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第363話 私の夢は壊せない

 一度の死を経て、夢の中の数か月の記憶は、今や(かすみ)の彼方へ消えかけている。

 しかし、『記憶』はなくとも、『記録』を留められるのではないかという考えが、リズにはあった。


――彼女のレガリア、夢の中の大図書館、《叡智の間(ウィザリウム)》を使えば。


 夢の中でいくら暴れても、結局何一つ破壊されることのない、この精神空間ならば。

 意識的に読んだ覚えはなくとも、書物を転写する形で内部に取り込めさえすれば、後で蔵書として読み返せるこの大図書館であれば。

 生身の精神が、死の経験と時の巻き戻しに堪えられずとも、この《叡智の間》ならば、刻んでおいた記録をそのままに留めておけるのではないか。

 そうしたリズの考えには、確信というよりは自身への信仰に近いものがあった。


 テーブルの上に置かれた白本に、リズはそっと手をかざした。所作に落ち着いたものはあっても胸の中は、はちきれんばかりである。

 固唾を呑んで見守る二人の親友を前に、彼女は瞑目して深呼吸し、精神を自身の奥深くへ潜行させていく。

 闇に浮かぶ大図書館の床に精神が降り立つや、彼女は意識を書架の一つへ向けた。納入したばかりの書物が置かれる、一時的な書架だ。

 《時の夢(クロノメア)》を使う直前、寝入りの時にはその棚を片付けておいた。


――果たして、片付けておいたはずの棚に、身に覚えのない書がいくつか。


 背表紙に視線を巡らせ、彼女の意識はそのうちの一冊を手に取った。

 意識を現実に戻し、目を開けた彼女は、浮足立ちそうになる顔を必死に抑え込みながら白本への転写を始めた。心の中で(つか)んだ書に刻まれているものを、そっくりそのまま写し取っていく。

 成功の確信を胸にし、胸の内では大いに弾むものを感じながらも、幾度となく窮地を切り抜けてきた指先は揺るぎない。静かだが、どこか心地よく高揚させる緊張の中、魔力の光が粛々と書に転写作業を進めていき……

 第一冊目の転写が完了した。


 フッとため息の後、緊張で固まる二人にリズは言った。


「中身が無事とは限らないけど」


 とはいえ、《叡智の間》の中で、背表紙は無事だった。ガワだけが無事で中身は……ということもないだろう。

 彼女は自分の力を信じ、書を開いた。


 背表紙通り、中身は日記であった。《時の夢》から起きた後、第一順の試行における事の流れが記されている。

 こちらの世界(・・・・・・)では生じていない出来事の羅列だが、真実味は十分に感じられる。というのも、前々からの構想を実行に移したものだからだ。


 そして……書に記されたものを目で追いかけていくと、霞の果てに消えた記憶が、少しずつその姿を取り戻していく。

 完全に思い出すとまではいかない。

 だが、本を開けてすぐは、他人が記したように感じていた内容が、今ではこの自分の経験として信じられる。

 決して愉快な記憶ではないが、それでも、おぼろげな記憶が徐々に輪郭と色彩を取り戻していく感覚には、圧倒されるものがあった。


 過去の才人たちが、可能性を感じながらも結局は諦めざるを得なかった、《時の夢》。

 魔導師として、そして何より生ある者としての限界を問うこの禁呪に打ち克ち、出し抜いた。

 確かな満足を胸に、リズは「うまくいったわ」と言った。


 もっとも、これは高すぎるハードルではあったが、これからの戦いの前提条件でもある。

 まずは最初の戦利品を手に、リズは前回の試行での流れを告げていった。


「最初は、世界各地の拠点奪還に動いたわ」


「相手方の反応を見るためですよね」


「ええ。でも、中々反応がなくて。結局は手じまいにして、今度はヴィシオス本国へ向かうことにしたんだけど」


 ヴィシオス行きというのも、かねてより構想の中にあったのだが……実際にそれをやったという流れに、二人が息を呑む。

「"まずは"陸路で、でしょうか」と尋ねるルーリリラに、リズはうなずいた。


「そうですね。ルブルスク国境から、山岳地帯を超えていく形で。ルートは……この通りです」


 彼女は、それまで自分で読み進めていた本をテーブルに置き、二人にも見えるように広げてみせた。

 そこに記されているのは、ルブルスク最前線拠点からヴィシオスの国境沿い、ラバス地方に至るまでの地図である。地形図に加え、いくつかの侵入ルートと、実際に辿った道のり。道中で発見した物から、ヴィシオス側警備網の簡潔な書き込みまで。


「これ、手書きですよね?」


 手書きにしては精緻な地図を前に、ニコラが目を白黒させる。


「まぁ……実際の地図を模写したから、これぐらいの精度は」


 魔導書への書き込みにおいては病的なまでの精密さを誇るリズの技巧が、ここでも生きた格好である。有益な情報に、すっかり感心した様子のルーリリラが口を開く。


「これさえあれば、案内人も不要ですね」


「そうですね。そういったパターンも試せるかも」


 何の気なしに言った言葉であったが、場の空気が少し沈んだのを、リズは感じ取った。試行一回にかかる対価を思えばこそであろう。

 咳払いしたリズは、そそくさと本を自分の元に寄せた。


 無言で読み進めていくと、国境を越えて田園地方を臨んだあたりで1冊目が終わっている。

 心の中の書架には、まだ続巻があり、彼女はさっそく次なる白本へと転写作業を開始した。


 それから三人は、ヴィシオスへの侵入を果たした後の出来事について、リズの本をもとに言葉を交わしていった。

 この世にとって有益な情報には違いないが、かといって軽々しく明るみにできるものではない。何かの拍子に、こういった手口で未来を探っている者がいると敵方に悟られてしまう、そういったリスクは避けておきたい。

 少なくとも、こちら側でも(・・・・・・)死んでしまうまでは。


 今こうして、ごく限られた仲間に情報開示しているのは、先の試行で得た情報をもとに、今回はよりよく立ち回るためだ。

 実際、前の試行における反省点がさっそく一つ。


「少人数でのチームを志向してて。フットワークを重視してのことだったけど、”現地採用”を除けば人間が私一人っていうのは、ちょっと……」


「攻めすぎました?」


「むしろ、攻めが足りなかったかもって感じだけど」


 たとえば外部との折衝時などは、人間の仲間がもう少しいれば助かったところであった。とはいえ……


「誰を連れていくか、なのよね」


 潜入ということであれば、候補となるのは三人。革命以来の仲となる、マルク、ニコラ、アクセルである。

 ただ、いずれも相応に仕事がある。マルクはリズが自由に動き回る間、代理として指揮監督に当たっている。引き抜くのは難しい。

 というより、彼の方が人を使うのが上手いフシさえある。


 アクセルにしても、リズの代理としてルブルスク駐留の飛行船団を指揮する立場だ。元は敵であった面々からの信頼を勝ち得たということもあって、やはり引き抜きづらい。

 特定の誰かを秘密裏に殺害する、あるいは救出するといったシチュエーションであれば、最高の手札となるだろうが……


「ま、常に連れ歩くっていうのは、無理はあるかな」


「でも、飛行船が必要にならない状況であれば……あ、やっぱりナシですね」


 言い出しておいて、ニコラはすぐに訂正した。


「飛行船団にアクセル君が必要にならないって『知っている』ように思われては、ちょっとマズいですもんね」


「ええ。口実を模索してみる価値はありそうだけど」


 もっとも、彼を引き抜いて運用するような攻めを試みるのは、まだ早い。現状はまだまだ情報を積み重ねたいところ。となると……


「やっぱり、ニコラさんが?」


「一番でしょうか」


 リズ、ルーリリラからの視線を受け、ニコラは「ふふん」と少しおどけて胸を張った。


「とはいえ、あなたもルブルスクの防諜で活躍してるところだけど……」


「それなんですけどね~、別に脅威が出たってわけでもないですし……『出なかった』ですよね?」


「ええ、まあ。そういった報告は書かれてないわ」


「じゃ、いいんじゃないでしょうか。ヴィシオス潜入に関し、必要な人手として主張するのは妥当性があると思いますよ。私が抜けても、ラヴェリアの方々があの街を守ってくださるわけですし」


「外務省の精鋭ね。そう考えると、あなたを連れ出すことについて、私が変に身構えることもないか」


 むしろ、最初からそうしておけばと思わないでもない話だ。とりあえず、今回の試行についてはニコラにも頼るとして――


「それで、リズ様は実際、どのようにして潜入をなされたのですか?」


 話の先を促すルーリリラに、リズは「そうですね」と答えて視線を動かし、言葉を失った。

 即答しがたい記述があるが、いつまで黙っているわけにもいかない。

 ニコラに頼むという方針を定めた矢先、なんとも言いづらくはあったものの……リズは正直に、いま目にしているものを口にした。


「娼館の手を借りて娼婦を装い、ヴィシオスの将軍に接近したとあります」


 突然の話の流れに、耳を傾ける二人もさすがに驚かされる。にわかに深刻そうになる彼女らの顔には、リズへ向けた確かな気遣いと心配の念があった。


「もしかして……」


「ああ、いえ、それは(・・・)大丈夫!」


 懸念を口に仕掛けたニコラに対し、口ではそう答えつつ、リズは日記を一気に(めく)っていった。

 二人が心配するような事態には陥っていない様子だ。むしろ、ちょっとしたヤンチャを働いて、相手方を威圧するような流れになったとある。

 明らかに、迷惑をかけている側だ。

 それで安心してよいのかどうかという問題はあるが。


 また、娼婦を装ったことによる不利益はなかったものの、別のシリアスな問題はあった。何しろ、ヴィシオス潜入は前回の試行の山場に近づいたということであり――

 最期が程近くにあるのだ。


 気が滅入る話題を前に、リズは一度フッと息を吐き、順を追って話すことに決めた。


「私が忍び込む場合、娼館経由が一番近道に見えていたってことだと思う。ニコラがいれば、また事情は違うでしょうけど……使えるルートとして念頭に置くのはアリじゃない?」


「まぁ……他に良さそうな”お客さん”を見つけるのも、手っ取り早いでしょうし」


「そういうこと」


 成りすましと潜入の何たるかを知るニコラは、未だ戸惑いを隠せないルーリリラと違い、良い感じに割り切りがあった。

 実際にこの親友を売り飛ばすという考えはないとしても、手札に入れたことで新たな道が拓ける期待感はある。


 それは今後の展開次第としつつ、リズは話を先に続けていった。

 ヴィシオスの将軍、ダンケル卿からの協力を取り付け、それを手土産に世界各国を巡ったこと。

 各国指導層から、どのような情報が必要かを聞き集め、それをダンケル卿に問い合わせていったこと。そして、その成果。

 この世界の現状においては、まだ明かすことができない情報たちだ。

 もっとも、ヴィシオスに関する一部情報については、意図的に流布することで、相手側指導層を揺さぶってみるという策もあり得るだろうが……


「使い道は考えておくとして、まずは非公開とすべきでしょうか」


「そうですね……次の協力者を作る時、カマかけるのを装って揺さぶったり、内通者の存在を匂わせるってのもアリかもです」


 こういったアイデアがサッと出るニコラを頼もしく思いつつ……

 リズはいよいよ、気が滅入る話題を口にした。


「前回、私を倒した奴のことだけど」

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