと……女の子の裸を思い浮かべて、相手の反応をうかがったとか。いや、相手が青年に見えたからってことでしょうけど……」
我がことながら、信じがたい想いを抱くリズ。
しかしながら……今回の自分が死んだ後、次の自分に読まれる事を前提に置きながら、死地にあって心の中にわざわざ虚偽の記述を残すか。
それとも、こういうことをしてまで、相手の反応を誘って重要情報を抜き出そうと試みるか。
どちらがあり得るかと言えば、圧倒的に後者であった。
「心読ませてハダカ見せたってことですけど……私たちのも?」
「ゴメンなさい……」
申し訳なさと恥じらいに頬を少し赤らめ、リズは上目遣いになって二人を見た。
ニコラはケロッとしたもので、こういったことには耐性があるのだろう。むしろ、恥じらうリズの姿に、珍しいものを見たといったニヤニヤ顔だ。
一方でルーリリラは、リズ以上に恥じらいを見せている。
――間違っても、彼女の裸体が魔族相手には一番効果的だったなどと、そんな余計なことは言えない。
当時の自分が残した所見を捨て置き、リズはわざとらしく咳払いした。
「ともあれ、これで確証を得たというわけで……」
「相手が、何か反応してくれたんですか?」
「恥ずかしがってくれたみたい」
残された報告を端的に告げると、ニコラは「プッ!」と笑いを漏らした。
「私たちよりもずっと、敵の方がかわいらしいじゃないですか、まったくも~」
『私たち』の中に自分も含まれることを認めつつ、リズは力ない苦笑いを浮かべた。
当時の自分の捨て身によって、重要な情報を抜き出せたのは事実だ。この世にとっても大きな財産となろう。
ただ、気がかりな点も。
「当時、《乱動》は使っていなかったのですよね?」
「そのようです。どちらかというと、私の方が離脱したい側だったからでしょう。となると、《乱動》は邪魔になりますし」
「《乱動》の情報を読み取られた様子はありますか?」
ニコラの問いに、リズは何枚ものページを捲っていく。
「《乱動》についての言及は、ほとんど見当たらないわ。考えないようにしていたというよりは、そもそも使いたい状況になかったというか。読まれなかった分、運が良かったというべきかしら」
「しかし、何かの拍子に気取られ得るものと考えた方が、安全かもですね。相手の方が転移に長けているようですし」
「そうね。何か、返し手を知っている可能性だって、無いとは言い切れないし……」
そうして話し込む中、はたと口を閉ざしてリズは考え込んだ。
「こういう話をしていること自体、リスクはあるのかも」
「というと?」
「いえ、この……ヴィクトリクスっていう心を読んでくる奴に出会ったら、心を読まれるってどうしても考えちゃうじゃない」
「そうなると、『どうして知ってんだ』って話になりますよね。読心よりも更に高次の何かを使われてると、悟られる恐れはあるのかも……」
思いがけない難敵の存在に、議論が一度行き詰った。この段階で気づけたのが幸いだったというべきか。
そしてさらに幸運なことに、親友は聡明であった。いつになく言い出しづらそうな様子のニコラだったが、腹を括った表情で話し出す。
「ちょっと抵抗がある発言になりますけど……」
「いえ、遠慮なくどうぞ」
「……今回のパターンでは、そのヴィクトリクスとやらとの遭遇を避けるべきとは思います。ですが、次回以降の遭遇においては、工夫次第でごまかせるのでは?」
そうは言われても、すぐには合点がいかないリズ。今もこうして、ヴィクトリクスについて考えてしまっているというのに。
本人に出会った時、心を読まれることを考えずに済ませられるだろうか。だが……
「《時の夢》について、禁書を色々と読み込んだんですけど……今こうして話している事は、次のリズさんには引き継がれなんじゃないですか?」
指摘を受けて、リズの脳裏に稲妻が一閃した。
ルーリリラもまた、この発言に気づきを得たようで、膝を叩かんばかりの二人を前に、ニコラは話を続けていく。
「今回みたいにヴィクトリクスについて考えてしまったなら、その回では遭遇を避けるべきでしょうけど、次回以降は必ずしもそうではないと思います。こういう”反省会”で話題にならなければいいんですから」
「いや、あなたの言うとおりね。すごく単純な話だったけど、うっかりしてたわ」
「それと……心を読まれてるってことを、事前に知っているのを読まれるとマズいわけですが」
入り組んだややこしい表現に、自然と苦笑いになる三人。
「ヴィクトリクスが心を読んでくることを知らない、次回以降のリズさん向けに、向こうに怪しまれないような対応法を残しておくことも、できないこともないと思います《叡智の間》経由で残す情報に、その辺を考慮した検閲を加えればいいわけで」
「そうですね。リズ様の中の記録を清書する際、全てを記したものとは別に、ヴィクトリクスとの遭遇を見越して場合分けした手引書というのも……」
心を読めるという難敵の登場に、死んでも情報を持ち帰る作戦そのものが暗礁に乗り上げかけたが、事なきを得そうである
親友らの建設的な提案に満足を覚えつつ、リズはページを捲っていき……議論がひと段落したところで、落ち着いた口調で言った。
「それで、私が倒された時のことだけど……いきなり、透明な刃に斬られたみたいで」
「突然現れたって感じですか?」
「そうね。たぶん、転移関係の何かだと思う。成すすべないまま、全身を斬りつけられたようね」
そのあたりの記述を目に、リズはため息をついた。
「とりあえず、ヴィクトリクスと遭ったらアウトね」
「ですね」
いずれ倒さねばならない敵には違いなかろうが、遭えば情報収集はそこで終了だ。次の試行への切符――死の経験――が、決してタダではないことを考えれば、それぞれの試行で、意識的に行き止まりへ向かう意味は薄い。
彼への対処は大きな課題とした上で、リズは話の先を続けた。
「倒された後は、ヴィクトリクスと会話したみたい」
「会話を?」
「なんていうか、思っていた以上にまともらしくて。敵ではあったけど、こちらを尊重するような態度だったみたい」
これを耳に、複雑な表情になる二人。
「……で、会話中の隙を突いてフィル様たちが介入して離脱。そこから、ヴィシオスで世話になった方々も撤収していって……私はラヴェリアへ連れていってもらったようね」
「ラヴェリアへ?」
「ええっと……」
前回の試行の最後に差し掛かり、長かった日記の最後が、今のリズの視界に入った。最後に残った、短い言葉。
『ガンバレ、私』
思わず顔を綻ばせつつ、彼女はその最期に至るまでの過程を目で追った。
「ラヴェリアへ行った理由は、大きく分けて二つ。まずは、この回での施行における情報を、形にして残すため」
そういってリズは、テーブルに置かれた別の日記を指さした。
「今読んでる二冊とは違って、事前に書き留めておいた本を、虚空から引っ張り出したって感じだけど」
「さすがに、その場で転写するだけの余裕はなかったということですね」
「そのあたりも課題かしら」
いざという時、どのように情報を残しそれを伝えておくか。ループ2回目以降ともなると、以前の分も込みで考えておかなければならない。
これも要検討事項とし、リズは話を戻した。
「ラヴェリアへ行ったもう一つの理由が……陛下に聞きたいことがあったから」
「聞きたいこと……」
半ば察しがついているかもしれない。黙して真剣な視線を向ける二人に、リズは柔らかな微笑を向けた。
「お察しの通りだけど、私が生まれた理由を、産ませた本人から問いただしたくて。ただ……思っていたよりも色々と聞けちゃったみたい」
そのあたりを言うべきかどうか迷ったリズだが――結局、言ってしまうことに決めた。言いふらすような二人ではないという信頼があった。
それに……思っていたよりも、父がどうしようもない人間ではないと知れたからだ。
今の自分が直接聞けた言葉ではないとしても、前の自分が残したもの、それを目にしての素直な感情に、リズは応えることを選んだ。
幼き日、目にレガリアの力を宿してからの、父王の半生。そこから続く物語を語り終え、リズはフッとため息をついた。
口を閉ざして耳を傾けるばかりの二人は、ただただ圧倒されたようである。リズの育ちや境遇を知っていたからこそ、あの王に対しては何かしら思うところあったことだろうが……
「ま、そうするだけの理由はあったってことね」
そうされた当の本人が、サラリと言ってのける。
話はこれで終わりと、リズは本をぱたんと閉じた。
引き継いだ情報について、ざっと目を通すことはできた。これからは、その情報を活かした上で、どのように動くかを検討していき――
確実に、次へと繋いでいかなければ。




