第359話 最期の場所
城内の皆々の心を掻き乱しながらも、リズは最後の舞台にたどりついた。
ラヴェリア聖王国王城、玉座の間である。
ここに至るまでの道のりは、なんとも騒然としたものではあったが、一方で障害となるものは何一つなかった。緊密な情報伝達によるものか、フィルブレイスのような魔族もあっさりと玉座の間へ通される運びに。
事の背景を理解してくれる、各国の重責者が幾人も居たことが幸いとなった格好だ。
そればかりか、玉座の間にリズを運び終えるなり辞去しようというフィルブレイスを、聖王国国王バルメシュは呼び止めまでした。
「娘にとっても、それが良かろう」と。
この「娘」という物言いを耳に、リズは若干の違和感を覚えた。
血縁上の父ではあっても、それ以上のものではない。
――少なくとも、今まではそのように思っていた。
前に玉座へ侵入した時、この父王は落ち着き払うどころか冷淡そうに見えたものだった。
だが、玉座の前で横たわる娘の傍らに片膝をつく今、彼は人並み程度に神妙な面持ちをしている。
この変化に、リズは少なからず驚かされる思いであった。
娘という単語に違和感を覚えたのは、かつてなら感じていておかしくはない拒絶感を抱かなかったからこそ。
最期を前にして、自分も少し変わってきているのを彼女は感じていた。
最後の最後、残された時を互いに有意義に過ごすのならば、願ってもいないことだろう。自分たちの変化を、彼女は素直に受け入れることとした。
後は、聞きたいことを聞き出せれば――
と、そこへ、玉座の間のドアを勢い良く開けて一人の人物が飛び込んできた。
本来であればその場で捕らえられ、厳罰を受けても文句の言えない狼藉を働いたのは、第三王女アスタレーナである。
玉座へ続く絨毯の中に寝かされているリズの元へ、彼女は血相を変えて駆け寄り、妹の傍らに膝をついた。
「リズ! こんなことになるなんて……私が止めておけば!」
突然やってきては、誰よりも感情をあらわにする彼女を、誰も咎めることはない。涙を流しながらも思いの丈をはっきりと口にする姉を前に、リズは苦い表情になった。
「それでも、意味のある成果は出てるでしょ」
「だとしてもよ!」
「本来の予定よりは、随分と長生きさせてもらったじゃない」
この家族の過去の経緯をそれとなく持ち出し、姉妹二人が言葉もなくうなだれる。
「ごめん、そんなつもりじゃなかった」
思わず沈んだ声で、リズは言った。責めるつもりなどはなく、むしろ競争の途中で手控えてくれたことへの感謝すらあったのだが……
逆の立場の当事者にとっては、まだ色々と思うところあるのだろう。
図らずも失言のような形になったが、リズは気を取り直して話題を変えていく。
「他の皆は?」
漠然とした問いではあるが、この状況で意味する「皆」というものは、アスタレーナならずとも容易に察しが付くだろう。彼女はリズの手を優しく両手で包み、答えた。
「今残っているのは、私とネファーレアだけ。後はみんな出払ってて」
「そう……こんな最後は見られたくなかったから、ちょうど良かったかもね」
「そんなこと……」
そう言って口をつぐみ、アスタレーナはただうつむいて、リズの手を握る力を少し強めた。
その様子を視界の中に捉えておきながら、伝わるはずの感触も温もりも、もはや感じられないのが、リズにとっては切なくてならなかった。
しかし、そうこうしている間にも、最期の時が近づいている。引き伸ばしに力を尽くしてくれている妹も、無尽蔵の力を持っているわけではない。
そこで、彼女は自分の体を動かした。横になったまま、腕を宙に向けて伸ばし、人差し指を立てて天井へ。
後は、魔法さえ使えれば――祈るような気持ちで精神を集中する彼女に、これまで酷使を続けてきた体が応えてくれた。指先に普段どおり、魔力が集まり始める。
ホッと一息ため息ついた彼女は、普段よりはずっと遅いが、それでも着実に一つの魔法陣を刻んでいく。
果たして、出来上がった魔法陣は虚空へと続く穴を作り出した。
すると、「《超蔵》か」と、王が静かに言った。
(そういえば……)
ふと昔のことを思い出し、リズの唇の端が少し吊り上がる。
《超蔵》は、城を追われる以前に父からもらった、おそらくは禁書と思われる書物に記されていた禁呪である。娘に与えるかもしれない魔法ぐらい、知っているのが道理というものか。
さて、魔法はできた。問題は、中から取り出す方だが……
手を伸ばしたまま体を起こし、中から取り出す。たったそれだけのことをやろうとするのに、何も感じないはずの全身から汗が吹き出るような徒労感があった。
どうにか体を動かそうと、リズが悪戦苦闘し始めたところ、あまり間をおかず横からアスタレーナの問いかけが。
「中から何か取るの? 私が取りましょうか?」
「……ええ、お願い。中に本が入ってるから」
やがて、アスタレーナは一冊の本を取り出し、リズの目の前に掲げて見せた。
「これで良い?」
「ええ、ありがとう。姉さんならちょうどいいわ、ちょっと開いてみて」
この言葉を受けて彼女は……どことなく、恐る恐るといった感じで本をゆっくりと開いた。開かれたページに目を向け、悲しげな顔が真顔になっていく。
「その中に、私がこの数か月、世界を飛び回って見聞きした全てが刻み込まれてる」
しかし、アスタレーナが手にした書物は、すでに知っている報告書とは趣が違っていた。おおむねリズの日記のような体裁ではあるが、日々の発見や感じた事に混じり、人に明かす前の戦術・戦略なども記されている。
なんともとりとめがなく、考えた事や感じた事をそのまま書き連ねたような本だ。
――人前ではない、素のエリザベータそのひとがそこにいるような。
そうした本を数ページ捲っただけで、アスタレーナは先が続かなくなった。固まった顔が少しずつ崩れ、紙面に涙が滴り落ちる。
ついには、彼女は本を閉じてギュッと抱きしめた。
この姉にかけるべき言葉に悩んだリズは、ただ「うまく使ってね」とだけ、柔らかな口調で発した。胸からこみ上げそうなものを押し殺し、ただ口を閉ざしてうなずくアスタレーナ。
最期が訪れてしまう前に、この本を手渡しておくのは、目的の一つではあった。必要なことは伝えてあったつもりだが、まだ人には言えない構想などもあったのだ。
これで何かの足しになれば……そういった想いはある。
だが、もうひとつ。こんなところにまで、魔族の親友に無理をさせてまで連れてきてもらった、大切な目的がある。
純粋に、自分ただ一人のための目的が。
横たわったままのリズは、視線を動かし、実父に声をかけた。
「陛下」
「何だ」
「ご褒美が欲しいわ」
何に対する手柄かは、言うまでもない。王は長女がかき抱く本を一瞥した後、「何を望む?」と問いかけた。
対するリズの要求は――
「私は……私が生まれた理由を知りたい。あなた、一体何を考えて、私に何を求めてたの?」




