第360話 玉座に落ちる影
自身のルーツを知りたいという欲求は、常にリズの中にあった。そのために、この聖王国の大聖廟に忍び込むほどの行動力まで発揮している。
しかし……自身の出生について、もっとも直接的な理由は、まだ手の届かないところにあった。
実父から、直接聞き出さなければ。
無論、明かそうにも明かせない事情があるのかもしれない。
だが、リズにとって、残されたチャンスは今しかなかった。
瀕死の娘の願いに対し、王は即答しないでいる。どこか思い詰めたようにも映る顔で瞑目するばかりだ。
そんな彼に「父上」と、わずかに声を震わせながら、アスタレーナが言った。
「どうか、お聞き入れください。この子は、その気になればいくらでも、自身が望む生き方を掴み取ることができたでしょう……それなのに、未来も命も投げうってまで、人類社会のために尽くしてくれました」
そして、彼女は伏せがちな顔を上げ、潤んだ瞳で父王に強い視線を向けた。
「これほどの勇者に報いることができないのなら、私たちに流れる血と権威に、いかほどの価値がありましょうか」
今もなお、リズに最期の時を提供し続けるネファーレアもまた、父王に対して懇願するような目を向けた。
敵国中枢からこの場まで、リズを運んできたフィルブレイスも、いつになく強い意志がこもった顔で訴えかけるような視線を送り――
「エリザベータ」と、王は口を開いた。
「何?」
「お前の出生に関して伝えるならば、まずは私の半生も語らねばならぬ。耐えられるか?」
問われてリズは、傍らの妹を一瞥した。今や、持ちこたえられるかどうかは、生かされる側のリズの精神力と、術式を操るネファーレアの持久力にかかっている。
滅多に使われることのない禁呪を持続させているネファーレアは、汗を滴らせがらも、自負心を感じさせる強いうなずきを返した。
「ありがとね」
妹の献身を柔らかな笑みで労ったリズは、続いて「お願いするわ」と父に促した。これを受け、国王バルメシュが静かに口を開く。
「お前たちも、レガリアという概念については知っていることと思うが」
「ええ」
「私のレガリアは、私自身の目だ」
すかさず父の目を――おそらく、生まれて初めて――まっすぐ見つめたリズだが、特に何か変なところがあるわけではない。義眼等ではなく、生身の眼にしか見えない。
レガリアというのは、王族にしか操れない一種の宝物という認識であったが、肉体の一部に力を宿すという形で発現することもあるようだ。
「それで……何か見えるの?」
「私がまだ10にも満たない頃、力が現れた。私の目は、他者の影の中に、その者の最期の光景を見出す」
「……死に様がわかるっていうこと?」
緊迫感を持って尋ねるリズに、父は「そうだ」と短く返した。
彼の目に宿るレガリア――彼はこれを《死端の眼》と呼んだ。他人にその存在を明かしたのは、人生で三度目になるという。
他者の影に死の形を映すという彼の目だが、ひとりひとりに定まった一つの最期を見出すというわけではない。影の中はステンドグラスのように区切られ、それぞれの断片の中に、あり得る最期が見えるのだという。
「より蓋然性が高い死ほど、影の中では大きく強く現れる。まだ幼いと言っていい時分ではあったが、力が現れて二年もしない内に、それだけのことは把握できた。検証の機会には事欠かなかったのでな」
「……そういえば、先代までは覇権主義的な軍国だったものね」
「ああ」
そして、この王が今のラヴェリアの方針を改め、泰平の治政を敷いた。彼の治政と、今明かされた力の中に、少なからぬ繋がりを見出し始めたリズだが……
さっそく気になることが一つあった。
「どうやって、玉座まで?」
「順を追って話す」
陰鬱な顔になった父王は、そこで一つため息をついた。
「私たちの代でも……お前たちに課したような競争はあった。もっとも、今よりもずっと陰惨なものだったが……」
そういった話はリズも知っている。王族同士で殺し合ったその結果、現国王バルメシュひとりを残し、他の継承権者が全て亡き者になった。
そればかりか、争いの凶刃は当時の国王にまで及んだ。バルメシュが新王として即位した翌年に、負傷が祟って没したとも。
とはいえ、惨事の詳細や内情について、リズが与り知るところではない。傍らの姉妹も同様であろう。
決して世に語られることのない記憶を、王は重い口調で明るみにしていく。
「互いに寝首を掻き合う間柄の王室だったが、それぞれが全員が完全に孤立していたわけではない。派閥、あるいは共闘関係のようなものはあった。私にも仲のいい兄がいた。しかし……」
「どうかしたの?」
「兄の中に、私は様々な死の形を見た。それらに至るまでの過程を見ることはできないが、結果から推測することはできる。せめて、彼を死から遠ざけようと、私は見たままの事を兄に伝えた」
しかし、それが良い結果に繋がらなかったのだということは、彼の様子からも明白であった。耳を傾ける四人が割って入れない中、王は続けた。
「見たものを伝えたことで、兄の運命は大きく変わってしまった。『伝えよう』と私が思った、ただそれだけで、兄の影にはゆらぎが生じていた。その変化を認めていながら、私は……実際に伝えることで、また違う未来が拓けるものと……」
そこで彼はうなだれ、一度口をつぐんだ。
「……実際には、兄は”いずれ殺しに来るはず”の兄弟たちに、強い警戒心を向けるようになり……刺激が連鎖していった。微妙なバランスの上に成り立つ均衡を、私が崩してしまった。そういった間柄だと、家系なのだとわかっていながら、あり得る未来を予見できずに」
そして、体を震わせる彼を前に、リズは彼が今までその話を明かせずにいた理由の一端を垣間見たような気がした。
自分だけが見知った未来を口にすれば、その時点で全てが崩れかねない。
いや、彼は実際に崩してしまった。
思い出すのも恐ろしい記憶でしかないのだろう。ややあって、彼は沈んだ声で続けた。
「私に目立った武力などはない。それでも、不完全ながら未来を見ることのできる、この力は強力だった。自分の最期は見えないが……敵の死を促し、近しい者の死を遠ざける。選択を思い浮かべるたび、姿を変えていく他者の未来の影を手掛かりに、私は生き残って……王になった」
誰もが知る世界最強の権力者の一人は、その地位に相応しいと思われる誇りも自負も見せず、ポツリと零すように言った。
「それで……平和志向になったのね?」
「ああ……代が変わってすぐの頃、公務として前線を慰労した時の事だ。自分とそう年が変わらない若者たちの影に、私は……この国の所業を目の当たりにして、私は耐えられなくなった」
太平の世の名君と称えられた彼も、相応の過去があった。それまで覇権主義だった国の在り方を大きく転換するだけのものが。
しかし、国内外に名声を轟かせる治政とは裏腹に、自身の過去を語る彼は自嘲的であった。
「最初の内はうまくいった。目にする死の中に戦死は明らかに減り、事故死や病死……あるいは自然死が増えていった。それでも、一人で先に看取り続けるのは苦しくあったが、これが私の天命だと割り切った。このために、この力があるのだと。しかし……」
「何かあったのね?」
「この国を外征から遠ざけてしばらくすると、全てが変わってきた。再び、惨たらしい死が影を占めるようになり……この世のものとは思えないような、凄惨な光景が少しずつ広がっていった。大勢の未来に破滅が、避けがたく近寄っているように。そしてそれは、決して拭い去ることができなかった」
「それって……」
思わず、今の世の中の有り様を思ったリズだが、それは正解だったらしい。弱々しい笑みを浮かべ、王が口を開く。
「今ならわかることだが、ラヴェリアという覇権主義国家が外征から手を引き、他国と手を取り合うようになったことで、ヴィシオスへは以前にも増して厳しい目が向けられることとなった。人間同士で争い続ければ泳がせるところ、それも期待できないとなって、大魔王らは潮時と踏んだのだろう」
この言葉に、アスタレーナが「そ、そんな」と声を震わせる。
だが、これまで力ない様子だった王は、娘に力強い視線を向けた。
「お前に非はない。お前が力を持つ前から、水面下ではこの流れがあったように思う。むしろ、今の世はお前に助けられている部分の方が大きい」
死にかけの自分を差し置いて姉を褒める父だが、リズはそれでも喜ばしく思った。冷淡な印象しかなかったこの父が、人を励ますような賛辞を口にするとは。
それに、姉がやってきたことには、リズも少なからぬ関りがある。それを否定されなかったのは、好ましいことだった。
「……今だからこそ背景の流れがわかるが、昔はどうしようもなかった。平和にしたはずが、かえって正体不明の破滅が近づいているなどとは。私一人の力では足りぬものと、国が誇る才媛を娶って子を授かっても、未来が大きく変わりはしなかった」
話が兄や姉の出生に移り、少しずつ、自分の番が近づいている――話の流れに、リズは息を呑んだ。そして……
「平和志向が裏目に出たということなのか、とも思った。良かれと思っての選択で、結局は兄を死に至らしめた過去が思い浮かぶようでな……私は塞ぎ込んだ。そんなある日……海外領土で対立関係にあった他国の密偵が、我が国の重臣に接触を図ったという報が舞い込んだ」




